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第17話 そして青鬼は送り届ける。

 村長さんは笠と蓑を纏った防寒姿で僕らを手招きしていた。

 目尻を下げて心の底から心配そうに見ている。

 それは僕ではなく彼に向けられたものだけれど。


 「あっ、村長だ……ん? 違う、村長に似てる人だ」


 「そうですね」


 彼はズンズンと村長さんに向かっていく。


 「寒かったじゃろ。さあさあ中に入って、中に」


 村長さんは手をふって家の中に僕と彼を招き入れた。


 ――うん。彼の声がさきだった。

 僕は一礼してから、――はい。といって村長のお宅に上がり込んだ。

 なんて暖かいんだ。

 囲炉裏の中の薪がパチパチと爆ぜて僕らを歓迎してくれてるようだ。

 さっきまでの冷たさが熱さによって痛痒(いたがゆ)く感じてきた。

 とくに耳や鼻先と指先が。


 人間よりは頑丈(がんじょう)な半妖の僕でさえこうなのだから生身の人間なら命に関わることだろう。

 村長さんは笠と蓑を脱いでいくつかある棚の上に置くと、(たた)んであった手ぬぐいをバサっと広げた。

 それを無造作にふたつ折りにしてから自分の腰に吊るした。


 彼はドッスンと勢いよく三和土(たたき)を踏む。

 雪原に残したような楕円の跡が粘土のように硬い土にもくっきりと残った。

 重く硬い石を高いところから落としたような凹みだ。


 「青鬼さん。彼はもう……」


 村長さんのしゃがれ声がもれた。


 「いいえ。まだ」


 僕はかぶりを振る。

 

 「ねえ。キミ」


 僕は彼を呼ぶ。

 なにごともなく――うん?と僕を見る、そう、なにひとつ疑うことなく。

 僕が村長さんに頼まれた依頼とはキミを……キミを……。


 「いいですか?」


 僕は(ふところ)の奥底にしまいこんだいた手鏡をだそうと着物中に手をもぐらせた。

 それを懐からだすと温度の関係で鏡面がすぐに曇っていった。

 着物の袖でなんどか拭いてみるけれどすぐにまた曇っていく。

 そのあいだ村長さんは手ぬぐいを使って彼の体を丁寧に拭いている。


 「村長だけど、村長じゃないねー」


 彼は村長さんに違和感を覚えているようだ。

 それでも村長さんに前の村長さん(・・・・・・)の面影を見ている。

 僕はまた服の袖で鏡の面を拭く、手鏡がようやく室温になじんできたところで僕は彼との一定の距離を保って鏡面(きょうめん)を向けた。

 

 彼は大きく――あっ!?と声を上げた。


 「さあ、よく見て」


 「こ、この顔はあの雪の中を歩き回ってたお地蔵様の顔に似てる。すごーい!」


 「……」


 まだ理解していないようだ。


 「これ誰? これどこにいるの?」


 無邪気にはしゃいでいる。

 そのたびに村長さんの家がズシズシと揺れた。

 僕は村長さんがしている悲哀の顔を見逃さなかった。

 そして村長さんはことのあらましを彼に向かって話しはじめた。

 僕が前もって聞いていた話だ。


 「……よく聞いとくれ」 


 この話は、僕の目の前にいる子ども、そう彼自身に聞かせるためだ。


 ――この村の外れに早くにおっかあを亡くしたおっとうと子どものふたりが住んでおったんじゃ。

 おっとうは藁で笠や蓑を作る職人でそれはそれはまじめな者じゃった。

 だがあるとき町に笠と蓑を売りいったおっとうは帰ってこなかった。

 吹雪の中でゆき倒れたんじゃよ。

 あまりに待ち疲れた子どもも家を飛びだして、そのまま家に戻らなかったんじゃよ。


 「子どもはどうなったの?」


 彼は村長に訊く。

 村長は眉をひそめ唇をぷるぷると震わせながらまた口を開く。

 両方の目頭に透明な雫が溜まっていくのが見えた。


 「子どもも家を飛びだしてそのまま凍え死んでしまったんじゃよ」


 「かわいそうだね。でも、その子どもにもジジババの笠地蔵様が笠と蓑を被せてくれるよ」


 「それは無理なんじゃよ」


 「どうして?」


 「笠地蔵様が笠と蓑を被せる前にその子どもが”子どものお地蔵様”になってしまったからじゃ」


 「その子どもはどうなったの?」


 「ゆく当てもなくなにをするでもなくこの雪原をグルグルと歩き回っておるんじゃ」


 「極楽にいけなかったの?」


 「ああ。そうじゃ。きっといまでもおっとうを探してるんじゃろ」


 「じゃあ。助けてあげないと」


 「だから僕はその子を助けにこの村にきたんだ」


 僕は彼に気づいてほしくてそういった。


 「青鬼の(あん)ちゃんが?」


 「そう」


 僕はまた曇りはじめた鏡面の端を袖でなんどか拭いた。

 

 「キミこそがそのお地蔵様なんだよ」


 「えっ……オ、オラが? ち、違うよ。オラはおっとうとオラ……あれ」


 「キミはお父さんを追いかけて雪の中で倒れてしまった……。いまここで跳ねてごらん。鏡の中のお地蔵様の顔が消えるから、そしてキミが着地したと同時この鏡にお地蔵様の顔が……そうキミの顔が現れるから」


 彼は素直にぴょんと真上に飛び跳ねた。


 「あっ!? 消えた」


 滞空と同時に彼はぼそっといった。

 無表情ながら戸惑っているようだった。

 ――ドン。と着地すると彼は微動だにせず鏡の中を直視している。


 「あー。お、お地蔵様の顔が……」


 ようやく理解してきたみたいだ。

 これは理屈ではなく自分自身で感じとって心と外見を一致させていくしかないんだ。

 キミは人間じゃないんだ。

 キミは雪原を彷徨う子どものお地蔵様なんだ。


 ――村長。僕は村長に視線を送った。

 村長は無言でうなずいた。

 村長はカサカサと音を立てながら彼のうしろへと回り込んで背中から蓑をかけた。

 村長のしわだらけの手が蓑の表面をふぁさふぁさと(ほぐ)している。

 

 「こうすれば蓑の毛羽立(けばだ)ちも(なめ)らかになるじゃろ」


 「あっ、おっとうの蓑だ」


 彼の声だけが弾んだ。

 羽織っただけで父が編んだ蓑だとわかるのか?

 村長さんは一度、彼の頭をなでてから、水滴となった雪を払らった。

 そしてまた、ふたたび手ぬぐいで頭部から顔へと念入りに拭ていく。

 村長さんはあらかじめ小屋の入り口にかけておいた藁の笠も彼にかぶせた。

 

 「これもおっとうの笠だ。あー! このお地蔵様はオラなのかー!?」


 かぶった笠も父親の作品だとすぐに気づいた。

 それはいつも一緒にいた親子だから気づけたんだ、としか思えなかった。

 ときを超越した、ときを越えた想い。


 見た目や肌触りを確認して笠も蓑もまとったわけじゃない。

 装着してすぐに父親の蓑と笠だと見抜けたのはそういうことなのだろう。

 不思議と悲壮感はなかった。

 父が家に残しておいた笠と蓑が彼を救う。

 彷徨(さまよ)い地蔵になってしまった彼はもうすぐ父のもとへといける……きっと母親も待ち侘びていることだろう。


 僕は手鏡を懐にしまい防人御用達(ごようたし)の僧侶から借りてきた(きょう)読経(どきょう)する。


 「仏説。摩訶般若波羅蜜多心経。

観自在菩薩。行深般若波羅蜜多時。照見五蘊。皆空。度一切苦厄。

舎利子。色不異空。空不異色。色即是空。空即是色。受想行識。亦復如是」


 経文(きょうもん)の中につらつらと書かれた達筆な文字は現世を彷徨う者を極楽へと導くもので修行を積んでいない一般の者が声を上げても効果はあるということだった。


 「舎利子。是諸法空相。不生不滅。不垢不浄。不増不減。是故空中。無色無受想行識。無眼耳鼻舌身意。無色声香味触法。無眼界。乃至無意識界。無無明。亦無無明尽。乃至無老死。亦無老死尽。無苦集滅道。無智亦無得」


 見たままの文字を抑揚なく読み上げていく。

 彼の体が現世から徐々に薄れていく。

 本人はまだそれに気づいてはいないようだ。

 いまも、ただ――おっとう。おっとう。と声をだしてはしゃいでいる……。


 「以無所得故。菩提薩埵。依般若波羅蜜多故。心無罣礙。無罣礙故。無有恐怖。遠離一切顛倒夢想。究竟涅槃。三世諸仏。依般若波羅蜜多故。得阿耨多羅三藐三菩提」


 もしかするとそれは呼びかけなのかもしれない。

 父親を捜して吹雪に飲まれてしまった小さな命。

 いまはもう――おっとう。おっとう。という声だけが小屋に響いている。


 「故知般若波羅蜜多。是大神呪。是大明呪。是無上呪。是無等等呪。能除一切苦。真実不虚故。説般若波羅蜜多呪。即説呪曰。羯諦。羯諦。波羅羯諦。波羅僧羯諦。菩提薩婆訶」


 僕が経文を唱え終え数秒ののち彼の体はほぼ完全に消えてしまった。

 もうすぐこの事件は解決する。


 「般若心経」


 僕が経文の最後の一文を読み終えると蓑と笠が空気と一緒にファサっと三和土に落ちた。

 そこにはまるで子どもが無造作に脱ぎ捨てたような笠と蓑が重なって置かれておた。

 彼は迷わずに父親……いや父親と母親ふたりのもとへといけたのだろうか?


 「礼拝(らいはい)


 僕はその場に向けて首を垂れた。


 「村長。彼は極楽にいけたのでしょうか?」


 「ああ。おっとうの笠と蓑をまとった時点で極楽間近だったじゃろうて」


 「それなら良かった」


 「青鬼さんにきてもらって助かったよ。あの子が亡くなったのはわしの父、つまり先代の村長のときのことじゃからのぅ。いまだに当てもなくここを彷徨ってるのは忍びなくてのぅ。たしかに毎年毎年、多くの老若男女が亡くなるのじゃが、それでも凍え死んだ者は笠地蔵様が極楽へと導いてくださる……ただ、あの子だけは」


 「本物の笠地蔵様は仏様の遣いですからね」


 「あの子だけはなんでだか(こじ)れてしまって成仏できずにいたんじゃよ」

 

 村長さんは三和土の笠と蓑を手に取るとパタパタと土埃をほろい木棚(きだな)にそれを戻した。

 あっ、あの棚は?

 よくよく見るとその棚を見ると、その棚は竹で編まれたものだった。

 僕はそのデザインを以前も見かけたことがある。

 竹取の翁さんの作品がこんなところにまで届いているのか……この世界はたしかに繋がっていると感じた。

 あの子の父親も世が世なら御伽の国に名を馳せるような蓑や笠の作り手になっていたのかもしれない。


 「青鬼さん。重ね重ねになるんじゃがこんな辺鄙(へんぴ)な村にまでわざわざ足を運んでいただき感謝じゃ」


 「いえいえ。防人は民が困っている事件であればなんでも(うかたまわ)りますので」


 「青鬼さんは防人の中でも優秀じゃな」


 「それほどでも」


 こうして僕は雪原を迷子になっていた子どもを無事父親のもとへと帰宅させることに……成功……いや成功している……そう思っておこう。

 彼が間違ってもまたこの雪原で迷子にならないように。

 

――――――――――――

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