第3話
周囲は完全に暗闇に包まれていた。
普段ならば皆眠っている時間帯、だが大通りの方から聞こえてくる悲鳴と怒号はやまない。
物を壊す音、悲鳴、安宿の中が明るくなったと思ったら隣が燃えている。
様子を見に行った宿の主人は外に出るなりキーヴァの護衛に後ろから刺されて殺されてしまった。
そんな状況でも彼女は、キーヴァは落ち着いて穏やかな声で話を続ける。
「ディーンさん、貴方はかつての故国を取り戻したいとは思いませんか? 20年前に起きたあの戦争で味わわされた屈辱を同じようにレント人にも味わわせてやりたいと思いませんか?」
キーヴァの美しい顔はこんな状況であるにも関わらず一切変わらず、口調すらも変えずに穏やかなまま。
ディーンにとってはそれがとても腹ただしい。
「キーヴァ、アンタはこともあろうに20年前に終わった話を今更掘り返してまた戦争がしたいってのか!? もうどっちの民もお互い仲良くやってる、レント人と所帯を持った奴だって大勢いるんだ! ようやく癒えてきた傷口をまた切開するつもりか!」
ディーンは叫んだ。
だが目の前のキーヴァは優しく微笑むだけ。
「私は自分の子供達以外には興味などありませんから。敵と交わり愛した者達など、私からしてみればもうそれは愛する対象から外れています」
「子供達だと?」
「グロ―ル人の人々は皆私の家族、私の子供、私が愛する者達です。私は女王なのですから、そうあるべきでしょう? いかがですか? 我々の仲間になってもらえませんか? かつて『不落のディーン』と謳われた伝説の英雄様ならこちらに付くのが筋というものでしょう?」
「悪いが御免だ。俺1人のちっぽけな感情なんぞ、今の世を生きる奴等の命と比べたらカスみたいなもんだからな」
ディーンはそう言い残して護衛をなぎ倒し安宿から飛び出した。
「追え! 逃がすな!」
「構いませんよ」
「いやしかし……」
逃げたディーンを追いかけようとした護衛だったが、キーヴァが止めた。
「伝説の英雄にふさわしいじゃありませんか。敵国の憎むべき相手であろうとも救いの手を差し伸べようとするなんて。ええ、きっと彼も最後には分かってくれますよ」
「陛下がそうおっしゃるのなら……」
「さて、では次に行きましょうか」
ディーンは夜の街を走り回った。
そう夜なのだ、だが暗く星が瞬くだけの空に反して地上は昼間のように明るい。
明るく輝く炎が家を焼いているからだ、生きている人間を焼いているからだ。
「やめてくれ! あんたも同じレント人だろうが!」
「くたばれ!」
「降伏する! 降伏しただろう!?」
絶叫と悲鳴が混じった声が聞こえる。
そこかしこに死体が転がっている、打ち壊された住居の扉や窓枠が転がっている、家々に火を放つ鎧姿の男がいる。
黒髪で蒼い瞳をしたグロ―ル人によって虐殺が始まっていた。
「やめろこの糞野郎が!」
ディーンはまず住民を襲っている者達を排除しようと試みた。
手近にあった棒切れを取り、剣を振りかぶり切りかかろうとしているグロ―ル人を後ろから殴りつけた。
「あ、ああ……」
「大丈夫か!? 逃げるぞ、街の外に行くんだ!」
ディーンは襲われていた女性の手を取り、走ろうとした。
だが……
「あ、貴方もグロ―ル人でしょう? その蒼い瞳……髪は白髪でごまかせてもその目はごまかせないわ」
「何を……」
そこまで言ってみて思い出した。
グロール人は黒髪に蒼の瞳が特徴、ディーンももれなくその特徴に当てはまるのだ。
だが今はそんなこと言ってる場合ではない。
「俺は皆を襲ってるグロール人とは違う! 頼む信じてくれ!」
「で、でも……」
「ここにいても焼け死ぬか殺されるだけだ! 行くぞ早く!」
嫌がる女性はその手すらも振り払い、火の手があがる街の奥へと消えていった。
そしてすぐさま聞こえてくるのは許しを乞う声と絶叫。
助けられなかった。
「何か、何かないか!?」
ディーンは周囲を見る、見えてくるのは炎、死体、殺される現場、グロール人の集団に殴り殺される家族とみられる一団。
助けるには敵の数が多く、逃がすには人手が足りない。
己の無力さがディーンの肩を落とした。