プロローグ
沈み行く夕陽を見ながら、青年は槍を握りしめる。
この青年がこれから行うことは、ただの『時間稼ぎ』だ。
ここはグロール城、栄えあるグロール王国の王が住まう白亜の城。
だが現在は城の中庭と城壁の上に僅かな兵士と、逃げてきた領民がいるのみ。
そして城壁一枚挟んで外に目を向ければ無数のグロール兵の死体とそれを踏み越えてやってくる敵国レント王国軍の兵士達。
元々は草の繁った平原、だが今やレント兵によって地面が覆い隠されていた。
「外の奴等は皆やられた! どうしたらいいんだ!?」
「逃げよう! 南門を開けるんだ!」
「クソッたれ! お偉いさんと指揮官が逃げやがったぞ!」
城壁の中は大騒ぎ、もはや戦意も残っていない領民達はわめき散らすのみで、城を守る兵士達ももはやこれまでと腹をくくる。
だがこの青年は諦めなかった。
「戦わなければ皆死ぬ! 手を貸してくれ! 本隊が戻ってくるまでここを守りぬくんだ!」
槍を掲げ城に籠る兵士達に向けてそう言う青年。
彼こそが後に敵味方問わず英雄と呼ばれることになる青年、ディーン。
乾いた血で固まった黒髪と傷だらけの革鎧に身を包んだ、どこにでもいるただの兵士。
だがその蒼の瞳だけは他と違って戦意に満ちている。
「戦うんだ! 正面の門は既に閉じた! あとは南だけだ!」
ディーンの言葉に覚悟をきめ、兵士達と数名の市民で南門の守護につく。
この時点でレント軍4千に対しグロール軍は2百、到底かなうものではなかった。
敵の本格的な攻撃が始まったのはディーン達が配置に付いたのとほぼ同時だった。
「女子供は城の中に隠れろ! 兵士達は庭で侵入してきた奴等を倒すんだ!」
大人一人が通れる程度の幅の門、そこに立ったディーンが叫ぶ。
既に城壁の内側、城の庭には矢と投石機によって放たれた岩が降り注いでいた。
高く聳える城壁は敵の兵士は拒めても空から降り注ぐ矢と岩は通してしまう。
「物陰に隠れてなんとか耐えろ!」
時には汚物を入れた樽を投げこまれながら、ディーン達は耐えた。
耐えて耐えて、矢と岩の雨がやむのを待った。
そしてぱたりとそれが途絶えたあと、レント兵達は来た。
小さな門を開かせようと破城槌を打ちつけ、斧で扉を割る。
その間グロール兵も城壁の上から矢を射ったり、上から岩を落としたりもした。
だがレント兵達の勢いは止まらない。
「駄目だ止まらねぇ!」
城壁の上から矢を射っていた兵士がそう叫ぶ。
「泣き言言ってないで続けろ!」
城門の扉は破壊され置かれていた土嚢を押し退けられついにレント兵が見えてきた。
「あとは俺たちの仕事だ。槍兵行くぞ、目にもの見せてやれ!」
雪崩れ込もうとするレント兵に対し、ディーン達は槍を突き刺した。
兎に角レント兵の攻撃を凌ぐために死に物狂いで槍を振るう。
「ぐぅっ」
「怯むな! 突け!」
右に居たグロール兵が敵に刺された。
「ディーン助けてくれ……」
左のグロール兵は頭を割られて倒れている。
「とーます……そっち……に」
胸に矢を受けて城壁から落ちてきたグロール兵は下半身がぐちゃぐちゃ、助かりそうもない。
グロ―ルの兵士達は少しずつ死んでいく、少しづつ数を減らしていく。
「皆踏ん張れ! もう少しで、もう少しで助かる!」
腕や肩、腹に傷を受けながら、それでも一歩も退かず門の前で槍を振るい続けるディーン。
彼の後ろには1人の敵もおらず、悉く門の前でレント兵は倒されている。
目の前にいるディーンを倒せればあと数歩で城の中、だがそのあと数歩がレント兵には遠かった。
血まみれでもう傷がない場所など何処にも無いのではないかと思うほど怪我をしても、ディーンは退かない。
我こそは南門の守護なり、そう言わんばかりにレント兵の前に立ちふさがる。
「撤収だ! 全員退け! グロール軍が帰ってきやがった!」
レント兵の1人がそう叫んだ。
ディーンが、いやグロール兵が待ちのぞんだ言葉だった。
「退いていく……助かった……のか?」
ディーンは去っていくレント兵を見ながら、安堵の声を漏らす。
そして振り返ると、ディーンの目の前には地獄が広がっていた。
ありえないほうに手足が曲がったままの死体、飛んできた岩に盾諸共潰された兵士。
ディーンのすぐ隣にも仲間が死んでいて靴底を真新しい鮮血が濡らす。
「……すまない。みんな」
グロ―ル兵達は皆戦って死んでいった。
敵であるレント兵はグロール城の南門を『不落門』と呼び、圧倒的な戦力差をものともせず最後まで守りぬいたディーンのことをこう呼んだ。
『不落のディーン』と。