第97話 運命の女神様…6
部活の時間を気にしているのか、それとも元々なのかは判らなかったけれど、田村くんはあたしよりも歩幅のコンパスも違えば歩く速度も違っていて、断然速い。
だからあたしは彼に遅れないようにと、時折小走りになりながら頑張って彼に付いて行こうと早歩きをした。
慶のカバンが重いだろうと気遣ってくれる優しさはあるのに、一緒に歩いて居る時のあたしへの配慮って、在っても良いのじゃ無いって思うのだけれど……してはくれないのね。
でも、田村くんは姫香の彼氏だし。慶のカバンを持ってくれているだけでも助かるのだから、時間に追われている彼に、もっと歩くペースを落として欲しいだなんて贅沢なんか言えないわ。
あたしはさり気無く、面倒を買って出てくれた田村くんに感謝しつつ、歩きながらちらりと彼の横顔を盗み見た。
彼と初めて会ったのは、去年の部活申請をどうしようかと悩みながら姫香達に半ば引き摺られるようにして、軟式テニス部のコートへ遣って来た時だった。既に男子の中でも慶と同じくらい背が高くて大きかったから、彼へのイメージはさして去年の頃と変わらない。背が高くて、色黒で、眉がちょっと太いから『我』――と言うか『芯』が強そうに見える外見は、見た目そのまんま。男子の部員の仲間内では、気に入らなければ直ぐに咬みつく彼の性格を『瞬間湯沸かし器』なんて言われている。
特に、公式試合になると何故か現れる幽霊部員の八神くんとペアを組まされて、嘘みたいなお約束で予選敗退。小柄で時々女の子に間違えられてしまう八神くんと険悪になって、男子部員が喧嘩を止めに入ると言う、救いようの無い繰り返しをしている。顧問の先生からの指示だそうだけれども、毎度々の事なので、もういい加減にペアを替えてあげれば良いのにと思ってしまうほど気の毒な彼。
確かに部活では協調性がどうしても求められるから、ある程度の妥協は必要なのじゃないのかなとも思うけれども、ちゃんと『自分』を持っている田村くんは頼れそうで素敵だと思った。
去年の新人戦前に慶のリハビリと称して集まった自主トレの時、あたしは田村くんに惹かれていた。彼から練習の誘いがあった時、あたしは本当に嬉しかったんだもの。
そんな彼の『カノジョ』になった姫香って……少しだけ妬いちゃうな。
一緒に歩いていて特に話題が無かったものだから、それとなく姫香との仲を探ってみる。
「姫香と上手く行ってる?」
「は? なんで?」
意外な返事に返す言葉が無かった。あたしはてっきり田村くんが姫香の彼氏なのだと思っていたのに……
「で、でも、付き合っているんでしょう? 姫香と」
「別に『付き合っている』ってホドじゃないよ。お互い片親だし、苦労してるから話易いだけだよ」
「そっ、そうかなぁ……そんな風には見えないけど?」
あたしは自分の振った話題が、なんだかとてつもなく良く無い前触れのように感じて、振ったりするのじゃなかったと内心大いに後悔してしまった。
「あのなぁ……俺、別に告ったワケでもないし、アイツに『付き合おう』だなんて言った覚えもないぞ」
「だって……」
傍目からは十分付き合っているように見えるのに、田村くんは気付いてないの?
あたしは、聞いてはいけない事を聞いてしまった気がした。
「ンだよ。土橋の方こそどーなんだよ? アキバのコト、諦めたのか?」
「あ、あたしは……あたしだってそんな……慶に告白した覚えなんか……な、無いわよっ」
急に慶の事へと振られたために、心の準備が全く出来ていなかったあたしは機嫌を損ねて言い返した。
少々剥きになったあたしを見て、田村くんはふうんと鼻を鳴らした。
「意外だな。けど、あんまり高いトコばっか理想にしてると、そのうちアキバの方から見向きもされなくなっちまうんじゃね?」
「よ、余計なお世話……」
彼の言葉が癪に障ったあたしは、ぴたりと歩を止めると彼を見上げて睨み付けようとした。途端に、あたしは思わず息を飲む。
田村くんは姫香から、あたしと亜紀の事を聞いている筈よ。きっと、馬鹿な女の子だって思っているに違いないわと思ったのに、見上げた彼の表情には、あたしを馬鹿にしたような素振りは一切無かった。
それどころか、澄んだ瞳の奥に意志の強そうな眼力を感じてあたしは思わず後退って、右足を一歩後ろへ引いてしまう。
って言うか、心臓が……
「ちょ、ちょっと顔、近過ぎるわよ」
「そう?」
「そ、そうよ」
あたしは反射的に顔を背ける。
な……なに? このドキドキは。えーい、静まれ心臓っ!
口では偉そうな言い方をしたけれども、あたしの心臓はそうじゃなかった。あたしが見上げた時、同時に田村くんも立ち止まり、あたしを見下ろすように浅く腰を折って屈んだものだから、お互いの息が顔に掛りそうになるくらい近付き過ぎたのだ。
「理想を持つのは良い事なんだろうけど……ジョシの高いレベルの理想を聞いて凹む男って多いんだぜ。『俺はお呼びじゃねーんだな』って」
「……」
お互いの顔が近付き過ぎているのに、田村くんは少しも慌ててなんかいなかった。それどころか諭すよう穏やかに話し掛けて来たりして、いつもの活発で強気な彼のイメージじゃない。
彼の言葉が意味深に取れてしまい、あたしの動悸はなかなか治まってはくれない。もし田村くんに姫香と言う、本人非公認らしいけれども彼女が居なかったと仮定したら、あたしは……
「……」
あたしは酸欠になったみたいな感覚に襲われて、息苦しさから逃れようと深く息を吸い込んだ。
駄目。今のあたし……最低だわ。少しばかり優しくして貰ったからって、田村くんがあたしの『彼氏』だったら……だなんて妄想したりして。なんて恥ずかしい事を考えたりしちゃうんだろう。