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第80話 切ない勘違い…2


 軽い眩暈を起こしたのか、あたしはよろめきそうになって左足を浅く引いた。


 一瞬、慶の言葉が理解出来なかったから。


 だって……このお鍋の中には、あたしが……あたしが作った……


 返事をしなかったあたしを慶はいぶかり、顔を覗き込んで来る。


「あれ? 違ったの?」


「あ? えっ? あ、ああ違わないわよ。そ、そう。これは家のお母さんから……だから……」


 後は言葉にはならなかった。胸に何かが込み上げて来て、息をするのさえ辛くなる。


 慶の言葉を否定出来ずに、あたしは思わず調子を合わせて嘘を吐いてしまった。



――『あたしから……』って言うのは無し……なの?



 残念だけど慶の頭の中には、差し入れイコール『うちのお母さんから』なのだと言う選択肢しか浮かんではくれなかったみたい。でも、今まであたしが慶に対して執った態度を振り返れば……そう考えてしまうのが当然なのかも知れないわ。


 昔のように仲好くなれたとしても、こんな調子だったら……他の男子が慶と同じだったとしても、あたしはきっと平気で許せると思う。でも、慶は……慶がこのままなら、それはそれで辛い気がする。


 姫香の助言もあって、勇気を出してこんなことをしてみたけれども……やっぱり、今更……なのかなぁ。


 手にした小鍋の持ち手を、あたしは両手できゅっと強く握り締めた。なんだか自分の努力が無になってしまったように思えて、悲しくなってしまう。


 やだ……なんだか涙が出て来そう……


「?」


 浅く俯いてしまったあたしは、その様子を見て戸惑ってしまった慶の気配が、肌を通して感じ取れた。


 どうしよう……


 慶があたしを見詰めている……そう意識してしまうと、頬がちりちりと火照って来て、この場から逃げ出してしまいたくなった。


「あははっ、や、ヤだなぁ。ホントに……お母さんからなんだって」


 努めて明るくそう言うと、あたしは自分でも不自然だと判るくらいにぎこちなく笑った。


 あたしが鍋のフタを取り、中身を慶に見せて『ほらね?』と言うと、それが筍の煮物だと知るや、慶の顔が明るくなる。


「うわぁ、久し振りに別のおかずだぁー」


「そっ、そうなの?」


 慶はどうやら筍の煮物に感動してくれたみたい。毎日がカレーとシチューと肉じゃがだと言っていた姫香の言葉は、どうやら本当だったらしいわね。


「貰えるのなら遠慮無く貰っておくよ。ありがとう。後でおばさんにお礼を言っておくよ。鍋は明日返したのでいいかな?」


「あ? う、うん。それで……いいよ」


「よっしゃぁー! オカズ一品GETぉ!」


 差し出した小鍋をあたしのお母さんからの差し入れだと思っている慶は、慶は嬉しそうに受け取り、昔の面影が残っている無邪気な笑顔を浮かべた。


 あたしとしては少々納得出来ないのだけれども……慶の笑顔を見ていて、否定して怒る気も、訂正する気さえも起こらないのは、それだけ慶が素直に喜んでくれたから……なのかな?


「なぁ、香代はもうご飯食べた?」


「え?」


 思いも寄らない慶の言葉に、再び胸がドキリと脈打った。


 だけど、慶はそんなあたしの想いなんか、これっぽっちも気付いてはくれていないみたい。


「まだだったら、僕ン家で食べてく? 在り合わせのものしか無いけど」


「あ、ああ、アンタ買い物に行くのじゃなかったの?」


「すぐに戻って来るよ。ここの所ずっと独りでご飯なんだ。話し相手になってよ」


「は、話し……相手って……」


 いきなりな慶の提案に、あたしは大きく動揺した。こんな所をご近所の誰かや通りすがりの人に見られたりはしまいかと、急にソワソワと落ち着かなくなる。


『お、落ち着くのよ香代……廻りはもう真っ暗だし、顔なんか判るわけないんだから……ってなに考えているのよ。こんなに暗くなってからの方が、他人から見られた時に誤解され易いのだって』そう自分に言い聞かせると、深く深呼吸をしてみる。


 慶が『ナニ遣ってンの?』と言わんばかりに首を捻る。挙動不審なあたしを見て、きっと今の慶の頭の中には、大きな疑問符が一杯飛び交っているのだわ。


「若しくは聞きたいことがあるって言うか……この前、古典の授業中に居眠りして失敗した僕を見て、泣きそうになっていなかった?」


 その言葉にハッとしたあたしは、息を詰めて慶を見上げた。そうして少しだけ緊張してあたしの様子を窺っている慶と、視線が合う。


 外灯に照らされた慶の顔には、泣き虫であたしの後ろをくっ付いていた頃の情けない面影は無かった。もちろん、優しいおばさんの面影は今まで通りちゃんと引き継いでいたけれども。試合数も少なくて、馴れ合い状態だったと言っても過言ではない小学校でのテニス部から一転。喩えペアでもライバル同士になり、他校との試合数も断然増えている中学校での練習は、甘えなんか微塵も見せずに真剣に取り組んで居た慶の表情を、良い意味でとても精悍な顔つきに変えていた。



『どうして僕を避けるんだ?


 以前はそうじゃなかった。何でも気兼ねなく話すことが出来ていたのに――


 どうして?』




 言葉に出して言わなくても、慶の澄んだ瞳があたしにそう問い掛けている。慶はあたしにその理由を聞きたがっている。


 だけど、今ここで喋る気にはならなかった。第一、どうして慶に対して冷たくしてしまうのか、どうして慶と視線を合わせられなくなってしまったのか、あたし自身がよく判らないし、説明のしようが無いんだもの。


「僕、香代からシカトされたくないんだけどな」


「な、なんであたし?」


「え? ええと……それは……」


 問い返したあたしに、今度は慶が口籠る。


『判り易くて『嘘』が吐けない……』


 不意にあたしの頭の中には、去年の夏祭りに慶が口にした言葉が浮かぶ。そして、いつも慶を見守る様にして見詰めている亜紀の姿を思い出してしまう。


 あたしは慶に対してどころか、自分に対しても嘘を吐いている。なのにこんなあたしに『無視されたくない』……って……どうして?


 慶は亜紀の事をもう何とも想っていないの?


「……なんでかな?」


 自分から言い出しておいて、その答えを有耶無耶にして問い掛けて来た慶にがっかりしてしまう。その答えがあたしだって知りたかったのに……自分の気持ちの整理くらいちゃんとしてから言いなさいよ。


 その……あたしもそう……なんだけど。


 慶との会話から、これ以上一緒に居ても無駄のような気がした。やっぱり、あたし自身の心の整理が着かないと、居辛くなりそうな雰囲気を感じてしまう。


 あたしは持って居た小鍋を、慶に向かって無愛想に突き出した。


「はいっ! お鍋! 明日家に持って来て」


「香代?」


「き……気安く呼ばないでよ。アンタなんか亜紀と仲良くしていればいいじゃない! アタシ帰るっ!」


 あたしはそう言うと、ツンとしてソッポを向いた。


 それがなけなしの強がりだって、判っていたのに。


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