第66話 あまのじゃく…3
お金の問題を出されてしまっては何も言えないけれど……だけど、あたしは……
あたしは慶に、そんな事……して欲しくは無かったな。
「きっと、切羽詰まってしまったのね。あの慶ちゃんの事だもの。チョコを貰った女の子達には、全部お
返ししないといけないと考えてしまったのじゃないかしらね?」
確かに、箱一杯に貰ったチョコのお返しとなると、かなりの金額が必要になる。今まであたしの『義理チョコ』にだってお返しをしてくれていた慶だもの。返そうと思っても半端じゃない今回の分は返しきれやしないわ。
「お……お母さんは慶に甘過ぎるわよ」
お母さんの理屈は判る。だけど『して欲しくなかった』と言う気持ちがどうしても先に立ってしまって、あたしは簡単に同感する事が出来ず、尚も反論してしまった。
「そうかしら? でも、『あの』慶ちゃんがねー。男の子って、背が高くなったりカッコ良くなったりして、急にモテたりするのね。お母さんは、慶ちゃんが自分の子供みたいに思えて嬉しいわ」
そう言って、お母さんは話題を微妙にずらし、照れたような笑みを浮かべながら、温かい湯気が立ち昇るシチューをあたしの眼の前へ差し出した。
「急にモテただなんて……そんなのじゃ無いわ。慶は新人戦で校長先生から名前を呼んで貰ったから……校内で有名人になっちゃったからよ」
「まあ、そんな理由なの? なら尚更かも知れないわね」
ムスッとなってあたしが何気なく言った言葉に、お母さんは反応した。
「どう言う事?」
「興味本位に面白がって慶ちゃんにプレゼントしても、された方は迷惑って事なのよ。だったら慶ちゃんは凄く勇気があるわ」
「どうして?」
「慶ちゃんは、学校で禁止されている事を報告した事になるのよ? それって今まで慶ちゃんの味方になってくれていた子達を、在る意味裏切っちゃったって事よね」
「だから勇気があるって……」
「そう」
あたしはその時、ちらりと脳裏に怒った姫香の顔が過った。
慶の遣った事は、新人戦からの有名人から一転して、好意を寄せていた女の子達から逆に嫌われてしまったんだと。
「でも……」
あたしは再び言葉を飲んだ。
その箱の中には、ずっと慶を想い続けていた亜紀のチョコも入っていたのに……
そこまで思うと、何だか胸が痞えてモヤモヤして来た。
あたしは本当に……本当に亜紀と慶が付き合って欲しいって思っているの?
以前、新人戦の個人練習の時、あたしは慶に亜紀とは付き合って欲しく無いなと思ってしまった。それは、あたしの心の貧しさから来た嫉妬みたいなものかなと思っていたけれど……亜紀はとても可愛くて頭が良くて純粋で……姫香やあたしよりも何倍も素敵な娘だなと思っている。だけど、どうしても亜紀と慶とが頭の中で結び付かない……と言うよりも、結び付いては欲しく無いの。
どうしてそんな意地悪みたいな事を考えてしまうのかしら……それは、あたしの心が醜くて貧しいからなの?
でも……
「なに考え込んでいるの? 早く食べなさい。せっかく温めたシチューが冷めてしまうのに」
「えっ? あ、うん……熱っ!」
促された条件反射で、まだ熱の籠っているシチューを口にしてしまい、熱さに思わず飛び上がった。
「慌てなくても……ほら、お水」
「ん、んん」
涙目で冷たい水が入ったグラスを受け取り、一気に飲み干した。
「ああ、そうだ。香代、自分で作っていたチョコがあったわよね?」
「え? あ、うん」
「あれ、お母さんが一個貰ったから」
「ええー!」
あったわよね。そう言えば……別に誰にもあげる心算の無いチョコが。
あたしは頭を巡らして、自分が作っておいたチョコを捜した。チョコはあたしが置いていた対面式のキッチンカウンターの隅に、ちょこんと置いてあった。中身を一個貰ったとお母さんは言ったけれども、きれいに元通りにラッピングされていて、とても中身を出したとは思えないくらいの器用さだった。
「驚かなくても良いじゃない。どうせ自分に作ったものでしょう?」
「う……うん」
「だったら一個くらい、お母さんに頂戴」
「って、事後承諾なの?」
「うんそう」
「お、美味しかった?」
あたしの質問には答えずに、お母さんはふふっと笑った。その笑顔があたしの心の裏を読み取っているみたいで、余りに意地悪に思えてしまう。
「食べないの?」
「ん~」
「食べないのなら、それ頂戴」
「うん……」
『食後のデザート』とでも言いたげなお母さんの声に、あたしは一層肩を落とした。せっかく箱に詰めて見た目可愛くラッピングが出来たのに……なんだかガッカリ。
だけど、もうこの中には一個足りなくなっちゃっているのよね?
そう思うと、少しだけ寂しくなった。自分に向けて作ったものなのに、どうしてこんな気持ちになってしまったのかは判らない。ただ、中身が足りなくなっているだけなのに、無性に寂しい想いを抱いてしまう。
どうしてなのかな? 自分へのチョコなのに……誰にもあげたりする心算なんて……無かったのに……
手持無沙汰になってチョコの箱を弄んでいると、インターフォンが鳴った。
「はーい!」
お母さんが応対に出ると、返事をしたのは回覧板を持って来た慶だった。
「慶ちゃんだわ。丁度良いじゃない。香代、あんたそのチョコ食べないのなら慶ちゃんにあげたらどう?」
『あげたらどう?』だなんて、か、簡単に言ったりしないでよ。あたしは慶にあげる心算なんか……あげる心算なんか……
お母さんが慶を迎えに玄関へ足早に去って行った。
ほぼ同時に、あたしの手の中から忽然とチョコの箱が消えている。
「……?」
ん、ないっ!
「まーまー、慶ちゃん御苦労様。はい、これあげるね」
「あ……ありがとう」
玄関からお母さんのやけに明るくて弾んだ声がして、それから慶の照れた様な声がした。
「お、お母さん……遣ったわねっ!」
慶が帰った後、顔から火が出るくらい恥ずかしい気持ちで一杯になったあたしは、暫くお母さんと口論になった。
「香代からだとは言っていないし、別にあんたが食べないのならあげても良いでしょう?」
「んな……なによその理屈はぁあああ~~~」
まさかお母さんがこんなに強引な態度に出るだなんて思わなかった。貰ったチョコを全部手放した不憫な慶に同情したのか、それとも『自分チョコ』を手にしてウジウジしているあたしに同情したのかは判らなかったけど。