第61話 気まずい関係
文化祭はその後、何事も無く……写真部の撮影襲撃に遭い、一年生男子の数人が撮影を拒否して逃げ出すと言う多少の騒ぎはあったものの、それでも軟式テニス部は去年の売上を大幅に上回る好成績で終わった。
三年の先輩方から『よく頑張ったわね』とのお褒めの言葉を戴いたし、暫くは公式戦も無いと、安心していた矢先の事だった。
あたしが『その異変』に気が付いたのは、文化祭の振り替え休日後一週間が過ぎようとしていた。
隣のコートで、慶達一年生はみんな揃ってラリーの練習をしているけれども、部員数が少ない。よく見ると、二年生の先輩方の姿が一人もいなかった。
「ねえ、何だか男子部員が少なく無い? 二年生どうしちゃったの? 模試? それとも何か……」
気になって、隣で球拾いを一緒にしていた姫香に声を掛けると、意外な返事が返って来た。
「香代、知らないの? 二年の先輩は受験勉強だって言って、主将の浅井先輩を残してみんな退部しちゃったのよ」
「ええ?」
あたしは思わず耳を疑った。受験勉強だなんて心配しなくても、三年生になれば残り一学期で終わりになるのに。
「おかしいと思うでしょ? でも、これは表向きの退部理由なのだって」
「表向き?」
「うん。実はね……」
姫香は文化祭であった慶と高柳くんとの試合を煽った先輩方が真っ先に退部してしまった事。そして、その先輩方が部内で一番『顔が効く』人達だったから、他の先輩方はその人達に睨まれるのが怖くて退部してしまったらしい事を話してくれた。
「そんなのアリなの?」
「表向きは進学の為の退部なんだから、顧問の先生だってそこまで言われれば文句は言えないでしょう? 元々ウチの学校は進学校だしね」
勝手に試合をさせようとしたから注意されたのに、その事がどうしても納得出来なくて気に入らなかったのね。でも、自分達は勝手に辞めちゃって清々しているのかも知れないけれど、残った後輩はどうなるのよ……
だけど、あたしはこうも思った。
幾ら新人戦だったからと言っても、自分達では無く後輩の慶が注目された。今回の再戦だって、先輩として後輩の慶を立ててあげようと少なからず思ったのに、先生方にはその想いが届かず、理解して貰えなかった……もしもあたしも同じ立場だったら、部活を続けてはいられなくなっていたかも知れないわ。
「尤も、浅井主将が残ってくれたからこそ、こうして部活動が続いているのだけど」
そう言った後、姫香は少し悪戯っぽい目つきをしてあたしを見た。
「でね? もう先輩が居ないから、部長は浅井主将が兼任するらしいのだけど、副主将や会計、補佐なんかはもう決まっているのだって」
「ふうん」
「副主将、誰だと思う?」
「さあ」
本当は、慶が副主将をするのじゃないのかしらと思った。慶は小学校の時はキャプテンだったし、門田くんだって副主将。成績はぱっとしないけれど、統率力から見れば、田村だって十分候補者になるわと思った。もしかしたら、あたしの知らない男子部員がなっているのかも知れない。
だけど、今回の先輩方の退部事件の本当の理由が慶にあるのだとしたら、慶が副主将になればそれこそ退部した先輩方の神経を逆なでするみたいになるし……
迷っていたら、姫香がクスリと笑った。
「副主将はね、アキバケイだよ」
「え!」
まさかとは思ったけれど、その『まさか』が的中した。
姫香もあたしの心の内を察してか、同情してくれているみたいな眼であたしを見る。
* *
「おーい、香代」
練習が終わって姫香達とも別れ、もうすぐ家に辿り着くという時に、あたしは慶から呼び止められた。
先輩方から裏切られ、さぞかし落ち込んでいるのかと思ったら、案外あたしが思っていたよりも慶は陽気だ。
「な、なによ?」
「僕さ、副キャプテンに選ばれたよ」
ただでさえあたしよりも大柄な体を揺すって、慶は自信に満ちた笑顔を向けて来た。
慶は……慶は先輩方が退部してしまった本当の理由を知らないんだ……そう思った時、この能天気で無神経な慶が、なんだか歯がゆく思える。
「そ、そう? おめでと」
「先輩方がみんな受験勉強に集中したいって退部しちゃったからさ、浅井主将以外、僕達一年生だけになっちゃって。で、門田が会計で田村と壬生が補佐役になったんだ」
聞きもしないのに、慶は嬉しそうにあたしに話して来る。
あたしは慶の知らない本当の理由を口にしてしまいそうになって、必死に素っ気ない態度を取った。
慶、あんたは先輩方が受験理由で退部しちゃったって事を本気で真に受けているの? おかしいなとは思わないの?
あたしは慶の『人を疑わない性格』が純粋過ぎて怖くなった。
「土橋、どこを見ている?」
「あっ、は、はい!」
数学の授業中、あたしは先生から注意を受けてしまい、咄嗟に席を立った。
授業中に注意を受けたのは、これでもう三回目。あの時の慶の反応が意外だったせいで、授業中であっても気が付けば無意識に慶の事を見てしまう事が多くなってしまう。
「ああ? ドバシはアキバケイを見ていたんだよなぁ」
「『アキバ系』に『アキバかよ』って語呂が良くね?」
後ろの方の席から男子の誰かが囃し立てると、それに便乗した他の男子が騒ぎ出す。授業中にどっと沸いた教室で、あたしは恥ずかしくなって居た堪れなくなってしまった。
「だっ、誰が『アキバかよ』よっ!」
馬鹿にしないでっ! どうしてあたしばかりが損をするの? 慶の事を心配するのは大きなお世話なのかしら?
そしてあたしの怒りは、何故だか慶の方へと向けられてしまった。
時々慶があたしの方へ視線を送ってくるけれども、あたしはその一切を無視してしまい、その後半年近くも、お互いに気不味い想いをしてしまう事になってしまった。