第57話 文化祭…5
『一度嘘を吐けば、その嘘を隠す為に何度でも嘘を吐く……だから貴方には嘘を吐いたりしない子になって欲しいの』
小さかった頃から、お母さんが繰り返してあたしに言っていた言葉が、頭の中で聞こえたような気がした。
――嘘を吐いたりするだなんて、そんなことをあたしはするような子じゃないもの。
お母さんの言葉は、何度聞いても遣ってはいけない当たり前の事だと判っていたし、自分が嘘を吐いたりなんかする筈が無いわと思っていた。なのに振り返ってみれば、最近のあたしは親友の姫香や亜紀に嘘を吐き、調子の良い事ばかり言って、彼女達の機嫌を取っているような気がする。
今年の軟式テニス部喫茶店は思いの外好評で、まだ一時間半しか開けていないと言うのに、二つの教室を使用した喫茶店の席は既に満席になっていて、去年のお客さんの倍は来ているとの事だった。
「お待たせしました」
あたしは先輩に教えられた通り、四人のお客さんが座っている七番テーブル席の前で、軽く膝を曲げて浅くお辞儀をすると、サンドイッチを注文していた人を捜してその人の横に歩み寄り、静かにテーブルへと注文の品を置いた。そして、先にテーブルに在る品数と持って居た注文品のリストを確認する。
「ご注文は以上でしょうか?」
あたしの問い掛けに、四人がそれぞれ軽く頷いた。
ふう。初めてにしては、なかなか上手に言えた……かな? そう思って気を緩ませた時だった。
「あ、ねぇ、この子じゃない?」
「あ、ホント。この子だよー」
あたしの顔を見るなり、お客さんだった四人の先輩方が急に騒ぎ始める。
先輩だと判ったのは、この中学校の制服に縫いつけているプラスチックの名札の色が、三年生の白い色だったから。ちなみに二年生は濃い赤で、あたし達一年生は黄色い名札が付いている。
知らない先輩から『この子』だと特定されてしまい、何の事だか判らないまま、あたしはトレーを胸の前で抱えると、取り敢えずニッコリと愛想笑いを浮かべてみた。
「あ、あのう~、私がなにか?」
初対面の先輩方から騒がれても、良い気は全くしない。それどころか、この先輩方からはあたしに対して好意的な態度とは逆の態度を取られているみたいにしか思えなくて不快だった。
「貴方、今朝保健室に運ばれた子でしょ?」
「彼氏にお姫様抱っこして貰っていたわよねー。羨ましいわぁ」
「なっ……はあ?」
あたしにとって、在り得なかった先輩方の爆弾発言に、体中がカッとして熱くなる。
今……今、なんて言ったの? あたしを保健室に運んでくれたのは、確か慶と百瀬先輩だった筈……慶はそう言っていたのに。し、しかも『お姫様抱っこ』……って、嘘でしょう?
「あらら、どうしたの? 固まっちゃって」
「良いじゃない。校内で有名な『アキバケイ』くんに、お姫様抱っこされたんだから」
チラチラとあたしの表情を盗み見ては、お互いに視線を合わせてクスクスと笑う先輩方の意味有り気な態度がどうしても厭だった。まるであたしが小馬鹿にされているみたいな……そんな上から目線で見詰められているのが、堪らなく不愉快になる。そして、その視線がずっと前――あたしの記憶の奥深くに閉じ込めた、小学校で初めて出逢った頃の姫香と亜紀の視線と重なって見えてしまう。
「貴方が土橋さん? 確か『アキバケイ』くんの、お隣さん……よね?」
あたしが持って来たハムサンドに手を伸ばしながら、長い黒髪を左右に振り分けた先輩が、にやにやと笑いながらそう言った。
「そんな……」
否定出来ない事実を言い当てられて、あたしは身体を一層小さく縮みあがらせる。
なんで……なんでそんな事まで知っているの? 確かに慶は新人戦で一躍有名になっちゃったみたいだけれど、だけどどうしてあたしの事まで知っているの?
慶の事だけならまだしも、なんであたしの事まで……
「なに? この子、泣きそうになってるわよ?」
「馬鹿じゃないの? なに泣きそうになってるのよ」
あたしの真向かい側に座っていたショートカットの先輩が、鼻で笑うとツンと澄ましてソッポを向いた。
先輩の大きな声に驚いたのか、ざわついていた室内が水を打った様にシン……となる。そして、他の席のお客さんがあたしに注目してしまい、固まっていたあたしは恥ずかしさと理不尽な不快感に一層身動きが取れなくなってしまった。
『なぁに? あの子誰?』
『アキバ系の彼女?』
『ええ? 嘘、付き合ってるの?』
『ふーん、普通の子ね。もっと可愛い子なら幾らでも居るのに』
『自分で可愛いとでも思ってるのかしら?』
ヒソヒソと囁き合う声が、あたしには殊更大きく聞こえる。そのどれもが否定的な発言で、聞くに堪えられない言葉ばかりだった。
どうして? どうしてあたしが見ず知らずの人からそんな風に言われないといけないの?
「ち、違います……」
『あたしは慶の彼女なんかじゃ無いし、付き合ったりもしていません』そう言葉に出して言いたかったのに、あたしの口はそれ以上動いてはくれなかった。
だって、今のあたしは慶の事を……
「あ? 来たわよその『彼』」
その声に反応して、あたしは部屋の入口に視線を奔らせる。
そこには、この先輩方から噂されている事なんて何も知らないだろう慶が、例の短パン夏の体操服にメイド用エプロン姿で、注文されていたオレンジジュースとクリームソーダを一杯ずつトレーに載せて現れた。
「ちょっと、まさかの本人?」
悲鳴とも歓声とも取れない声が、テーブルのそこかしこで湧き上がり、一種独特の雰囲気に包まれた室内に遣って来た慶は、何事かと一瞬怯んで視線を左右に泳がせる。
彼女達からの視線の束縛から解放されたあたしは、その場から逃げ出す様にして教室を出て行った。