第55話 文化祭…3
機嫌を損ねた慶から注意されても、あたしはまだ含み笑いをしながら慶の『雄姿』を見詰めて、何気に足元を見てしまった。
「わ! 見るなよ」
「どうして?」
あたしの視線に気付いた慶は、慌ててエプロンの端を握って膝下を隠し、爪先を立てて座っている椅子の奥へと追い遣った。
慶の慌て方が理解出来ずに、あたしはきょとんとして小首を傾げる。
「さ、最近すね毛が濃くなって来ているから恥ずかしいんだよ」
「え?」
一年中屋外での部活で真っ黒に日焼けしている慶に、そんなものが在る事さえ忘れていた。間近で息を詰めて見ないと判らない程度のすね毛なんて、濃いって言うレベルじゃないでしょ? それに部活じゃずっと短パンじゃないの。今更恥ずかしいも何もないじゃないと思った。
うちのお父さんのすね毛に比べれば、恥ずかしがっている慶の生脚なんか、まだまだ許せる範囲……って言うか、慶の脚はあたしにとって全然気にならない程度なのに、慶はどうやら本気であたしの視線を意識して恥ずかしがり、困っている。
女の子でも肌を気にする子がいるけれど、案外男の子でも気にしたりするものなのね。
あたしに生脚を見られるのを嫌がった慶は、自分の脚からあたしの意識を遠ざけようとしてか、話をもとに戻して来た。
「香代達にぶつかってから、僕はすぐに追い掛けて来た先輩に捕まって観念したんだけど、『ゴツイメイド』とか『キモカッコイイ』だなんて散々茶化されるし、写真部からは追い掛けられるし……」
「で? 逃げ場を失って、丁度あたしが寝込んでいるから都合が良いって思って逃げて来たの?」
「ち、違うよ。捕まった時に先輩から着替えた後でここに戻って良いかって許可を貰っているよ。そのう……香代の事が気になってたし」
あたしの言葉に不満たらたらで、口を尖らせて言いたいだけ言った後、急に慶は口を噤み、あたしの顔をじっと見詰めながら自分の顔を近付けて来た。
「んな、なによ? ちょ、ちょっと、なにを見てるのよ?」
慶との距離がかなり近過ぎるわと意識して、あたしの胸がどきりと大きく高鳴った。一体、あたしの何処を見詰めているのだろうかと慶の視線を辿ってみると、どうやらあたしのおでこを見ているらしいと判った。
「そ、そのう……おでこ」
「お……おでこ? えっ? ちょっ、なにこれ? った!」
申し訳なさそうに言った慶の言葉に反応して右手でおでこを触ってみると、じんわりとした鈍い痛みが奔った。しかも違和感のある肌触り。
これって……熱冷まし用の市販品シートが貼り付けられているのじゃないの?
「ゴメン。僕は石頭だから」
「……」
そう言いながら慶は自分のおでこを撫でて見せる。
どうやら慶はあたしとぶつかって転倒した拍子に、あたしのおでこに頭突きをしてしまったらしい。他の女子も一緒になぎ倒されたのに、あたしだけが何故意識を失ってしまったのかと言う理由がそこにあったみたい。
言われてみれば、確かに慶が覆い被さって来て、慶の超アップが見えたような……気がするわ。
「眼が醒めてくれて良かった。安心したよ。香代はもう少しここで休んでいればいいよ。百瀬先輩もそう言ってくれていたし」
「ん……」
「じゃあ、僕は部の店に戻るから」
「うん」
慶はそう言って立ち上がり、カーテン越しに居る養護の先生に声を掛けると、保健室の引き戸を静かに開けて出て行った。
「……」
あたしはベッドに半身を起したまま、ぼうっとした状態で、無意識に慶の広い背中を見送ってしまう。
「土橋さん? 体調はどう? 秋庭くんはああ言っていたけれど、貴方が大丈夫そうなら行っても構わないわよ?」
「あ? はい」
慶と入れ違いに、養護の三崎先生が優しい笑顔を浮かべながら、あたしの居るベッドのカーテンに手を掛けて現れた。
まだ少しぼうっとしているけれど、特に気分が悪いとか頭痛がするといった症状は無さそう。それに、あたしは何かを忘れているような気がしていた。
心の隅に何か引っ掛かりを覚えてもどかしくなる。
「時間、いいの? 土橋さんはテニス部のウエイトレスさんじゃなかったかしら?」
「えっ?」
先生の何気ない言葉であたしの髪が逆立ってしまった。
そっ、そうだったわ。忘れていたのはこの事よ! 交代っ! あたしは『Cグループ』なのに。
「せ、先生! 今何時ですか?」
「え? 十時半だけど」
きゃあああ! あたしの当番は十時からなのに、すっかり三十分のロスタイム。
「先生! ありがとうございました!」
あたしは慌てて掛け布団を剥ぎ取ると、枕元に置いてあったエプロンと三角巾を握り締め、ベッド脇に揃えられていたシューズを引っ掛けるようにして履いた。