第53話 文化祭…1
男子個人戦の結果は、やはり当初の予想通り、対戦の前評判で噂されていた東雲中学の高柳くんが優勝した。
彼は優勝者のインタビューの中で、準々決勝で対戦した慶との対戦が、今試合で最も印象に残った対戦だったとコメントを残し、慶の技量を高く評価してくれていた。
あたし達の松山中学校では、今大会運動部での新人戦結果報告とその総評を全校集会で行い、とりわけ目覚ましい活躍をした選手数人を、校長先生が名前を挙げて健闘を讃え、その数人の中に男子ソフトテニス部の慶の名前が挙がっていた。
ただ、何かの手違いがあったみたいで、校長先生は全校生徒の前で慶の苗字を言い間違えているのに気付かずに、最後まで『秋庭』を『アキバ』と何度も連呼して、一部の生徒達からの失笑を買っていた。
お陰で、慶の名前は一躍全校生徒に知れ渡ってしまい、この事がその後に起こったある出来事の切っ掛けになってしまう事を、本人の慶はもとよりあたしでさえ予測出来なかった。
* *
新人戦が終わり、あたし達はまたいつもの慌ただしい学生生活が始まった――と思ったら、瞬く間に二週間が経ち、ひと息吐く暇も無い感じで文化祭に突入する。
先輩から購入する必要は無いと言われていたけれど、あたし達一年生は相談の結果、文化祭での喫茶店用エプロンを同じお揃いにしようと決めた。自称ネットオタクの姫香がインターネットでエプロンのカタログを用意して、何度も意見を交換した末に、フリルをふんだんに使った胸当て付きショート丈の白いメイド用エプロンに決まったのだ。
「ひゃーん、やっぱこのエプロンかンわゆ~い!」
「やったネッ!」
「うん! バッチリ!」
それまでは対戦相手であり、良きライバルでもあるあたし達も、今日だけは関係ない。
前後の名前ゼッケンが貼り付けてある、色気の無い学校の体操服と紺色のハーフパンツに、ひらひらのエプロン。幅広のリボンを後ろでキュッと蝶結びに縛ると、気分は何だか少しだけ大人になって、カフェのお姉さん気分だわ。だけど全く同じじゃ個性が出ないって意見もあって、頭に被る三角巾だけはそれぞれが持ち寄った。
あたしはお母さんが学生時代に使っていた、渋めの赤と緑のチェック柄に白いプチフリルをあしらった三角巾。少し古臭いかも知れないけれど、あたし的にはこれが丁度好さそう。
亜紀は何処かのお給仕さんみたいな真っ白な三角巾で、姫香はレースをふんだんに取り入れ、なお且つ原色一杯のハート柄。他には牛柄や豹柄……みんなそれぞれ三角巾一つで個性を出しているものだわねと、思わず感心してしまう。
「一年生、準備は良い?」
「はい!」
廊下からドア越しに掛けられた先輩の声に、あたし達は閉ざしていた部室を解き放つ。同じおろしたて純白エプロンを身に着けた一年生総勢二十六名が部室からぞろぞろと出て来た。
「あらあら、また今年は……」
「合わせなくてもいいって言ったのに。ホント仲が良いわね」
ドアの外で待っていてくださっていたのは、クスクスと優しそうに笑った百瀬先輩方数人。去年ウエイトレスだった先輩方は、今年は裏方さんになる。
「じゃあ、各班に分かれてテーブル席の準備を宜しくね?」
「はい!」
一頻り準備とこれからの予定を教えてくれた先輩方に、あたし達は部活練習の時のような歯切れの良い返事をした。
「メニュー表はテーブルには置かずに、席に着いたお客さんに手渡す事。自分の時間が終わったら、次の交代時間までフリーだからね。でも、時間に遅れないようにね」
「はあい」
「先輩」
「なに? 一葉?」
「当番の人がエプロン姿なのは判るのですが、当番じゃ無い人まで、一日中みんなこの格好なんですかー?」
「う~ん、良い質問だわね。それはね、貴方達がその格好で校内を廻って、喫茶テニス部の宣伝をしてくれれば良いのよ」
「えー?」
みんなの声がハモった。
そして先輩は、当番以外のあたし達に喫茶店の宣伝文字を書いた腕章を配る。
「心配しなくても、男子も同じだから。って言うか、男子の方が恥ずかしいかしらね」
「あっ、でもね、これも売り上げの為だし、毎年恒例の事だから」
「そうそう。あたし達も去年は全員が潜ったんだものね」
そう言い合ってホホホと笑う先輩方に、あたし達一年生は妙な腹黒さを読み取ってしまう。
「先ぱぁーい。結局、今年の男子の格好はどうなったんですか?」
「ああ、今年は……」
姫香が片手を挙げて質問し、百瀬先輩が答えようとした時だった。
突然、階段を慌ただしく駆け降りる数人の乱れた足音と、大声が聞こえて、あたし達はそれぞれが訝り、ざわざわとざわめいた。
「そっちに逃げたぞ!」
「挟み撃ちにして捕まえろ!」
「よっしゃあ!」
誰かを捕まえようとしているらしいその足音は、何度も教室内でバタバタと行き来を繰り返しながら、徐々にあたし達の居る部室前の廊下に向かって近付いて来ているみたいだった。
「なにあれ。三浦の声じゃないの?」
「誰を捕まえるって?」
金子先輩が、男子先輩の名前を挙げ、宮脇先輩が噴き出しそうになりながら誰にともなく問い掛ける。
あたし達が居る部室は、丁度廊下が『L』字型になっている角の傍で、その先は行き止まりではなくて、他の校舎に繋がる通路へと続いている。だからその先から運動場へは簡単に出て行けるのだ。
逃げているらしい足音が、あたし達が集まって占拠している廊下に向かって、どんどん近付いて来る。
「って! そっちは女子の部室!」
「構うか! こっちから出られる! うわ! 来たあ!」
慶と田村くんの切羽詰まった声がして、少し遠くで『待て』と誰かが走りながら叫ぶ声がした。
なに? 逃げているのは慶と田村くんなの? 毎年の恒例行事だと聞いているのに、なんで先輩方に追い掛けられたりしているのよ?
「ちょっと! こっちに来る」
「あっ!」
言い終わらないうちに、上下長袖ジャージ姿の慶と田村くんが全力疾走状態で角を曲がって現れた。二人とも、通路一杯に拡がって先輩の説明を聞いていたあたし達に、寸前まで気付かずに――