第51話 新人戦…6
新人戦が終わり、解散したあたしの隣に亜紀の姿は無かった。
あれから部員全員で手分けをして、亜紀の姿を捜したのだけれど見付からず、もしやと思って慶を病院に連れて行った顧問の藤野先生に長谷川部長が携帯で連絡を取ると、なんと亜紀は慶に付添って藤野先生と一緒に整形外科までついて行っていたのだそう。
「は……なかなか大胆なコトするわね」
「で、でも、亜紀が慶の事を心配するのは仕方ないじゃない。あの時の怪我が無かったら、慶は勝てたかも知れないのに」
部長の報告を聞いた姫香が、開口一番にそう言った。
亜紀と一番親しい間柄の姫香のその言葉からは、少しだけ怒っているような……そんな気配を感じてしまい、あたしは慌てて亜紀の立場を弁護した。
ところが、姫香はあたしの八方美人系な反応が気に入らなかったらしく、険しい顔をしてあたしを睨んだ。
「香代、あんたねぇ……まだそんな事……」
「えっ? んな、なに? あたし何か気に障るようなコト言った?」
「いい加減、惚けるの止めなさいよね?」
姫香はあたしから視線を逸らせて溜め息を吐いた。そしてあたしに聞こえるか聞こえないくらいの小さい声で「一番心配してるのは、香代じゃん」と溢したのを、あたしは聞き逃さなかった。
「……」
なにも言えない。言い返せなかった。
姫香は今のあたしの気持ちを、完全に見透かしている。
姫香は、あたしが慶の事を特別な誰かさんだと意識しているのを、誰よりも先に……このあたし自身だって気が付かなかった事に気付いていた。だけど、お互いが友達同士。抜け駆けするのは何となくNGだと言う暗黙の了解が、三人の間で成り立っていたのに。
口では慶の事を気にしていないと言い、意地を張ってツレナイ態度を取り続けるアマノジャクなあたしを姫香はとっくに見破っていたけれど、亜紀はあたしの嘘にまだ気付かないでいるのかしら? それとも気付いているのに、気付かない振りを装って……?
そこまで考えると、あたしは深く息を吸い込み、大きく深呼吸をして肩を落とした。
……止そう。友達を疑ったりするのは。
疑い始めればきりが無いだけじゃない。第一、あたしは二人に嘘を吐いているんだから。亜紀は全く悪くはないし、マイナスに考えれば考えるほど、あたしが惨めに思えてしまうもの。
身長が百四十前後の小柄な亜紀は、少しだけぽっちゃり体型。それだけで幼く見られるけれど、普段は眼鏡を掛けて愛読書を片時も手放さないでいる、色白の文学少女。理知的だけれども、かなりな童顔の上に広いおでこがトレードマークのせいか、余計に幼く可愛らしく見える。そして、何より地元旧家の本物のお嬢様。
清楚なお嬢様である亜紀は、本人は全く気付いていないみたいだけど、実は男子からは憧れの対象になっている。普段一緒にいるあたしや姫香は、何度か亜紀を紹介して欲しいと頼まれた事があるけれど、その度にあたし達は「直接本人に言いなさいね」と断って来ていた。
亜紀本人は気が付いていないくらい鈍い所があるせいか、それとも勇気を持って近寄ろうとする男子が今のところ現れてはいないせいか、亜紀は自分には女の子としての魅力に乏しいのだと思い込んでいる所がある。
だからと言って、なにもよりにもよって慶に近付いちゃうだなんて……こんなのって無いわよ。
自分の気持ちに純粋で、素直な亜紀が羨ましいと思った。晴れない気分を亜紀のせいにする心算はないし、こんな時でも素直になれない自分が悪いのは判っている。けれど、あたしの気持ちは宙ぶらりんにぶら下がったままで、どうしてもスッキリとはしてくれない。
浮かないあたしの気持ちを姫香は代弁してくれたって言うのに、それでも放って措いて欲しいと思ってしまう。
駄目だなぁ……あたしって。
「でもね? ついて行くのなら、せめて一言言って欲しかったわよ。黙って行っちゃうって……無いよ」
「……そうだね」
みんなが散々心配していた挙句がこれだもの。さすがにこれには姫香も呆れてしまったらしい。他の部員も同様らしく、みんな口には出さなかったけれど、心配を掛けてしまった亜紀の事を、良く思わなくなっているような……そんな不穏な空気が流れつつあるのを、あたしはひしひしと肌に感じ取ってしまった。
「まだ自分のせいだって思っちゃっているのかな?」
「どうだろうね。案外今回も口実が出来たと思って、急接近しちゃっているのかもよ?」
やんわりと跳ね返すような口調で姫香が答えた。だけどその言葉の意味は、あたしにとって心中穏やかでは居られなくなるようなものだった。
本当は……
本当は、あたしだって慶の事が心配……なのに。あたしは亜紀が慶の事を知るよりもずっと前から、慶の事を見ていたのに……
周りから『大胆な行動を取る娘』だと思われても、自分に素直な亜紀が羨ましくて……そして少しだけ妬けちゃうよ。
もっとあたしが素直だったら、堪らないこんな気持ちに振り回されたりなんかしなかったのに。今の慶の傍には、亜紀じゃなくてあたしが居たかも知れないのに……
だけど、今更自分の本当の気持ちに気付いたって、あたしは亜紀が慶の事をずっと想い続けているのを知っているし、慶の事で何度周りから冷やかされても、意固地になって否定し続けていたのは、他でもない自分自身だわ。
あたしは今まで自分が慶に対して執った酷い言動を思い出して、胸が張り裂けそうになった。あの時は、本当に自分の気持ちが判らなくなっていて、周りから冷やかされたりしたから余計に意地を張って否定してしまった。
慶を想う亜紀の出現に戸惑って、周りだけでなく自分にまで嘘を吐いてしまったけれど、亜紀の存在から自分の本当の気持ちに気付いただなんて、なんだか悲しいよ。
一度嘘を吐けば、その嘘を隠す為に何度でも嘘を吐く。だからあたしは何度でも嘘を吐いて、あたし自身を騙してしまった。
……もう、あたしには……慶を好きになっちゃいけないの? 好きになる資格だなんて無いの……?
せめて、慶と昔みたいな関係には戻れないのかなぁ……?
「……よ? ねえ、香代ってばあ」
「あっ、え?」
亜紀の事を考えていてぼうっとしてしまったあたしは、姫香から声を掛けられて我に返った。
「『え?』じゃないわよ。ほら、あたし達も帰るわよ」
姫香の後ろ――ずっと離れてしまったけれど、試合会場を後にするみんなの背中が小さくなって見えた。
こうしてあたし達それぞれの新人戦は終わった。
延長戦を続けた高柳くん達の準決勝と決勝戦の試合は、明日以降に持ち越される。
試合会場は、市内方面と郊外から流れる大きな河が出合う場所にあり、振り返ると大きくて真っ赤な夕日が、遠く黄昏に染まる河口の向こうへ溶けて行くみたいに沈みかけていた。