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第49話 新人戦…4

 慶は左手でラケットを握り、右手にボールを持って、集中力を高めているようにそのボールを片手で何度か地面に着く。


 それまでは右手でプレーしていた慶だったけれど、今度は左手に持ち替えてプレーを再開する心算なんだわ。


「お? 出るかアキバケイバージョン」


 田村くんが余裕を出して、慶を冷やかすように笑いながら言った。


 みんなは田村くんの情報に、何事かと興味を持ち、息を潜めてコートに立つ慶を見守る。


 頼もしい田村くんの解説だけど、あたしには慶が半ば自棄やけを起こしてしまったのかと疑い、さっきの期待は一変してして、この試合の結果が見えたような気がしてしまった。


 元々左利きだった慶だけど、今までずっと遣っていなかった左手が、急に言う事を聞いてくれる筈は無い。実際に何度かあたし達と自主トレゲームをしていて、慶は左手が右よりもややパワーとコントロールに難ありだと知っていたから、試合を見るのが怖くなり、急に不安になって来る。


 だけど小さかった頃の慶は本当に臆病で、女の子にからかわれたり、転んで腕や足を軽く擦り剥いただけでもすぐに泣き出していた。そんな慶を知っているあたしには、怪我をしても歯を食いしばって試合に臨む、強気な姿勢で居る今の姿が、まるで……まるで別人みたいに思える。



 正審のプレー再開を合図に、慶は高柳くんの様子を注意深く窺いながらコートに向かって左足を一歩退き、右肩口を正面に向けた。慶の足の位置はクローズドスタンスである事から、より安定性を狙うために、スライスサービスを打つ気なのだと判る。


 慶は右手に持っていたボールを、小鳥を空に放つように高くふわりとトスアップすると、弧を描くように左手で持ったラケットをボールトスと連動させて流れるような動きでバックスイングを始めた。大きく振りかぶってボールを擦り上げるように叩くと、ボールは矢の様に深くコートに食い込み、跳ね上がる。


 慶が利き手をチェンジしたせいで、防御が左右逆になってしまった高柳くんは一瞬怯んだみたいだった。


 だけど流石は優勝候補者と噂されているだけはある。普通なら一歩も動けなかったはずなのに、慶のキレのあるサービスを速攻でリターンし、逆にポイントを奪い返されてしまった。


「デュース、アゲイン」


 東雲側の観客席からは、割れんばかりの拍手が沸き起こり、慶の応援席からは悔しさが滲み出ている溜め息が漏れた。


「ドンマイ! まだまだぁ!」


「アキバケイ! ファイトぉー!」


「惜っし~!」


 両手で口元をメガホンのように囲った田村くんが、空に向かって声を限りに叫び、彼のリードで部員みんなが慶を応援する。



 簡単にはエースを取らせてくれなかったけれど、慶だって負けたままじゃ居なかった。


 それまでは片手でリターンしていたけれど、今度は両手でラケットを構えて打つ、両手打ちのフォームに切り替える。


 両手打ちにすればガット面が安定するしパワーも上がって、痛む右手首に掛る余計な負担は軽減される。だけどその半面、ボールに届くラケットの守備範囲が狭くなり、的確なリターンを狙う為には必然的にコートを走らなくてはならなくなる。


 案の定、高柳くんからリターンで左右コートの深い所――サービスラインを狙われて、慶は振り回され、左右に走らされた。


 慶が後方に退がっている隙に、高柳くんはネット中央に走り込むけれど、慶は彼の動きを捉えて、ボールを掬い上げるようにして高柳くんの頭上を高く越えるロブを上げる。


 サービスラインぎりぎりのロブが上がる度に、あたし達はボールの行く先を見守り、両手を組んだ亜紀が顔を伏せて祈った。



「へぇ……中々のコントロール」


「?」


 みんなが息を詰めて慶の試合を見守っている最中、不意に頭の上で声がした。


「お、お前、なにしに来たんだよ!」


「他はとうに終わっているのに、まだ続けている所があるんだなと思って来ただけだ」


 田村くんの怒鳴り声で振り返ると、そこには警告処分になった幽霊部員の八神くんが立っていた。


 自分の試合が終わった後に慶の試合を応援する訳でも無く、すっかり帰る身支度を済ませていた八神くんに、田村くんが掴み掛りそうになったのを、隣に居た門田くんが慌てて後ろから羽交い締めにして取り押さえ、あらん限りの罵詈雑言を浴びせ掛けようとしていた口を手で塞ぐ。


「てめ、門田ぁ! んぐぐ……」


「応援に来たって、素直に言えよ」


 田村くんを力尽くで押さえ付けながら、それでも八神くんへ穏やかに話掛ける門田くん。さすがは元副主将……って言いたかったけれど、門田くんの作り笑いが今にも崩れてしまいそう。きっと心の中は田村くんと同じなのだわ。


「はあ? 僕が? どうして?」


「同じ部員だろう?」


「止してくれよ。まさか居残っているのがアキバケイだったなんて。知っていたら立ち寄ったりしなかった」


「ンだとー!」


「アドバンテージサーバー」


 冷たく言い捨てた八神くんに向かって、田村くんが門田くんの手を振り解いて怒鳴った途端、正審のコールが耳に届いた。


 どっと沸く東雲中の応援席に、あたしはハッと我に帰った。


 視線を落としたその先には、コートのサービスライン付近で、右の手首を押さえて両膝を着きうずくまっていている慶の姿が映った。そして慶の蒼いラケットがずいぶん離れた所に落ちている。


「いやあーん! 負けちゃうー!」


 姫香が今にも泣き出してしまいそうな悲鳴を上げた。亜紀に至っては、もう泣いている。


 どうやらあたし達が八神くん達の遣り取りに気が逸れてしまった間に、高柳くんのリターンが慶の手からラケットを弾いてしまったみたい。


「フン。居残ってた割には、大した事ないな。来て損した」


「なにを! 失格になったオマエが言える立場かよ!」


「止せ! 田村!」


 憤る田村くんを門田くんが必死になって宥めている。


 八神くんは鼻でフンと笑い、くるりと背中を向けて観客席を後にした。


 あたしの知っている昔の八神くんは、そんな事を言うような人じゃなかった。もっと素直であたしよりも純真で……なのに、どうしてそんな風に変わっちゃったの?


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