第44話 香代の心
――慶は亜紀の想いを、まだ受け取ってはいないの?
小学生の頃から、亜紀は慶の事が好きで……面と向かって慶には言えないけれども、ずっとその想いは変わっていないみたいだった。だから、慶が怪我をしてしまった時に、責任を強く感じてあれこれと世話を焼いていても、いつも嬉しそうにしていたのも頷けるわ。
一途に慶の事を想っている亜紀なのに、慶はそんな亜紀の想いに気付いて受け取ろうとは思わなかったの? 夏祭りに言っていた、慶の理想の女の子は亜紀の事だと思っていたのに。
探るような眼で黙って慶を見詰めると、視線が合った慶はあたしに何かを言おうとして躊躇った。そして言い出す決心が付かなかったみたいに、あたしから思わず視線を逸らせてしまう。
暫く息が詰まってしまいそうな『間』が空いて、慶はあたしに何かを話そうか話すまいかと悩んでいたみたい。
右の人差し指で自分の頬をぽりぽりと掻く仕草を見せたけれど、やがて慶は言葉を選ぶようにして切り出して来た。
「んー、呼ばれても困る……って言うか、迷惑って事があるだろう? 遠藤さん、いつも習い事が凄いじゃない。そのう……僕の怪我の事を、なんだかいつまでも引き摺っているみたいだし、こう言っちゃ何だけど、口実にされるのも僕としてはなんだかさ……」
「何かあったの?」
「うん……まぁね。悪いけど、遠藤さんに助けて貰っても……却ってこっちが余計に気を遣っちゃうんだ。前に一度、帰りの時に僕の面倒を見てくれていて、習い事に間に合わなくなってさ。心配した家の人が迎えに来た事があったんだよ」
「なにそれ? 一体どんな面倒を見て貰っていたのよ?」
あたしの鋭い突っ込みに、慶は顔を赤くして慌てて手を左右に振る。
「べっ、別に大した事じゃないよ。下校時間に包帯が緩んじゃって……で、困っていたら遠藤さんが『直してあげる』って言うからさ。だけど意外と彼女、不器用って言うか……直してくれていたはずなのに、どんどん緩んでって前よりも酷くなっちゃったんだ」
「はぁ。それで塾に間に合わなくなっちゃって、家の人が来たの」
「家の人は困った顔するし、遠藤さんは泣き出しちゃって……そりゃああの時は誰からも責められたりはしていなかったけど、まるで僕が悪者みたいだったからさ」
「ううん。それ、やっぱり慶が悪いわよ」
「ええっ?」
あたしの鋭い指摘に、驚いて慶が退いた。
本当は、慶の気持ちを判ってあげられるのだけど、亜紀はあたしの友達だから、この際慶が悪い事にしておくわ。
確かに亜紀は部活の後、自宅に直帰することは無い。本人から直接聞いたわけじゃないけれど、彼女の家は旧家――地元に古くから続いている家柄で亜紀は文字通りの『お嬢様』なのだそう。
きっと、慶もその事に気が付いていたのよね? それとも単に亜紀の事が苦手だっただけなのかしら?
「亜紀の事が苦手なの?」
本当は慶から肯定して欲しい癖に、あたしはとんでもない事を聞いてしまった。どうしてそんな事を思い付いて口走ってしまったのか、自分でもよく判らない。
こんな事を聞いてしまって、もし慶が『そんな事はないよ』って否定されたらどうしようだなんて心の片隅で思っている癖に。だけどそんな返事は、期待しても返っては来ないだろうって判ってた。
判り切っているのに、慶から直接本心を聞き出したくって……ううん、あたしはそうだと確認したいと思っているんだもの。
まるであたしが意地悪な小悪魔になっちゃったみたいな気がした。
「そ、そんな事なんか想ってないよ……って言うか、何で僕が悪いんだよ?」
「ウン。優先順だから」
「ゆっ、優先順? 僕と遠藤さんとじゃ、遠藤さんが先ってコト?」
「っそ」
あたしは満面の笑顔を慶に向けた。
慶は物凄く困った顔をして、あたしの言葉に首を傾げて悩んでいる。
うんうん、もっと悩みなさいね。
あたしは心の中で舌を出す。
もっと器用に立ち回れないのかしら? 慶ってば……相変わらずなんだから。
亜紀がある日を境にして慶に寄り付かなくなったのは、そんな事があったからなのねと納得した。きっと、亜紀も慶が普段以上に気を遣って退いちゃっている事に気が付いたのだわ。
そこまで思って、あたしはハタと考えた。
あたしってば、なにを期待しているの? 亜紀の想いが慶に通じればいいと思っていたのじゃなかったの? 慶だって……
ううん、違う。
亜紀は大切な友達だし、好きな人が現れたのなら絶対に応援してあげなくちゃ……と思う。けれどその相手が慶じゃダメ……やっぱり慶とは仲良くして欲しくなんか無い。
他の人となら誰でも良いの。慶じゃなければ誰であろうと絶対に応援してあげる。
「……?」
『慶じゃなければ』……? って、なに? このあたし的限定は?
「? どうしたの?」
その慶の一言で、急に顔が物凄く熱くなった。まるで、炎に炙られているみたいに。
そして、あたしは自分の本当の気持ちに今頃になって気が付いた。