第37話 我儘な思い込み
「さーて……ンじゃあ、アキバケイが医者から『一応治ったよ』宣言を貰ったってーコトだし、『出所祝い』にイッチョ揉んでやりますか?」
田村くんが左手に持っていた白い軟式ボールを、青空に向かって真上に高くトスアップした。
夏の頃の濃い蒼さは無いけれど、澄み切った青空に田村くんが上げた真っ白なボールが、ポツンと綺麗に浮き上がる。
「だ、誰が『出所』だよ? 人聞きの悪いコト言うなよな? ……ったくぅ」
口を尖らせて文句を言いつつ……それでも慶はすぐに笑顔を浮かべると、田村くんの反対側コートの後衛に就き、軽く膝を折り曲げてレシーブの構えを取った。
田村くんは、コートへと真っ逆さまに落ちて来るボールを慶に向かって打ち込み、サービスエースを取ろうとしたけれども、右手でラケットを握り、腰を落として低く構えていた慶が、容易くリターンを決めて来る。
「遣るじゃないか!」
田村くんが不敵に笑い、速攻で返球する。
「……」
あたしは眼の前で突然始まったゲームに、どうすればいいのか戸惑い、立ち尽くしてしまった。
「ほらほら香代、アンタもサッサとコートに入った。入った」
「ち、ちょっと、姫香ぁ? あたしゲームするだなんて……」
――そんな心算で来ていないって。
別に田村くんとペアを組みたいとか、慶じゃなきゃ嫌だなんて思わなかったけれど、慶の居るコートには、もう姫香がチャッカリ入っちゃってペアを組んでいる。その姫香に誘導されて、あたしは空いていた田村くんの居るコートの前衛に渋々入った。
練習直後にまた練習? こんなの……聞いてないわよー? だけど、練習すると判っていたら、もしかして、ここには来なかったかも知れないわね。
田村くんが言う通り、さっきの安定したリターンで、慶の怪我がほぼ治ったって事は判ったわ。でも、治った報告なら、明日の部活に行けばみんな判る事じゃ無い? どうしてこんな所にわざわざあたしを呼び出さないといけないのよ?
何だか姫香と田村くん達から、良いように利用されちゃったみたいだけど、それがどうしてあたしなの?
「土橋! 右! 抜かれる」
「あ?」
あたしはここに呼び出された理由を考え込んでしまい、前衛の守備が疎かになってしまった。
ガラ空きになった右サイドに、慶から※)レベルスイングで強烈な※)シュートボールを打ち込まれてしまい、後衛の田村くんがフォローに走るけれども、球足の速さに追い付けない。
「はーい、※)ゼロ、ワンね」
姫香が嬉しそうに言い、田村くんは面白くなさそうに「ちぇっ」と軽く舌打ちした。
「いいか土橋? 川村はオマケだ。アキバケイを狙って返球しろよ?」
後衛に居る田村くんが、ラリーを続けながら声を張り上げる。
「やかましい! ダレがオマケよ? このあたしを無視すんなー!」
田村くんの言葉に姫香はムッとして顔を赤らめた。そのまま彼を睨むと、腰に左手を当て、仁王立ちになってラケットで差す。
田村くんは承知しているのか、へへっと笑って舌を出した。
この二人……いつの間にか仲良くなってる。『抜け駆けしないでね』って言っていたのは、姫香の方だったのに~~~。
少し悔しくなってしまったけれど、姫香と田村くんってなんだかお似合いって気がするわ。姫香の今年のバレンタインの成果は、無駄じゃ無かったってコトなのかしら?
「アキバケイを狙って行けよ?」
「え―――?」
繰り返して言う田村くんの言葉に、あたしはラケットを抱えてうろたえた。
「また無視するー!」
「うるせぇ、外野!」
「なにぃい~~~!」
二人の遣り取りにあたしは退いた。今気が付いたけれど、慶も相手コートで退いちゃっているわ。
でも……なんて口の利き方なのよ? まあ、仲良くなっているからこそ、こんな凄い遣り取りが出来るのでしょうけれど……
それにしても、慶に向かっての返球って……それってボディショットを遣れってコト?
「『え―――?』じゃ無い。一年のジョシで一番コントロールが利くの、土橋だろ?」
「ボディショットでしょ? それ。何も慶にそんなコト……第一、あたしじゃなくったって、他にたくさん……」
あたしの言い訳を聞いていた田村くんは、頭を掻いて面倒臭そうに相槌を打った。
「あー、ハイハイ……でもな土橋? 他のヤツに頼んで、そいつがOK出してくれると思うか? 試合が始まったら仲の良い友達でも下手すりゃ組み合わせ次第でライバルになるんだぜ? 誰もが上位入賞目指して頑張ってるのに、ケガしてリスク背負ったアキバケイの上達の手伝いを遣ってくれと言ったって、そうそう相手してくれるヤツなんか居ないだろ? 正直、俺だって手を貸すのなんかゴメンだ。アキバケイが居なけりゃ、俺はその分上にのし上がれるんだからな」
「だ、だったらなんで……」
今、こうして慶の手伝いをしているのよ? それに、混合ダブルスなら判るけど、男子対女子の個人戦は無いハズでしょ?
「さ~あ。なんでだろうな? 放っておきゃあ良かったんだろうけど……俺にも判ンねーよ」
「……なにそれ」
「たださ、不戦勝ならいざ知らず、試合にアキバケイが出る以上は、怪我で練習不足になってるアキバケイを打ち負かしても、自慢にはならないんだって。俺はそんなのは好きくナイんだよなー」
「……え?」
田村くんのその言葉で、今まで知らなかった慶の本当の実力が、どれほどのものなのか読み取れたような気がした。
部活練習中、派手なパフォーマンスで周囲を巻き込み騒いでいる田村くんの実力が、他の男子部員よりも上の方だと言う事は知っていたけれども、田村くんよりも控え目で大人しい慶の実力がどの程度のものなのか、興味はあってもずっと判らずに居たし、正直な所、知りたくは無かった。
だって……
あたしの中の慶は、小さかった頃のあの泣き虫慶で居るんだもの。
その慶が、実力を持っていると認められている田村くんにさえ、一目置かれているだなんて……本当は、いつまでもあたしを頼って、後を就いて来てくれる慶でなくっちゃ嫌だったんだもの。
こうして田村くんや姫香がワンクッションとして間に入って来てくれるお陰で、慶の事を身近に感じて、少しずつ見えて来ているような気がするわ。同時に、慶がどんどん成長してしまい、いつの間にかあたしに追い付き、追い越していた事も、嫌と言うほど思い知らされてしまった。
もうあたしに頼る必要なんか……無いんだね?
そうでしょ? ……慶?
あたしはゲームの最中だと言う事をすっかり忘れて、田村くん独りに慶と姫香の相手を任せてしまった。
必死になって対戦する田村くんだったけれども一対二。怪我が治ったばかりだとは言え、小学校では主将を務めていた慶と、途中入部だったけれども卒業前には上位に居た姫香の二人を敵に回して、たった独りで太刀打ち出来るワケなんか無い。
あたしと田村くんのペアは、たちまちワンゲームを落としてしまった。
「ゲームオーバー!」
姫香が嬉しそうにコールする。
「コラ土橋! ボサッとしてないで、お前もちったァ参加しろよ!」
「ひゃああっ?」
ぼんやりとしていたあたしの頬に、田村くんはコートのすぐ近くの自販機で買った、キンキンに冷えたスポーツ飲料をいきなり押し当てて来た。
※)レベルスイング : 腰から胸の間の高さから打つグランドストローク。
※)シュートボール : 直線的に打つ、速いボール。野球のシュートとは違います。
※)ゼロ、ワン : カウントは、常にサービス側を先にコール。