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第32話 思いもよらない誘い

「ねえ、なんで慶が練習に来ているのよ?」


 日直で慶と一緒にみんなのノートを取りに行ってから、一週間が過ぎた。


 部活練習の途中、先に自分のゲームを終えた田村くんが、派手に水飛沫を上げて手洗い場で洗顔しているのを見付けたあたしは、早速慶の事を尋ねてみた。


 田村くんは顔を洗うと、出しっ放しの水に頭を突っ込み、水浴びをした犬みたいにブルブルと頭を左右に激しく振る。


「っぷはぁ~、チョー気持ちイ~~~」


 咄嗟に持っていた汗拭きタオルでガードしたけど、それでも散らされた水飛沫があたしに掛った。


「冷たっ! もぉ。ねぇ、聞いてるの?」


「ああ悪ィ。で? なんだって?」


 田村くんは、首に掛けていたタオルで顔を拭きながら、あたしの質問を聞き返した。


「慶がどうして練習に来ているのかって、聞いているの」


「ああ、そういやぁ居るよな?」


 田村くんはあたしの質問をやっと理解してくれたのか、アウトコートでラケットを手にして順番を待っている慶に視線を送った。


「出来るから来てるンだろ?」


「え?」


 意外な答えに、あたしは驚いて思わず聞き返してしまった。


 慶の利き手である右の手首は確かヒビが入っていて、安静にしないといけないはずだ。以前、事故で骨折を体験した事があるお父さんから、歩くだけで傷に響いて痛かったとその時の事を聞かされていたから、少しならどんな具合なのかは想像が付く。


 慶の場合はヒビだけだからかも知れないけれど……それでも心配になって来る。


 やっぱり怪我しているんだもの。痛くないハズなんて無いわよ。


「だ、だって利き手を怪我してて……ラケットなんか持てないでしょう?」


「いや? アイツ、左でやってるぜ?」


「え?」


「だから、左手で練習してンだよ」


「え?」


「なんだ? 知らなかったのか? アキバケイは元々左利きだったんだってよ。昔、注意された事があって、無理矢理治したって言ってた。でも、クセは抜け切れてなくて、今でも給食でミカンが出たら、左で皮を剥いてるんだぜ?」


「え……?」


 そ、そうだった……かしら?


 今まで気にしたりはしなかったから、よく覚えていないけれど……言われてみれば、慶は左手でミカンの皮を剥いていたような気がするわ。それに、確か慶のお父さんが左利きだった。



 遺伝的な事はよく判らないけれど、ずっと昔……幼稚園の頃に、クレヨンの持ち方を先生に注意されて、慶が泣いて怒った事を思い出してしまった。


 慶が泣いて怒ったのは、あたしが知っている限りでは、後にも先にもその事だけだったように思う。おとなしい慶が泣き出すのはよくある事だったけれど、注意されて逆ギレした慶を眼にしたのはそれ一回きりだったはず。


 以来、慶はあたしの知っている、臆病で泣き虫の慶に戻ってしまった。


 たった一度だけだったし、まだ二人とも小さかった頃だったから、印象が強くても忘れてしまっていたのだわ。



 あたしは意識して、もう一度アウトコートに居る慶を観察した。


 慶の右手は包帯でまだぐるぐる巻きだったけれど、今は肩から三角布で吊るしたりしていないし、ラケットを左手に持って自分の順番を待っている。


 時折、左手の感覚を確かめているのか、何度もラケットのグリップを握り直してその度に下を向き、手元を確認している素振りだった。



「自分から直接本人に聞けば良い事じゃねーの? そんなに気になるのか? アキバケイが」


 田村くんは意地悪そうにニヤニヤ笑いながら、あたしの顔を覗き込んで来た。


「ちっ、違うわよ」


 あたしが慶を不安そうに見詰めていたものだから、田村くんから誤解されちゃったみたいだわ。


「ふーん『違う』ってか?」


「あ、当たり前でしょ? な、なんで田村くんがそんな事……」


 田村くんは慶よりも少しばかり背が高いし、身体も大きい。そんな田村くんから顔を覗き込まれてしまい、あたしは近過ぎる彼の顔の位置に驚いて、思わず身体を引いてしまった。


 田村くんの強引な接近に、あたしはドキリとした。ほっぺたが熱くなって痺れているみたいな感覚に、あたしはハッとして顔を伏せてしまう。


 な……なんでこんなに近くに居るのよ?


 女の子との距離が判っていないのかしら? もう、近付き過ぎだわ。


「じゃあさ、今度俺に付き合わない?」


「……え?」


 なに? その『付き合う』って、どう言うコト???


 あたしの頭の中で、疑問符が乱舞した。


『付き合う』って、友達として? 


 それとも……? 


 田村くんから、なんだか物凄い事を聞かされたような気がしたのだけれど……今のはあたしの聞き違い?


 友達として改めて付き合う様な余所々しい仲じゃないし、そもそも彼が部活に……その、強引だったけど誘ってくれたから、あたしは成り行きで仕方なく入部してしまった。


 普通に友達として、こうして会話が成り立っているのだから、この場合、田村くんの言った『付き合う』とは違うような気がするし。




「あー居た々、香代~! 次ぃ~、アンタの順番だよー!」


 居なくなったあたしを見付けて、姫香が向こう側の離れたコートから大声を張り上げ、あたしに向かって手を振った。


「……」


 女の子同士なら、買い物とかに誘う時気軽に『付き合って~』なんて言われたりするけれど、男の子からでもそう言うのってアリなのかしら? そんな言葉を掛けられた事が無かったから、あたしは自分の都合の良い聞き違いなのかも知れないと、自分の耳を疑った。


「なに固まってンだよ? ホレ、川村が呼んでるぞ?」


「あ? あ……ああ」


「なに? ぽ~っとしちゃって。連絡、遣すからさ、楽しみにしていなよ」


「……ち、ちょっと……待って! あたしは何も、返事なんかしていないわよ?」


 慌てて言い返したけれど、田村くんの姿はもう無かった。


 田村くんも男子部員から声が掛り、彼は爽やかに笑って練習コートに戻ってしまったのだ。


「……」


 強引な田村くんに振り回された気がして、少しばかり不愉快な思いを抱いてしまう。



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