第30話 お守り役
急に百瀬先輩は立ち止まり、思い詰めたような顔をしてあたしに向き直ると、ずいっとあたしに顔を近付けた。
「い~い? 黙っていたって自分の想いなんてのは、行動に移さない以上、相手に伝わったりなんかしないものよ? 特に相手が鈍感男だったら尚更だわ」
「えっ?」
先輩のいきなりな説得に、あたしは思わず混乱して退いてしまった。
「『逃がした魚は大きい』って事……どうしてこんな面白くも無い話を思い出して、あたしがわざわざ香代に話したのか判ってる? 香代見ているとイライラするのよ」
「??? ……な? き、急にあたしに振って来られても、何のことだか……」
「ほら! また惚けて逃げてる。怒るわよ?」
「そ、そう言われたって……」
ムキになった先輩の迫力に気圧されて、あたしは委縮して俯いてしまった。
先輩の言わんとしている事も、そして、先輩があたしと誰の事を指して言っているのかだって、ちゃんと判っている。
……ただ、自分の本当の気持ちが判らないだけ。
自分の気持ちが慶に傾いているのは、それは慶の『幼馴染のお守役』って言う特権からまだ解放されていないから……なのだと思っている。だからどうしても慶の事が気になってしまうのだと。
「本当に……いいの? このままで……?」
「す、すみません先輩……あたし……あたし自分でもよく判らないんです……」
幼馴染としての慶が好きなのか、それとも異性として意識しているのかだなんて、今のあたしには判らない。
でも、あたしがこうして立ち止まっている間にも、周りの状況はどんどん変化して行くし、慶だっていつまでも子供のままの『あの時の慶』じゃない。
そんな事、先輩から言われなくったって判ってる。
「な、なんで香代が謝るのよ? あたしはてっきり……」
「……先輩ぃ」
あたしの事を気遣ってくれる先輩の気持ちが嬉しくて、思わず顔を上げた。
先輩はあたしとしっかり眼が合ってしまい、少し恥ずかしくなったのか照れた素振りであたしから視線を逸らせる。
「な……そ、そんなキラキラした眼で見ないでよ。あ、あたしまで恥ずかしくなっちゃうでしょ?」
「す、すみません……」
「だから、謝らなくったっていいから」
「すみません」
「またぁ~そう言う」
条件反射みたいに反応するあたしに困ったのか、先輩は怒らせていた肩をすとんと落として息を吐いた。
そして「お節介……だったかしらね」と小さく呟いた。
* *
次の日の朝、慶の家の前に黒塗りの高級車が止まり、運転手さんが降りて来て慶のお母さんと言葉を交わした後、家から出て来た慶を無理矢理高級車に押し込んで連れ去ってしまった。
丁度登校しようとしていたあたしは、眼の前で起こった非日常的な出来事に驚いてしまう。
「お、おばさん」
「あ、香代ちゃんおはよう」
慌てて駆け寄ったあたしに、おばさんはいつもと変わらない笑顔を向けてくれた。
「お、おはようございます。あ、あのっ、い、今の……慶くんが……?」
連れ去られてしまったように見えたのだけど?
「ええ、先方には大丈夫だからって言ったのだけどね。あちらのお嬢さんが凄く気にされていて……」
「は……ぁ……」
おばさんの話で、その高級車を誰が遣して来たのかが直ぐに判った。亜紀は足首の捻挫で歩行困難だから車で登校するのは判るけれど、手首を怪我しただけの慶に車での御迎えは少し大袈裟なのじゃないかしら?
「慶も歩いて行けるって言ったのだけどね? 先方がどうしてもって……」
「あの、おばさん? 慶くん、さっき腕を吊るして……」
あたしは慶が三角の白い布を肩から吊るしていたのをしっかりと見てしまった。しかも、手首から肘の辺りまで包帯でぐるぐる巻きになっていたし。
「ああ、あれね? 大した事は無いのよ? 少し骨にヒビが入っちゃってたみたいだけど、お医者からは少しの間動かさないでねって言われただけだし、本人は平気だって言ってるから、大丈夫よ? 心配しないでね?」
「……」
『心配しないでね?』……なんて言われたって……心配するわよ。
骨にヒビが入っていただなんて……
お互いに不注意だったとは言え、あたしは亜紀の気持ちを察して、暗くなってしまった。
慶は男子部員の中でもテニスが上手な方だ。噂では今度の新人戦で、もしかしたら上位入選するかも知れないと、先生方が期待しているのだと聞いた事があったもの。
そんな慶が亜紀とぶつかって怪我をした。しかもそれが慶の利き腕の右手首だったなんて。
亜紀じゃなくたって、罪の意識を感じてしまうわよ。
そう思ったのだけど……
亜紀は慶とあたしが居るクラスとは別のクラスだ。
なのに、時間があれば頻繁にクラスに遣って来ては、あれこれと世話を焼きに来る。
「あ、秋庭くん……二時間目音楽室でしょう? 荷物、持つわ」
「い、いいよもう……自分で行けるから。遠藤さんこそ……」
「だ、駄目よ? 無理しちゃ。暫くは安静にしておかないといけないって……そ、その、お医者さんから言われたでしょう?」
聞いているこっちが恥ずかしくなって来るわ。
二人はお互いに顔を真っ赤にさせて恥ずかしがりながら、こんな遣り取りをもう朝から何度も遣っていた。
最初はクラスの男子が面白がって冷やかしたりしたけれど、録画再生を見ているような進歩の無い遣り取りに白けてしまったのか、やがて誰も相手にしなくなってしまった。
時間が経つに連れてあたしには、はにかみ屋の亜紀が慶の怪我を口実に押し掛けて来ているように思えて……そして、口では断っておきながら満更悪くは無いような素振りを見せる慶に、何故だか不快感を覚えてしまった。
――なんでだろ……? 二人を見ていると苛々する……
優しい亜紀だからこそ、こうして慶にお詫びの心算で遣って来ているのだと判って居ながら、苛立ってしまい、ワケの判らない自分に嫌気が差してしまう。