第28話 亜紀と慶…2
本当に大丈夫なのかしら?
慶はみんなにそう言っていたけれど……男子キャプテンと短い遣り取りをしていた間に、慶が庇っていた右手首は、見る々うちに赤く腫れ上がっていった。
キャプテンが『ねんざ』したのかと言っていたけれど、『ねんざ』ってあんなに腫れちゃうものなのかな?
亜紀は慶とは反対で、もの凄く痛くそうだった。
最初は慶がおんぶして連れて行くよと言ったけれど、慶も怪我をしているのにそんな事はさせられないと、男子キャプテンが身体の大きい田村くんに亜紀を保健室へ連れていかせようとした。
でも、亜紀はこれ以上迷惑は掛けられないからと、今にも泣き出しそうな顔をしてキャプテンからの勧めを拒み、独りで行くからと言い張って両キャプテンを困らせた。
見兼ねた慶が肩を貸して亜紀を連れて行くことになったけれども、それでも亜紀は恥ずかしがってなかなか慶に触れようとはしない。
「……」
あたしは小さくなって行く二人の後ろ姿を、複雑な想いで見送っていた。
保健室がある校舎に二人が辿り着くまで、亜紀はずっと片足ケンケンで移動して、痛めた右足は一度も地面に着けたりはしなかった。ケンケンが辛くなった時の少しの間だけ慶に肩を貸して貰っている亜紀の姿が、妙に脳裏に焼き付いて離れない。
来月予定されている新人戦まであと僅か。もちろん、二人の怪我の事も気になるし、心配だった。
でも……
亜紀は慶の事が好き……なんだよね?
そして、慶は……
――慶は亜紀みたいな女の子が好みだったよね……
夏祭りで慶と二人っきりになれたあの時、肝心な部分が周りの雑音に掻き消されてしまい、全く聞き取れなかったけれど、慶は『すぐに想った事が顔に出て嘘が吐けなくて判り易い』……亜紀みたいな女の子が好きなんだよね?
練習中、不安な想いは一向に晴れず、心の隅に湧き上がった黒い暗雲はどんどん拡がって行った。そしてあたしの身体に重く圧し掛かり、ボールへの反応を更に鈍くさせていた。
「土橋さん、ちょっと……」
「はい」
練習とは言え、三ゲームともストレートで落としてしまったあたしは、ゲーム終了後にキャプテンから呼び出されてしまった。
「貴方が呼ばれたの、理由はもう自分で判っているわよね?」
「……はい」
あたしはキャプテンが何を言いたいのかすぐに判り、肩を落としてがっくりと項垂れた。
ゲーム中は凡ミスの連発。あたしとペアを組んでいた松木さんが怒ってしまうのも仕方が無い。
「仲の良い遠藤さんが怪我をしてしまって、気になるのは判らなくも無いけれど……本人は大丈夫だと言っていたのだから、貴方も彼女の言葉を信じてあげなくてはね。幾ら練習だからって、試合中では泣き言は言えないわよ? もっと気持ちを切り替えて ※)コンセントレーションを上げて行かないと。今が大切な時期だって事を忘れているの?」
「い、いえ……判っています……」
ううん、判っていなかったから負けたんだ……
「土橋さん、下を見ないでこっちを見なさい」
「……はい」
穏やかに諭すよう言ったキャプテンの声に、あたしはなかなか顔を上げることが出来なかった。
あたしは一度も勝てなかった理由を、慶と亜紀の怪我のせいにして、尤もらしい言い訳をしていたんだ。ううん、違う。怪我は単なる口実で……本当は二人の仲が気になって仕方が無かったから……想像の域を出ない『仮定』としての妄想で、自分の不安を煽っていたから……こんな結果になってしまったんだ。
あたしは自分が情けなくて堪らなかった。
* *
練習が終わり、コート整備も完了して部室に戻ると、先に部室に入っていた先輩方は、怪我をした二人の話題で持ち切りだった。
三年の先輩方は、顧問の先生が不在の時に起こった予測可能な怪我に、責任を感じて落ち込んでいる。その先輩方を慰める人が居れば、一方的に慶が悪いとして男子に責任を押し付けようとする人まで出て来る始末。
あたしはそのどちらでも無いと思った。
ぶつかった二人の注意力が足りなかったせいももちろんだけれども、慶の試合に気を取られてしまい、二人の危険を予測出来なかったあたし達にも、全く責任が無かったわけじゃ無いと思うもの。
「亜紀、どうなったのかなぁ……」
姫香が心配そうにぽつりと呟いた。
男女合わせると二クラス分が簡単に出来るほどの大人数。部員全員が保健室に押し掛けて行くわけにはいかないので、先輩からは様子見は控えるようにと先に言われていた。
「ねえ、亜紀に会いに行かない?」
あたしは着替えをしながら、隣で同じく着替えをしている、元気の無い姫香に声を掛けてみた。先輩は『控えろ』と言っただけで『行くな』とは言っていない。
てっきり姫香からは、OKを貰うものだとばかり思っていたのに……
「ごめん香代。あたし……実はこれから用事なんだ」
「えっ?」
「だから、亜紀の事が気になってても、時間が無くて行けないの。ホント、ゴメンね?」
手早く身支度を済ませた姫香は、あたしに向かって拝むように両手を合わせると、胸の前で右手をひらひらと左右に振ってサヨナラをする。
「え……?」
先に部室から消えて行く姫香の姿を追って、虚ろになったあたしの視線が漂った。
「あーら、香代。姫香はあんたよりもデートの方が大事みたいだわね?」
あたし達の遣り取りを見ていた二年の先輩が ※)勿体を付けてそう言ったけれど、あたしは先輩にそれが何故なのかを問い質す気力さえ失くしていて、姫香が消えた部室のドアを見詰めたまま、呆然と立ち尽くしていた。
「なになに?」
あたしの代わりに他の先輩が話に参加して来る。あたしに話を振った先輩は、乗って来ないあたしを無視して勝手に喋り始めた。
「あのね、先週の土曜日にさ、姫香と新田高の男子が二人で歩いていたのを見ちゃったのよ」
「ええ~~~? それ、本当に高校生?」
「うん。だって鞄、新田の校章だったもん」
「姫香やるぅ!」
あたしにわざと聞こえるように話す二年の先輩方。
あたしは『心配だ』と口に出しておきながら、怪我をした亜紀の様子を知ろうともせずにさっさと帰ってしまった姫香の行動が信じられなかった。
三人の中ではいつも姉御肌であり、あたしなんかよりもずっと亜紀と仲が良いのに……
姫香の事を疑い始めると、先輩方のひそひそ話で裏付けされてしまい、それが単なる噂じゃ無く本当だったのではないかしらと錯覚を起こしてしまいそうになる。
どうして? 姫香ってそんな女の子だったの?
友達が怪我をしたのに、彼の方を優先してしまうような子だったの?
※)コンセントレーション : ボールや相手の動きに精神を集中させること。精神統一。
※)勿体を付ける : わざと深刻に振舞う。