第27話 亜紀と慶…1
「でも、慶くんと話せて良かったじゃない。あんたは昔、慶くんの面倒はあたしが見るのって言っていたからねぇ」
「や、ヤダお母さん……」
お母さんは一体いつの頃を思い出しているのよ? 少なくとも、小学校低学年の頃はそう言っていたのかも知れないけれど……大昔の事を引き合いに出されても、あたしだって困るわ。そんなのって、もう『時効』よ。
だけど……お母さんから冷やかされてしまったけれど、あたしは少しだけ気持ちが上向きになった。このまま、以前のように慶と仲良く出来ればいいな……
そう思っていたのに……
* *
新人戦が近付いて来ていたある日の事、双方の顧問の先生が不在で、本番さながらの試合形式でゲームを遣っていた時に起こった。
「アキバケイ! 任した」
「オッケ!」
ダブルスで後衛を受け持って居た慶が、相手コートからの高いロビングボールをしっかりと眼で追い、軽快な足取りで後退しながらバックスイングの体勢に入った。
この時、あたしは慶の隣のコートが空く、順番待ちをしていた。
相変わらず隙の無い構え方をする慶に、あたしは少しだけときめきみたいなものを感じて、慶の姿を眼で追ってしまった。
丁度、隣で練習していた女子部のコートから転がったアウトボールを、亜紀が必死に追い掛けていたのに、殆どの部員が慶のストロークが決まるかどうかを見届けようとしていて、二人のニアミスに寸前まで気が付いてはいなかった。
「亜紀! 避けて!」
「っああ、ヤバイ! アキバケイ!」
「STOP!」
「ぶつかる!」
二人の危険に気付いた部員達がそれぞれに警告するけれど、『わー』と言う悲鳴に似た声に掻き消されてしまい、あっと言う間に二人はお互いに気付かないままぶつかった。
慶は背中を丸めて屈んでいた亜紀に足を掬われるような格好で転倒してしまい、乾いたグラウンドコートから、土煙がもうもうと舞い上がる。
「いたた……」
後ろから転んで、背中を強かに打った慶が呻いた。
「きゃぁー! 亜紀ぃ!」
「大丈夫かっ!?」
「アキバケイ! 早く退きなさいよっ!」
姫香の金切り声が炸裂する。
慶の下敷きになってしまった亜紀は、部員どころか隣で練習していた陸上部や校舎テラスに居た吹奏楽部等の他の部員達から一斉に注目を浴びてしまい、真っ赤になって顔を伏せた。
「大丈夫? どこか痛く無い?」
「大丈夫かっ?」
姫香とあたしが慌てて駆け寄った。男子部員も駆け寄って、二人の無事を確認する。
「う、うん……」
「ごめん、遠藤さん。怪我しなかった?」
慶が慌ててグラウンドに正座して、亜紀の無事を確認する。
「だ……大丈夫……です。すみません、秋庭さんこそ怪我はない?」
「あ? ああ、別にどこも……って、痛ッ!」
亜紀の無事な表情を確認してホッとしたのか、慶は利き手に痛みを感じ、右手首を庇って蹲る。
慶達の隣のコートでゲームをしていた先輩方も、ゲームを中断して遣って来た。
「転んだ時に、捻ったんだろう。秋庭、保健室に行って来い!」
「っは、ハイ……」
痛さに顔を顰めながら、慶が先に立ち上がった。
あたしは利き手を痛めた慶の事が心配だったけれども、慶には男子部員が大勢居るし、きっと大丈夫だよと自分に言い聞かせる。それよりも、身体の大きい慶の下敷きになっちゃった亜紀の方が可哀想だ。
「亜紀、立てる?」
「う……うん……!」
亜紀は両手を着いて、慎重に立ち上がろうと右足に力を入れた。
「亜紀っ?」
「い……た……」
途端に亜紀のバランスが崩れて、糸の切れた操り人形みたいにその場に崩折れそうになった。
みんなが息を飲んで亜紀を見守ってしまった瞬間、先に立って亜紀の様子を窺っていた慶が、倒れ掛けた亜紀の左腕を掴んで、タイミング良く引き寄せた。
慶に支えられて事無きを得た亜紀は、もう耳朶まで真っ赤だ。今にも破裂しそうなくらい心臓がドキドキ音を立てているのじゃないのかしら。
「ごめん。遠藤さんに怪我させちゃったみたいだ」
「あ、あのっ、そ、そんな……そんな事な、無いです。あ、ああ、あたしが周りを見ていなかったからこんな事に……あたし……あ、あたしの方こそすみません」
「うわっと?」
亜紀は慶に支えて貰っていたのを忘れてしまい、深々と頭を下げた。
急に亜紀から体勢を崩されてしまい、亜紀の『重心』を見失った慶がバランスを崩しそうになってうろたえる。
女子部のキャプテンも騒ぎを聞き付けて遣って来た。
「二人とも保健室で見て貰いなさい」
「はい」
「付き添いは必要かしら?」
「いえ、大丈夫です。平気ですから」
慶の返事を聞いた両方のキャプテンは二人を保健室に向かわせると、他の部員に緊急招集を掛けて、注意喚起を促した。