第16話 拾われたチョコ
「ああ―――!」
あたしは宙に舞った自分のチョコを眼で追い掛けた。
五個入っていたチョコのうちの二個が箱から勢いよく飛び出して、教室の床に落ちてしまう。
「ごっ……ごめん! 香代っ!」
さすがにこれはいけないと思ったのか、姫香は両手を自分の顔の前で合わせてあたしを拝むように平謝りする。
あたしとしては、誰にも渡すつもりがなくなっていたチョコだもの。別に食べられなくなったって……いいもん。そのつもりも無かったのに、勝手に持って来てしまったあたしが悪いのだし、こんなことになっちゃって逆に姫香が可哀想に思えて来る。
「い、いいよ。別にそれ持って帰ろうと思って……た……?」
チョコを持って来ている時点で、あたしは姫香達に嘘を吐いて裏切っているもの。そんなあたしが、謝る姫香を責める訳にはいかないわ。
落ち込む姫香に慌てて言葉を掛けようとしたけれど……でも、ちょっとだけ悲しくて、まともに姫香と視線を合わせられなかった。
それに、クラスのみんながずっと見ている眼の前で、チョコを落としてしまったもの。
あたしは所在なく視線を泳がせてしまい、床に転がったチョコの一つを見付けて肩を落とした。
すると、男子の履いている青いゴムの縁取りがしてある上靴が歩いて来て、落ちたチョコの前で立ち止まった。
あたしはその上靴が容赦なくチョコを踏み付けてしまうのではと思ってしまい、悲鳴を上げそうになる。
ところが、立ち止まった上靴の持ち主は、上体をぐっと屈めて落ちたチョコを摘まみ、拾い上げた。
「ふーん、今年のはアレンジしてんだ……」
「な……?」
あたしは、チョコを拾った相手を見て驚いてしまった。
そろそろ散髪すればいいのにと思うような黒い髪に、部活で毎日日焼けして下地を作ってしまった小麦色の肌。練習している時は眼付きも全く違っているけれど、今は草食動物を連想させるような穏やかな瞳をしている慶が、あたしのチョコを拾って眺めていた。
拾った相手がまさか慶だったとは思いもよらず、固まって動けなくなってしまった。そして慶が拾ったチョコをどうするのかが気になってしまい、息を飲んで慶の一挙手一投足を見守った。
「あ?」
慶はあたしの方をちらりと見るなり、拾ったチョコをカップから取り出すと、素早く自分の口の中に放った。
「あ……あ……」
「たっ……食べた! お、落としたチョコ……ひ、ひ、拾って……」
亜紀も姫香も驚いて退いちゃっている。
あたし達の咎めるような視線を感じた慶は、珍しくニヤリと不敵に笑って見せた。
「うん? こんなの三秒以内に拾って食べれば大丈夫だって。それに、カップに入っているし、大丈夫だよ」
慶は口をもぐもぐさせながら、落ちていたもう一つのチョコも拾って食べてしまった。
「美味かったよ。はい、ゴミ。で、その手に握り締めてるのと交換な?」
「う……」
「はい、これ」
落ちたチョコを拾って食べられてしまった事がショックだったのじゃなくて、あたしは慶に食べられてしまった事の方がショックが大きかったのに……
あげるのを諦めていたチョコだったのに……
それまで見た事が無かった慶のワイルドさを目の当たりにしてしまい、あたしは完全に気圧されてしまった。思わず握っていた破れた箱を慶の言う通りに差し出して、慶の手にしたカップの屑と交換してしまう。
「おー、アキバケイ。今日コート整備だから先に行くぞー」
「ああ、待てよ、今行く。じゃ……」
先に教室から門田くんが出て行った。
慶も今日は準備当番らしく、破れてボロボロになってしまったあたしのチョコを、バッグに押し込むと、急いで門田くんの後を追った。
……一体どう言うつもりなの?
慶が言う『三秒以内』説、二つ目のチョコは三秒以上落ちているから当て嵌まらないし、説得力が無いしわよ?
「あ……あ……」
あたしは予想外の出来事に、開いた口が塞がらない。
「いや、ちょ……」
「かっこいい……」
姫香と亜紀の蕩けるような声で、あたしはハッと我に返った。見れば、姫香も亜紀も顔を赤くして慶の消えて行ったドアの向こうに、うっとりと視線を送っている。
渡すつもりが無かったけれど、結局は慶の手にチョコが渡ってしまったと言うのに、二人とも怒らないの? 二人が想っている『慶に』……なんだよ?
「女の子に恥を掻かさないだなんて……さすがは秋庭くんだわ。やっぱあたしの眼に狂いは無いのよ」
「だよねー」
そう自信満々に言い切った姫香は、今日何人の男子にチョコを配っていたのよ? まあ、亜紀は別だけれども。
あたしは……
あたしは二人とは少しだけ違っていた。今度こそお約束行事を止めようと思っていたのに、結果的には成り行きとは言え、また慶にチョコをあげてしまったのだし……
落ちたチョコを拾って食べちゃうだなんて……
落ちたモノなんか拾って食べたら、お腹壊すんだから……
「……あれ?」
姫香達の様子を微笑ましく思って見ていたら、なんだか胸がドキドキしちゃってる。
なに? この動悸は?
クラスのみんなが見ていた……から?
意識したくはなかったけれど、気にしちゃ駄目と思えば思うほどドキドキが治まらなくて苦しくなってしまうのに、益々意識してしまう。
以来、慶と顔を合わせればこのドキドキが起こるようになってしまった。お陰で慶とはずっと顔を合わせられなくなってしまい、あたし達はそのまま小学校を卒業して、地元中学の藤沢中学校へと進学した。