第13話 バレンタイン…(前編)
あれからほぼ一年近く、あたしは慶とは殆ど口を利かなかった。
利かなかったというよりも、あたしが利きたく無かっただけで、慶からは相変わらずあたしに平気な顔をして話し掛けて来るし、何事も無かったみたいに振舞っている。あたしが慶の話をまともに取りあおうとはしなかっただけなのだ。
修学旅行のあの事は未だ誰にも知られてはいないし、みんなが宮岡君の部屋に集合していた時に、あたしと慶が会っていたなんてことも、誰にも知られてはいない。
ただ、あたしの近くに居る姫香と亜紀はあたしの変化に気が付いたらしく『どうかしたの?』と聞いて来たけれど、慶の話題を振る度に不機嫌になるあたしを嫌ってか、それともあたしの事をライバルの射程外だと思って安心たのかは定かじゃないけれど、あたしの前では余り慶の話題を口に出さなくなっていた。
「ねぇ、週末に菓子夢のショコラティエにチョコを見に行かない?」
「え~、でも自転車だと、ちょっと遠いよー」
「お母さんがお店の近くに用事があるんだって。三十分くらいだけど、行かない?」
「行くぅ!」
三人の中で一番の甘党であり、市内のお菓子屋さんがオープンすれば必ず行ってチェックを欠かさないと言う、自称スウィーツ評論家の亜紀の提案に、早速姫香は賛成した。
小学校最後のバレンタイン。
亜紀は密かに慶への想いをずっと温めて続けているのだ。
姫香はと言えば、広く浅くをモットーに、目星を付けた男子へのアプローチに余念が無い。本人は否定しているけれど、慶の事も少しは気になっているみたいで、何かと言えば慶に絡もうとしているのが見え見えだった。
「香代はどうする?」
「行くんでしょ?」
「え?」
二人の会話を上の空で聞いていたあたしは慌てた。
そう言えば……去年までは慶にチョコあげていたんだったっけ……市販のミルクチョコを買って来て、湯せんで溶かし、星型やハートの可愛い形をしたアルミカップに入れてラッピングしたものを。
でも、それは幼稚園に行っていた時に、慶が誰からも貰えないって言っていたからあげたのが切っ掛けであって……ただなんとなくチョコを義理であげていたのが習慣になっちゃっただけ。
そう。義理よ、『義理』。少なくとも、真剣に想っている亜紀は慶にあげるだろうし、もしかしたら姫香だって『乗りだよ~』なんて言ってごまかして、慶にあげるのかも知れない。
だから、あたしの役目はもう終わり。
義理であげたりなんかしなくても、慶にはちゃんと貰える子が居るんだもの……そう思ったら、急に胸が苦しくなった。
あたしは不思議な胸の痛みを感じながら……それでも二人の提案を拒否した。
「あ……あたしは……パス」
「えぇええ~?」
姫香が大袈裟に驚いた。そして『香代も秋庭くんにあげるのじゃなかったの?』と付け足した。
『も』……って事は、姫香も慶にあげるつもりだったんだ。だったら尚更あたしがあげるまでも無いじゃない。それにあたしが参加すれば、チョコをあげるライバルが増えるだけなのに、姫香はそんなこと気にしないの?
「だって、チョコをあげたい男子がいないもの」
「秋庭くんにあげないの?」
亜紀が姫香の言葉を言い換えて、繰り返し聞いて来た。
「うん。悪い?」
乗りの悪いあたしの返事で水を差されたと思ってしまったのか、二人はそれっきりチョコや慶の事を口にしなくなってしまった。
* *
「じゃあね、また明日」
「ばいばい」
その日の下校時、あたしはいつもの所で二人と別れたけれど、休憩時間の時のチョコの会話が気になって、なんとなく家に真っ直ぐに帰る気にはならなかった。
あたしは気の向くまま歩いて……気が付けば、家と全く反対方向にある高級デパートが立ち並ぶ通りに来ていた。
来週のバレンタインイベントにお客をお店に呼び込もうと、どのお店も必死だ。
あたしはお店から少し距離を置いている路線バスの待合ベンチに座ると、売上に必死なお店の人や、道行く人達をぼんやりと眺めた。
クリスマスもお正月も、門田くん達男子の企画で会場を確保して、姫香や亜紀をはじめクラスのみんなと楽しく過ごせたのだけれど……バレンタインとなると話は別だわ。
バレンタインの本当の意味をまだ理解出来ていなくて、ただ女の子から大好きなチョコが貰える……くらいにしか理解していなかった頃の慶に、あたしも深い意味を知らずに、ただなんとなく作ってあげていただけだもの。
そんなバレンタインに意味なんか無いわ。『乗り』であげていたチョコは、もう卒業しなくっちゃ……
そう思っては見たものの……
他にチョコをあげてもいいなと思う男の子なんて想い浮かばなかった。しかも、なぜか『他の男の子』のキーワードに反発して、刷り込まれたように慶の顔がばんばん頭の中に浮かんで来る。
眼の前を足早に歩いて行く人達の何割かはカップルで、彼氏と一緒のお姉さん達。腕組をしたり、中には肩を彼氏に抱いて貰って幸せそうに微笑んでいるお姉さんも居る。
単純に、羨ましくていいなと思った。
あたしもいつかはああやって、腕を組んだり肩を抱いて貰って一緒に歩いてくれる彼氏が出来るのかしら……ううん、出来て欲しい。
そう思っていたら、唐突に眼の前を通り過ぎたカップルの男の人の顔が、慶の顔に見えた。
「……」
なんで……慶の顔が……?
あたしは一人で真っ赤に赤面している事に気が付いた。
別にあたしを意識して見ているはずもないのに、道行く人達から見詰められた気がして、更に恥ずかしくなってしまった。