第104話 運命の女神様…13
「インターネットって、香代が書き込んだ?」
「ううん、あたしじゃないよ。姫香」
そう答えると、慶は『ふうん』と鼻を鳴らして、あたし達が手にした『幸運』を納得していたみたいだった。
「なんか……ちょっと意外だったな。川村は僕を嫌っていると思ったから」
そして、慶のやや後ろに付けて自転車を漕いでいるあたしをチラリと見ると『ああ、そうか。香代が居たから。それで……』と呟く。
「なに? 独りごと?」
「いや、助かったから……さ。実際、川村に助けて貰ったようなものだろ?」
そうだよね。独りで孤独に頑張るのも『在り』かも知れないでしょうけれど、こうして眼に見えなくても誰かに応援して支えられて貰っていると思うと、心が温かくなって来る。すぐ近くに居なくても、姫香の心がすぐ傍に来てくれて、繋がっている気がして心強いわと思うもの。
「見えた!」
慶の声を合図に視線をぐっと上げると、ライトに照らされている大きくて白い建物があたしの視界に飛び込んで来た。
「あともう少しだから。香代、頑張れ」
「うん!」
慶の声に元気付けられながら、あたしは夢中でペダルを漕ぎ、慶の自転車の後を追った。
大学病院の外来診察は午後五時半まで。一般のお見舞いは七時までになっていて、正面出入り口はロックされてしまう。それ以降の時間帯では、急患の出入り口を利用する事になっていて、そこは正面玄関よりもずっと奥になるのだと、来る途中で慶が説明してくれた。
真っ暗な外の様子から、既に八時は過ぎている。
どうしよう。美咲姉さんと連絡が取れないまま、あれからもう何時間も過ぎているのだわ……そう思って急に怖くなった。
こんなに遅くなってしまったのは、あたしが勝手に付いて来て慶を困らせてしまったからだと、何度も自分を責めたけれど、どうしても慶を独りで行かせるのは心配で……じっとただ連絡を待っているのは耐えられそうになかった。
一緒に付いて行きたかったし、何より慶の事を放っては置けなかったから……慶を応援してあげられるのは、あたししか居ない。そんな自惚れた気持ちが心の何処かにあったのかも知れない。それに、慶のお母さんの事だって心配で、胸が張り裂けそうだったんだもの。
駐輪場へ自転車を停めると、息を整える暇も無くあたし達は我先に病院の館内へとダッシュする。
慶のお母さんが手術前に居た病室は、六階の外科病棟。そこの待合室に美咲姉さんや慶のお父さんが待って居る筈だ。
あたしは息を乱し、必死になって慶の後を追う。
慶のお母さんの事が気掛かりで堪らないけれども、疲れているせいかここでも慶から距離を空けられてしまった。悔しいけれど、身体が思う様に反応してくれない。気持ちだけが焦って空回りしていると思った。
『もう……ダメっ。慶、先に行って……』そう言おうとした瞬間、ほぼ同時にあたしの右手を誰かが力強く握った。
「え……?」
顔を上げてあたしの手を握った相手を見ると、慶が軽く笑顔を浮かべている。
「行くよ?」
「っち、ちょっ……」
慶はあたしの右手を引いて再び走り始めた。
就寝前の院内には、まだ患者さんや看護師さん達が出歩いている。あたしはその人達の視線を気にして恥ずかしくなり、かあっと身体が熱くなってしまった。
あれだけの距離を自転車で走破して、まだこの院内をあたしの手を引きながら走っている慶の持久力に驚いてしまった。しかも慶があたしの事を見捨てずに、ここまで連れて来てくれたなんて俄かには信じられなくて……でもそれがとても嬉しい。
あたしは慶の誠実さと優しさに触れた気がして、心が温かくなる。
――慶はこんなに優しいのに……神様、運命の女神様。どうか慶のお母さんを……慶のお母さんを連れて行ったりしないで!!
慶に手を引かれながら、あたしは心の中で懸命に祈った。
慶の普段の行いが良かったのか、それともあたしのお願いを神様が聞き届けてくれたのか……あたし達が六階の病棟待合室へ行くと、居なくなった慶とあたしを心配して不穏な空気に包まれた両方の家族が待って居た。
最初、神妙な空気に早とちりした慶が、壊れてしまいそうになったけれど、その空気の元が自分達だったのだと知り、そして慶のお母さんは無事だったと知らされて、張り詰めていた気が一気に緩んだあたしと慶はその場にへたり込んでしまった。
「よ……良かったぁ……」
――神様、運命の女神様、ありがとう……
安心したあたしは、訳も判らずに泣き出してしまった。