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第101話 運命の女神様…10

 剥きになった慶は、その言葉通り……あたしとの距離をじりじりと引き離して行く。


 慶を追い掛けているあたしには、現実に距離を取っている慶の背中と相俟って、慶の心までがあたしから引き離されて行くような不思議な感覚を覚える。


 慶が急いでいるのはお母さんの容体が気になっているから。あたしを気に掛けて居られない状況なのは判っている。


 だけど、あたしも急ぐから、せめてあたしが追い付くまで……待って……


 荒い呼吸はあたしの体力を容赦なく削り取る。梅雨本番前の独特の蒸し暑さが、全力で慶を追い掛けているあたしにはことさら堪える。


『待って……』そう何度も心の中で慶に呼び掛けるけれども、現実の距離はすこしも縮まらず、次第に距離が空いて行く一方だった。


 あたしだって毎日部活に励んでいるから、並みの男子よりも体力には自信があるつもり。こうして一緒に走っていても、決して慶の足手纏いになんかならないわと思っていたのに……


 気が付けば、慶から随分と遅れを取ってしまい、十分足手纏いになってしまっていた。そして、待って欲しいと慶に甘えている自分自身に気付いて、堪らなくなった。


 慶と言う幼馴染みを見縊みくびって、あたしの中にいる慶はいつまでも成長していない、気が弱くて随分情けない男の子なのだと勘違いしていた自分が恥ずかしくて……その事に中々気付かずに……ううん、本当は薄々気付いていたのに、それを認めたくなくて剥きになっていた自分が悔しくて情けなくて……


 そんな曲がった自分が可哀想で惨めだとさえ思ってしまった。



 あたしは悔しさを原動力にして、懸命になってペダルを漕ぎ慶を追い掛ける。


 さっきまで汗だくになっていた身体が、ある時期を境にして汗を掻かなくなり、身体が急に楽になった。それでも体中が燃えるように熱く火照って、手足の先が痺れ始める。自分が脱水症状になっているのだと気付いているけれども、先を急ぐ慶の脚は止まりそうにない。


 かと言って、見知らぬ土地の中途半端な道のりでリタイヤするなんて考えたくは無いし、どんなに苦しくったって、あたしが勝手に付いて来てしまったのだから、先を急ぐ慶のお荷物には絶対になってはいけないと何度も思った。


 慶の迷惑になっちゃ駄目……そう心に強く誓っても、既にあたしの身体は限界が来ていた。


 視界が急に狭くなり、周囲に注意を払う事が儘ならなくなって来る。


「きゃ!」


 逆走して来た小学四年生くらいの男の子の自転車と危うく接触しそうになり、あたしはハンドルをふらつかせて転倒しそうになった。


「香代!」


「……」


 今の情けないあたしを見られてしまったみたい。離れた所から慶の声が聞こえた。


 でも、疲労している上に脱水症状になっているらしいあたしの身体は、思う様には動いてはくれなかった。


「け……い」


 顔を上げて慶の方を見る動作さえ億劫だった。


 意識がもう飛んでしまいそう。


「香代っ! 大丈夫か?」


 今度はもっと近くで聞こえて、あたしは大きく眼を見開く。


 先を急いでいた慶が、あたしの事を心配して戻って来てくれた――そう思った瞬間、あたしは大きく息を乱した。


「なに……戻って来ているのよ……」


「でも、香代……」


「あたしの事は……い、良いから、慶は先に行きなさいよ!」


「……」


「行きなさいよ!」


 慶にはとても大切な目的があるし、あたしに構っていられる余裕なんか無いでしょう?


 あたしは自分の言葉通り、慶に置いて行かれるのだと覚悟を決めて固く眼を閉じる。


 置いて行かれるのは辛いし、嫌だけれども、慶の『来るな』と言う警告を無視して勝手に追い掛けて来たのはあたしなんだから。


 慶はあたしを置いて行く……そう思っていたのに……


「出来ないよ」


「……」


 苦しそうに言ったその一言が、一瞬であたしを弱くさせてしまう。


 それまで頑固に意地を張って、慶と張り合おうとしていたのに、急に張り詰めていた何かが音を立てて切れてしまった。不意に自分の涙腺が緩くなって、驚いたあたしは慌てて慶から顔を背けた。


 慶は先を急いでいるのにも関わらず、あたしに休憩を提案して来たのだ。


 しかも二人でなけなしの小銭を集めて、五百のスポーツ飲料をすぐ傍にあった自動販売機で購入して、一緒に飲もうと言ってくれた。


「やだ。要らない」


「どうして」


「慶が独りで飲めば良いじゃない」


 息を乱しながら自転車から降りたあたしは、歩道の縁石に越し掛けて、慶が勧めてくれるスポーツ飲料を頑なに拒んだ。


「香代、意地を張るなよ。汗がもう出ていないじゃないか。脱水症状になってるの、香代だって判ってるだろう?」


 そんな事……あたしだって判っているわよ。


 このボトル一本しか買えなかったのでしょう? それを二人で分けるにはどうすれば良いのか、簡単に思い付くじゃないの。


 でもそれは……


 あたしは慶とは別の次元で悩んでいるから、余計にそのスポーツ飲料へ手が出せ無くなっているのに、どうして判ってくれないのよ?


「あたしの事は良いから、慶はそれ飲んで病院へ急ぎなさいよ」


「そんな事、出来ないって言ってるだろっ!」


 急に声を荒らげた慶に驚いて、思わず肩がびくりと跳ね上がる。


 ……慶って、こんなに強い事も言える子だったんだ。


 それはきっと、小中学校のクラブ活動で部内のまとめ役を引き受けて、今も副主将として役目を果たして来ているからなのだと思った。


「ごめん。言い過ぎた。でも、僕も急いで病院へ行きたいんだ。だから香代もこれ飲んで元気になって。なんなら全部飲んで良いから」


 急いでいる慶には、あたしをこの場に置いて行く選択肢は無いの?


 恐る々見上げた慶の顔は……少しも怒ってなんかいなかった。勝手に付いて来て迷惑を掛けているあたしなのに。


 今なら素直に言えるかも知れないと思った。


「ありがとう。半分こ……しよう」


 蒸し暑い周囲の湿度に反応して、表面から水滴が滴っている冷えたペットボトルのキャップを捻った。


 爽快な音がして、あたしの心の中にわだかまっていた何かが一緒に弾けたような気がした。


「はい」


 あたしは中身の半分を先に飲み干すと、少しだけ勇気を出してボトルを慶へ差し出した。


「お、サンキュ」


 慶は待っていましたとばかり、全く躊躇しないでボトルに口を付けると、中身を一気に飲み干した。

「……しちゃった」


 ……間接キス。


「は? なにが?」


「なっ、なんでも無いっ! は、早く行こう」


「あ? ああ……???」


 あたしは勢い良く立ち上がった。


 猛烈な恥ずかしさがあたしを襲ったけれども、慶の鈍感くんに助けられちゃったみたい。

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