第1話 誤解からの出会い
他サイトで公開中『STEP!』(完結済)の彼女視点版です。
小学生最後のクラス替えが行われて、まだ日が浅かった三組の教室。クラス全員の顔と名前が一致していなかったあたしは、二人の女の子から声を掛けられた。
「ねぇ、あんたさぁ『アキバ系』ん家の隣に住んでいるの?」
「え?」
五時限目の授業が終わって、国語の教科書とノートを赤いランドセルへ片付けていると、クラスの女子二人が遣って来て、あたしに向かってそう言ったのだ。
「あんたさぁ、いつもそいつと一緒に帰ってんの? つーか、付き合ってるとか?」
「はぁ?」
初対面いきなりの失礼極まりない暴言に、かちんと来る。
『付き合ってる』……って、なに?
知らない女の子達から、あたしはそんな眼で見られていたの?
思いもよらなかったその言葉に、あたしはカッと身体が熱くなる。彼女の失礼な言葉は聞き捨てならないけれども、それよりもなによりも……『恥ずかしさ』が先行してしまった。
彼女から『アキバ系』と呼ばれた人物は、あたしの隣に住んでいるクラスメイトの秋庭慶の事。「あきにわ けい」が本当の名前なのに、みんなは面白がって『アキバケイ』だなんて慶の事を呼ぶ。
慶も面倒がって一々訂正しないから、いつの間にかみんなから『アキバケイ』が本名だと勘違いされているみたい。『アキニワ』と慶の名字を正確に読める人は、一部の限られた先生や、慶の身近な友達くらいしか居ない。だけどその事を知っていても、わざと『アキバ』と呼ぶ慶の親しい友達も居る。本人が気にならなくて良いのなら問題は無さそうだし、そこはあたしがとやかく言うものでも無いと思っている。
慶とは家が隣同士だけじゃなくて、クラスでも部活でも一緒なのだ。部活は男子と女子で別れてしまうけれど、あたしは女子軟式テニス部の部長だし、慶は男子軟式テニス部の主将を遣っている。同じ顧問の先生だから、練習カリキュラムも殆ど同じ。だから帰宅時間も殆ど一緒。
別に時間を示し合わせて帰っている訳じゃない。単に『偶然』が重なっただけ。
それに『二人っきり』で帰宅しているのじゃないわ。
いつも途中までは、慶やあたしの友達と四、五人のグループで帰っているけれど、途中でみんな家が違うからそれぞれが分かれての帰宅になり、最後はあたしと慶の二人っきりになってしまうだけの事なのに。
大体、慶の家とは昔から家族ぐるみの付き合いだし、もの心ついた頃からずっと一緒だったから『好き』とか『嫌い』とか言う恋愛対象ではあり得ない……と思うのだけれど?
「……と言うか、あなた達誰?」
「あたし、川村姫香。この子は遠藤亜紀。あなたが土橋香代……さん? 女子軟式テニス部の部長でしょ?」
「そうだけど?」
あたしの返事に、二人はお互いに顔を見合わせて、『この子に間違いない』とばかりに示し合わせたような微妙な目配せを送り合う。
あたしは変な疎外感を感じてムッとなった。
「ね? 実はあたし達もテニス部に入部したくってさ」
「そ……そう?」
な、なぁんだ。入部希望者……ね?
そう思ったのだけれど、初っ端彼女のあんまりな質問に、あたしはなおも不信感を募らせて新しいクラスメイトの二人を見上げた。
入部したいのならそうだと先に言って欲しかったわ。いきなり慶の事を聞いてくるだなんて、どうかしているわよ。しかも『付き合っているの?』だなんて、し……心外だわ。
慶の事を聞きたいのなら、本人がちゃんとそこに居るでしょうに。
ちらりと横目で盗み見た、斜め左後ろの席に居る慶は……信じられないくらいの大あくびを遣っている最中だった。行儀悪く、隣の机に腰を掛けている副キャプテンの門田くんが呆れて笑っている。
全く……『コレ』がテニス部の主将だなんて、思いっ切り幻滅させてくれるわよね。
教室内にはまだ何人もの女子が居残っているって言うのに、その大口を手で塞ごうとかって言う気にはならないのかしら……デリカシーの欠片も何も無いのね?
あたしは慶からさり気無く視線を彼女達に戻した。
姫香は、言葉遣いからして結構『個性』が強そう。少なくとも名前から来る穏やかな印象とは真逆のタイプで、思った事をすぐ口にしてしまいそうだけれども、その分胸に溜まるものが無いから、あっさりとしていて後腐れが残らなさそう。
方や遠藤亜紀さんは、川村さんとは反対に内向的っぽい。色白でひ弱そうな彼女は、どちらかと言えば読書が好きな文学少女。思った事の半分さえ言えなさそうで、頼り無さそうな印象を受けた。
「早速だけどさ、今日部活無いでしょ? あたし達と一緒に帰らない? それとも『アキバ系』と一緒に帰る?」
「は? なんでそうなるのよ?」
姫香の言い方が気に入らなくて、あたしは猜疑心一杯の眼で以って、机の前に遣って来た二人を見上げた。
いつもなら、この後練習が入っているのだけれど、今日はうちの学校での指導研修があるとかで、他校の先生方が遣って来る。モデル学級を残して他の生徒は帰宅させられてしまうし、運動場の一部が臨時駐車場になってしまうから、今日の練習は無い。
「い、いいわよ? 別に慶と待ち合わせして帰っている訳じゃないもの」
あたしがOKを出すと、二人ともホッとしたような表情を浮かべた。
この二人の様子に、あたしは心の隅で微妙に引っ掛かるものを感じたけれど、慶とは付き合っていないし、約束している訳じゃないから……別に一緒に帰らなくってもいいわよね?
でも、わざと慶と一緒に帰らないだなんて、こんな事は初めてだわ。
『慶とは付き合ってなんかいない』……自分の言葉をここで証明してあげれば、彼女達の誤解も解けるはず。いつまでも慶と一緒には居られないのだし、丁度いい機会だわ。
あたしは心の中でそう自分に言い聞かせると、身支度を済ませて立ち上がった。
「あぁ、香代、もう帰るのか? ちょっと待てよ」
先に席を立ったあたしの背後で、慶の慌てる声がした。
教室の出入り口には、先に行って待っている二人があたしと慶を見詰めている。
注目されている……そう意識した瞬間、あたしは猛烈に恥ずかしくなって、情けない声で『待った!』を掛ける慶を振り返り、睨み付けてしまった。
「うるさいわねっ! なんでそう……いつも慶と一緒じゃなくっちゃいけないのよ?」
「は? どうしたんだ? 香代、お前いつもと……」
「あたしは他の子達と帰るの。じゃあね」
慶の言葉を遮るようにあたしは早口で捲し立てると、ツンとそっぽを向いて踵を返す。そして、慶を振り返らずに彼女達の許に急いだ。
今まで遣っていた当たり前の『いつも』を、ほんの少しだけ勇気を出して『違ういつも』に切り替えたあたしは、なんだか急にお姉さんになった気分だ。
「おまっ……香代?」
「ばいばい」
「お……おいっ」
置いてきぼりを喰らった慶が、情けない声であたしを呼んだ。