避難
――メイはもう街についただろうか。今、僕がどうなっているのかよくわからない。走りすぎて思考が出来てないみたいだ。
「はぁはぁはぁ……。門が見えた、あと少しだ、気力を振り絞れ……」
後少しだと思ってからが凄く辛かった。
門は視界に映っているのに、近づいている気がしない。
手をしっかりと振っているのに、体が前に進まない。
呼吸の音が隙間風のように弱々しく、息を吸っているのか吸っていないのかわからない。
心臓や頭が危険を感じ、僕にその場に止まれと命令してくる。でも、僕は止まれない。今、止まってしまったら、その後に動けなくなるとわかるからだ。
手を伸ばせば届きそうな位置に門がある。あるはずなんだ……。
視界が揺らぎ、門が近づいてくるように見えた。
意識が飛びかけ、その場に倒れ込む。
――止ってしまった。
この時、僕は心臓が止まったのかと勘違いするほど息が出来ず、手足がしびれる。地べたを這いずる死にかけた虫のように、痙攣する体に鞭打って掌を地面へと叩きつけた。
「まだ……。まだ、走れる」
静かに立ち上がり、走ってるとは言いがたい速度で歩き出す。
視界の先にある街の門、ただそれだけを見てアンデッドのようにゆっくりと動いた。
周りは全て黒く染まり、メイが待っている街の門だけが光っているように見えて迷うことは無い。
視界が戻ったのは、門をくぐった時だたった。
「あ、あれ……。どうして僕はここの門をくぐってるんだ……」
僕はニアータウンの門までたどり着くことができた。
途中までの記憶が曖昧なのが不思議だ……。でもニアータウンにたどり着いたと言う事実は変わらない。
門番は状況を把握している様子で「君、早くこっちに来るんだ。急げ!」と僕の手を取り、支えながら走ってくれた。
「ヘスさんが知らせてくれたんだ……」
――メイも今、この街のどこかにいるということか。
僕は街中の避難所と言われている所に連れていかれた。
「人がこんなにいっぱい……」
――人、人、人。何だこりゃ……。
どこを見渡しても人ばかり。ニアータウンに住んでいる人が全て集まっているのではないかと思うほど多くの人が、避難所にいた。
「ん? 何だろう……。聞き覚えのある声が聞こえる」
僕は耳を澄ませ、微かな音に集中した。
「お兄ちゃん!」
「メイ!」
主はメイだった。振り返ったとたん、彼女は僕の胸目掛け、勢いよく飛び込んできた。涙が溢れそうになるほど気が休まった。
メイと出会えて本当に良かった。心からそう思っていると、メイも同じことを思ってくれたのか、大きな瞳に大粒の涙を浮かべている。
「メイ、良かった……。無事だったんだね」
「お兄ちゃんこそ、無事でよかった」
――村から逃げ延びれた村人は何人いるだろうか。ダルさんは無事に避難できただろうか。僕の、あの知らせ方じゃ間に合わなかったかもしれない。でもヘスさんが知らせてくれたということは、誰かが気づいてくれたと言うこと。気づいてくれたのがダルさんだったらきっと大丈夫……。大丈夫だと信じたい。いや信じるんだ。
不安そうな顔をしていると「お兄ちゃん大丈夫? 顔色が悪いけど、お水を飲んだほうがいいんじゃない」と言って、メイはコップに入った水を渡してくれた。
メイが心配そうに言うので僕の顔は相当ひどい顏になっているのだろう。
「ありがとう、少しもらうよ」
――この街もどれだけ安全かわからない。もしかしたらこの街にまで敵が攻め込んでくるかもしれない。そうなったときには何とか逃げ延びる方法を考えなくては。
逃げる方法を考えようとした、その時だった。
「いっ!」
尋常じゃない辛さの頭痛がしたのは、いつぶりだろうか。頭を固い鈍器で殴られているような感覚が続く。後頭部、側頭部、前頭部、どこもかしこもすべてが痛い。
もがき苦しむ僕の姿を見たメイは、焦りながらも僕の体を支える。
「お兄ちゃん、しっかりして! お医者さんに見てもらったほうがいいんじゃない!」
――頭痛がまだ収まらない。いつもならすぐに終わるのに、今回は何か違うのかも知れない。
頭痛が収まることは無く、金づちで金属を力いっぱい叩く音が脳内に響くが、半目を開け、無理やり起き上がる。
僕は医者の場所を近くにいるお婆さんに聞いてみた。
「す、すみません。病院はどこにありますか?」
お婆さんも僕の状況を察してくれたのか、親切に教えてくれた。
「この施設を出て、まっすぐ行ったところに冒険者ギルドがあります。冒険者ギルドの中には病院も含まれていますよ」
「あ、ありがとうございます……」
何年も冒険者ギルドを使っていると言うのに病院があることを初めて知った。
「メイはここに居て、すぐに戻ってくるから……」
「わかった。気を付けてね」
立ち上がることが出来たため、頭痛が回復したと思っていたが、思い違いだった。頭痛は激しさを増し、平衡感覚が狂ってくる。ふら付きながらギルドに向かって歩いた。
おまけ。ダル視点。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
――体力の限界なんてもう既に超えている。
体に力が入らずに視界が揺らぎ、大地が歪む。自分の無力さをこれでもかと痛感させられた。
「それでおしまいか?」
目の前を伏せぐ魔族が、高い高い壁に見える。絶対に越えられない壁が目の前に立っているが、後ろに下がることだけは許されない。
――まだ戦わなければならない。時間をもっと稼げ。
ダルの目の前に魔族を率いている者が立っている。他の魔族と存在感が違い、触れてはならない異物だった。
――一体のはずなのにこの身が潰されそうなほどの圧力。他の魔族兵は動いていない。その点だけは好機だ。ここで私が時間を稼がなくてどうする。村の皆が逃げられるように死力を尽くせ。
「まだだ、私はまだ……、死ぬわけにはいかない」
長年使って来た愛剣だが、すでに折れている。頼りない主のせいで美しかった剣身は見るも無残な姿になってしまった。だが、今はそんなことどうでもいい……。剣を地面に突き立て支えにして立ち上がる。
――はは……。もう右腕に力が入らない。これじゃあ、剣もまともに触れないな。
「ほう、結構頑張るな、片腕を吹っ飛ばしたのにまだ粘るか。大抵の奴は俺との力の差を思い知り、絶望するのがいつもの定番なのだがな。良いだろうもっと楽しませてくれ」
数刻前
「いいか、できるだけ茂みに隠れろ。敵に見つかりにくい場所に身を隠すんだ! 相手が通りかかった所で横っ腹を切りつける。この作戦を行えば、我々は皆殺しになるかもしれない。しかし、今ここであいつらの進行を阻止しなければ、妻、我が子共々奴らに殺される。それだけはあってはならない。私たちは、妻を守るため、子供の未来を守るために戦う。たとえ戦死しようとも人族が我々を英雄と称え、祈りをささげてくれるだろう!」
集まった村の男性たちは各自の武器を持ち、高々に掲げる。その声を聴いたものは闘志を燃やし、戦おうとする意志を高めた。
だが、奴らは並大抵の力では、どうすることもできないほどに強かった。
こちらが倒した魔族の数はこちらがやられた数と同じ。
だが一人が一体の魔族を倒したわけではない。
ほとんどが一人によって倒された数である。
ダルが茂みに身を潜めてから数分後、奴らは村に到着した。
「お! 人間の村があるぞ、うまい人間でも残ってないかなー」
「お前……、人間を食べるのかよ。あんま美味しくないだろ」
「いや、結構うまいんだよ。特に骨の部分が美味くてさ、あの音がいいんだよね、バキバキボキボキていう音が心地いいのなんのって、特に子供が一番うまい、臭みも無くて絶品だぜ!」
「そうなのか、今度試してみようかな」
このような会話をしている魔族たち、まったくの無警戒なところを見ると、人を舐めているとしか思えない。だが……、
――何か違和感がある。
ダルがその違和感に気づいた時には遅く、合図を待たずして魔族の話を聞いていた者が飛び出してしまった。
「俺が! 妻と娘を守る!」と言いながら魔族の右肩から斜めに剣を振り魔族の体を切り裂いた。それを見るや否や他の村人も一斉に魔族に切りかかる。
「ダメだ! みんな、魔族の挑発に乗ってはいけない!」
ダルは声を掛けるものの、村人たちは頭に血が上り、耳に全く届いていない。
「掛かったか……。この場にいる人間を皆殺しにしろ!」
「了解!」
村人が魔族に喰らいついている中、ダルは他の魔族には目もくれず、一直線で駆け抜けていく。その眼は、たった一体の魔族に目星を付けていた。
――ただの魔族を多く殺しても意味がない。それよりもこの魔族の軍を率いている奴を倒さなければ時間を稼ぐことができない。目星はさっき付けた。あのガタイの良いやつが、指示を出している。カイヤ……お前に助けてもらった命、なぜ私が助けられたのかわからなかった。だが今ここで命を懸けてお前が守りたかったものを守る!
私は昔からそうだった、いつもカイヤに助けられてばかりだったな。
冒険者をしていた時も私の方が先輩だったのに、いつの間にかカイヤの方が強くなっていた。愛していた女性もあっという間に取られてしまった。
戦争がなければカイヤは死ななかったかもしれない。だが、カイヤが私と同じ状況になれば、きっと喜んで命を捧げるだろう。
私は、今でも、剣が握れなくなりそうな程、手が震えるというのに。カイヤは平然とやり遂げてしまうのだろうか。
「……恐れるな。魔族兵を前にして恐れていたら、その隙を突かれるぞ。自分自身の心に言い聞かせろ、『時間を稼げ』と! 私は魔法があまり得意じゃないが『身体強化』くらいは使える。村の中では一番動ける。一番動ける私が時間を稼がなければいけないんだ」
魔族兵に接近している間にも、死の恐怖を歌う村人の声が聞こえる。
「うわぁぁぁぁぁぁぁ!」
「やめれくれぇぇぇぇぇ!」
――すまない皆……。私は皆を囮役のように使ってしまった。カイヤ、お前の説教は魔界で聞くとするよ。あ……、でもお前は魔界にはいないか。
「あと少しだ、もう少しで奴の所にたどりつける」
ダルが司令塔だと踏んだ相手は間違っていなかった。
――今、奴は正面を向いている。こちらには一切気づいていない。それならこの場所から一気に奴の首を撥ねられる!
「ふぅ……」
ダルは一瞬で全身の力を抜き、体に流れる魔力を一気に足の筋肉へと送る。大砲を放ったのかと思うほどの爆音をかき鳴らし加速。他の魔族には目もくれず、司令塔らしき魔族の首を狙う。
――行ける!
そう思った……。だが、そう上手くはいかなかった。
ダルは右側から奴の首をはねようと剣を右後方に引き、全身の力を込めて振りかざした。しかし、剣身が首に届く寸前、自分の左側に、この世の物とは思えないほど、黒いこぶしが見えた。
――死ぬ、死んだ、死ぬのか、死にたくない、まだ死んだら駄目だ……。まだ死んだら駄目だ!
その拳はダルを殺すためにそこに存在している。『この一撃でお前を殺してやる!』と、そんな意志が感じられた。
「ぐぁあ!」
ダルは体を地面に強く打ち付けながら吹き飛ばされていく。とっさに左腕で拳を防いだが、数十メートル弾き飛ばされてしまった。
停止する際、ほかの魔族が緩衝材となり腕以外の致命傷は避けることができた。もし、ダルが吹き飛ばされた方向に絶壁があったら、体は原形を留めていなかっただろう。
「く! 左腕が完全に折れている……。いや、折れてるなんてものじゃ無く、粉砕されているな。これはどうしたものか……」
左腕から真っ赤な鮮血が地面に向い、滴り落ちる。
左腕は無残なほどにぐちゃぐちゃになってしまった。
次第に腕が黒ずんで行き、感覚すらなくなってしまった。折れた骨が肉を突き破っている。見えている骨以外は粉々だろう。
「お~、今のを防いだか! これで、ぶっ倒れないとは、人間にしては中々やるじゃねえか! お前が俺の首をしっかりと狙えるように、前を向いてやってたんだが俺の拳のほうが早かったみたいだな!」
――上背は人よりはるかに大きい、さっきの攻撃で決めきれなかったのが痛いな。だが奴をこちらに引き付けることができた、これで数秒は稼げる。だが、なぜ地面に突き刺さっている大剣を使わない。なめられているのか。いや、なめられているならそれでいい。出来るだけ時間を稼ぐことだけを考えるんだ。
「どうして人族を襲う! 今は休戦中だろ!」
「お前に聞かせてやる義理は無いが……答えてやろう。俺の攻撃で倒れなかった奴は久々だからな!」
そう言って奴は喋り出した。
「我々魔族は多種族と組み、人族の領土を手に入れることにした。これ以上のことを聞きたいのなら俺に傷をつけるか、俺の攻撃をもう一度防いでみろ!」
広大な草原であるにも関わらず、奴の怒号は爆発音のようで、耳の鼓膜を劈くような轟音で、目が一瞬眩んだ。
奴は、怒号を発した直後から体が膨れ上がり、一段と大きくなった。
「ははは……、化け物め」




