魔族
突然だった。ただの一日、平和な一日になるはずだった……。
その日は快晴。雲一つない空。見上げれば今にも空中に吸い込まれてしまいそうな感覚に陥るほど、澄み切っていた。
王都に向かう準備をしながら、日ごろの訓練を行っていた時のこと。
「は~、もうこの場所ともお別れか……。イっ! また頭痛だ……。最近はちゃんと寝てるのにな。どうしてだろう……」
「お兄ちゃん! 何かあっちの地面が動いてるよ!」と出発の前に父さんと母さんのお墓に花を添えに行っていたメイが慌てた様子で駆け寄ってきた。
服には泥が付いており、慌てすぎてこけてしまったのが簡単に想像できる。
メイがあまりも慌てているのでただ事ではないと思い、僕も急いで示された方向を確認した。
「あれは何だ?」
視界の先に映っていたのは地平線を埋め尽くすほどの何かがlゆらゆらと動いている景色だった。
――あっちの方向には何がある……。くっ!
この時、またしても頭痛が起こり、僕の持つ恐怖感が考えよりも先に体を動かした。
何か考えていると気づいた頃には既にメイの手を取り、持っていた魔剣とナイフ、今まで貯めた金貨を詰めた魔法の袋だけを持ち、全速力で二アータウンの方に走りだしていた。
その時、僕は走りながら叫んだ
「逃げろ! 逃げろ! 逃げろ! 逃げるんだ! みんな早くこの場所から逃げろ!」
まだあの地平線を埋め尽くす何かはわからないが、逃げなければならないと僕の体が言っている。
逃げろと、何度も同じように繰り返しながら叫んだ。
何が起こっているのかもまだよく分からない。だが、人族が持つ恐怖心という身を守る機関が過剰に反応している、『あれはやばいぞ!』と『早く逃げろ!』と言わんばかりに冷や汗が止まらない。
メイは何かを言っているようだったが全く聞こえない。
僕は逃げること以外に考えることができなくなっていた。
僕たちの慌てぶりを見た村の住人のほとんどが、不思議には思ったが行動しようとはしなかった。
「はぁ、はぁ、はぁ、メイ、あと少しだ、頑張れ」
「もうダメ……。お兄ちゃん、私、もう走れない!」
「ダメだ、止まったら、ここはすぐに戦場になる!」
戦場になるかどうかなんてまだわからない。でも、感覚がそう伝えてくるのだ。
「でも、みんなを助けないと!」
「何を言っているんだ、僕たちにそんなことできるわけないだろ! 何もできないのに他の人のことを考える余裕なんてないんだ! 僕たちが生き残るためにただ全力で逃げるしかないんだよ!」
道半ばで大声を出しながら、足を引きづるメイを無理してでも走らせる。その時、地面を強く蹴り、土を抉るような移動音が聞こえた。
「ヘイへ君?」
「ヘスさん!」
現れたのは僕の知る人物、ヘスさんだった。ヘスさんも相当急いでいる様子で、馬が息を相当切らしている。
「ヘイへ君達も早く逃げるんだ、すぐそこまで魔族の大群が攻めてきている」
僕は再度メイを見た。靴もボロボロ、所々に出血もある。
メイをこんな状態で走らせていたのか……。ここから二アータウンまでまだ結構な距離がある。この状態じゃ、メイはもう本当に走れない。
このままでは逃げ切れないと思った。
「ヘスさん、お願いがあります。妹のメイを連れて行ってください。街まであと三キロメートル、メイの体重なら何とか馬も持つはずです。このままじゃ、街につく前に追いつかれてしまうかもしれません!」
ヘスさんは少し考えて、言った。
「わかった、連れて行こう」
「本当ですか! ありがとうございます!」
「ちょっと待ってよ、私はお兄ちゃんと一緒にいたい!」
メイはそう言うが、僕は無理やり腕をつかみ立ち上がらせると、メイを抱きかかえその軽い体を持ち上げた。
「両方死ぬより、片方でも生き残っていた方がいいに決まってる!」
メイをヘスさんの乗っている馬に無理やり乗せる。
「ちょっと待って、お兄ちゃん、私も!」
「行け!」
ヘスさんがメイを抱きかかえながら手綱を撓らせると馬は走り出した。
――僕も、死ぬつもりはない。メイ、街で待ってるんだ。
そう心に誓い、僕もまた疲れと恐怖で震える足に力を入れて走り出した。
僕たちの慌てぶりを見た村の住人のほとんどが、不思議に思ったが行動しようとはしなかった。
でも、僕たちのことを良く知る、ダルさんだけは違った。
――あの子たちが何も起こっていないのにあんな行動をするとは考えられない。
ダルはそう思い、ヘイへたちが来た方向に走って何があるのかを確認した。
地平線の揺らぎを見た瞬間、その場に膝から座り込んでしまった。
ダルは地平線の奥に見える恐怖の正体を知っていた。
「奴らの動き……、魔族だ…」
その時、ダルの心が決まった。
ダルはすぐさま立ち上がり、家に帰る途中に大声で叫んだ。
「魔族だ! 魔族が攻めてきたぞ! 子供と女性はすぐに逃げろ! 大人の男たちは武器を取れ! 少しでも子供たちが逃げられる時間を稼ぐんだ!」
ダルは真っ先にある青年を探した。
「ヘス! やっと見つけた」
「ダルさん、魔族ってほんとですか。本当なら僕も戦います、弟たちを守らないと」
「君は真っ先に、二アータウンに向かってくれ。魔族が攻めてきたことを知らせるんだ。いきなり魔族と戦うのと、少しでも猶予があるのとは雲泥の差がある。君はこの村で馬を使うのが一番上手い。頼む、私たちが少しでも時間を稼ぐ……。その間に少しでも早く情報を伝えるんだ」
この時ダルの顔はいつもの穏やかそうな男性ではなく、何かを決めた男の顔をしていた。その表情を見たヘスはただ事ではないと察し、頷く。
「ダルさん……。わかりました、すぐ向かいます!」
ヘスはすぐさま自分の馬に乗り、ニア―タウンに向けて走り出した。
「よし、それでいい。後は私たちに任せろ」
ヘスは決して振り返らなかった、ただひたすら前を向いて馬を走らせる。
「地平線に敵が見えているということは距離にして約三キロメートル、奴らの足ならすぐにこの場所に到着する。あと少し発見が遅れていたら、だれも生き残れなかった。ありがとうヘイへ君……。やっと私にもできることが見つかったよ……」




