聖女が悪役令嬢に買われた結果
鉄格子から見る世界というのは、とても狭い。
レアの日常は動物を入れるような檻の中で、ぼんやり過ごすというものだった。他の檻にも少女が閉じ込められており、皆生気を失った顔でただ正面を向いている。
その中には、レアと同じ村で暮らしていた娘もいた。
小さくて貧しい村が人狩りの襲撃に遭い、売り物になる年若い娘たちを奪われた。
よくある話だった。身寄りがなく小さな花屋を営み、生計を立てていたレアもその対象だった。
気の強い娘は抵抗していたが、妙な薬を飲まされると途端に人狩りたちに従順な態度を取り始めていた。まるで別の心を埋め込まれたようで、レアは薬を飲まされたくない一心で、最初から素直でい続けた。
『客』は皆、嫌な顔をしている。愛玩動物を見るような目で、少女たちを眺めていた。無反応であることか気に入らないのか、わざと大声を上げたり靴の裏で檻を蹴る者もいる。
怖くて小さく悲鳴を上げたレアを気に入ったのか、その男がにやにや笑っている。これはいくらだ、初物かと、人狩りの男に色々と聞いている。
嫌だ。こんな人に買われたくない。絶対にもっと怖い目に遭う。
そう思い、震えているレアの耳に甲高い声が届いた。
「くっさいですわねぇ。こんな不潔な場所でペット販売だなんて、正気かと疑ってしまいますわ!」
真っ赤なドレスと蜂蜜のようなキラキラとした金髪。そして勝ち気なルビーレッドの瞳。
あんなに綺麗な人を見るのは初めてだ。レアは恐怖を忘れて、その美女をうっとりと見詰めていた。
しかし、美女の斜め後ろには背の高い青年が立っており、彼と視線が合うと怖くて慌てて俯いた。
「こ、これはこれは……誰かと思えば、ジルベール公爵令嬢ではありませんか。まさか、あなたがこのような場所を訪れるとは」
「ちょうど、新しいおもちゃが欲しいと思っていましたの。いいでしょう?」
「ええ。支払いに関しては……」
美女が人身売買の業者と話し込んでいる。レアを気に入っていた男が、その様子を見て舌打ちをする。
「ちっ、お貴族様はこんなところにいても輝いて見えるもんだ。まあいい、おい小娘。俺はお前と一緒に……ぐえっ」
男の襟首を掴み部屋の隅に放り投げたのは、美女と共にいた青年だった。
琥珀色の双眸がレアをじっと見詰めている。先程の男のような嫌悪感はない。
レアも見詰め返していると、美女が「あら?」と不思議そうな声を上げた。
「お前、この娘が気に入りましたの?」
「………………」
「こんな子のどこがいいのかしら。わたくしの方が何十倍、何百倍も美しいのに」
男は無言で頷くだけだった。すると美女は妖しい笑みを浮かべ、レアがいる檻へと近付いて行った。
「喜びなさい、ドブネズミさん。今日からお前はわたくしとこの男のおもちゃになるのですわ」
赤い扇で口元を隠しながらケラケラと笑う美女と、無言でレアを見下ろす青年。
二人が何を考えているかなんてレアには分からなかった。
「んも~! 何をやっていますの、アベル! その薔薇が似合うのはわたくしだけと言ったでしょう!?」
ブランシュは目を吊り上げながら、レアが持っていた数輪の薔薇をばっと取り上げた。それはアベル、あの日ブランシュと共にいた青年からの贈り物だった。
屋敷の庭園で花の手入れをしていたら、急に何も言わずに渡されたのである。どうして? と首を傾げるレアに説明もないままアベルが立ち去ろうとした時、ブランシュが現れたのだった。
「いいこと、レアネズミ! この赤い薔薇は庭園で最も美しい薔薇。わたくし以外が触れていいものではありませんわ!」
「も、申し訳ありません」
ご主人様の命令は絶対。この屋敷で働くようになってから最初に言われた決まり事だった。どんなに理不尽なことがあっても、決して首を横に振ってはならない。
なのでレアが頭を下げて謝っていると、手を掴まれた。そしてレアの両手をじろじろと観察している。まるで何かを探しているかのようだった。
「……ふん、汚い手だこと。かさついているし、爪もひび割れていますわ。そんな手で花の世話をしていたら、あの子たちまで汚れてしまうかも」
「はい……」
「あとで医者に診てもらいなさいな。手が治るまで庭のお仕事はさせませんわ」
「で、でしたら、私は何をすれば」
「アベルの相手でもしてなさいな。アベル、レアネズミで暫く遊んでいるといいわ」
そう言って踵を返すブランシュ。呆然としているレアの手をアベルが握ろうとして、手首を掴んだ。
連れて行かれたのはアベルの私室だった。アベルはレアを椅子に座らせると、部屋を出て行き十分後に戻ってきた。
ティーセットと焼き菓子を持って。
「あの……」
「……………」
「……私、いただいてもよろしいのですか?」
アベルが頷いたので、レアはティーカップに口付けた。ふわりと香る果実の香りが鼻腔を擽る。
温かくて美味しい。焼き菓子もほんのり甘くて香ばしい。紅茶とよく合う。
アベルは頬を緩ませるレアを無表情で見詰めていた。琥珀色の綺麗な瞳。レアのくすんだ灰色の瞳とは大違いだ。
「お、美味しい……です」
小さな声でそう言うと、アベルの表情が僅かに緩んだようにレアには見えた。
手荒れが治ったので、庭園の手入れ仕事に戻ることが出来た。庭園を任せられている使用人は他にもいる。フルールという少女もその一人で、この屋敷について色々と教えてくれた。
ジルベール家は公爵の位を持つ名家で、ブランシュは女でありながら次期当主になることが約束されているのだという。
現当主でありブランシュの父親は、能力重視で後継者を選ぶと宣言しており、数人いる兄よりもブランシュの方が相応しいと考えたらしい。
「でも、ブランシュ様の評判は最悪なのよ。何せあの性格だから、敵もたくさん作っちゃって……」
「フルールさんは……ブランシュ様がお嫌いなのですか?」
「嫌いよ、嫌い。あんな我が儘気儘なお嬢様なんかに出会わなかったら、私は死ぬことが出来たのに」
寂しげに、けれど優しい声でフルールが答える。
フルールの家は没落した貴族の家で、フルールはストレスの捌け口として両親から毎日虐待を受けていたらしい。
更に両親は、ジルベール家で使用人を募集していることを知り、娘を売り飛ばした。
使用人とは言わば、奴隷のようなものだ。自分の人生に絶望したフルールは自ら命を絶とうとしたが、ブランシュはそれをよしとしなかった。ジルベールの屋敷で数年間働き続ければ、多額の退職金を支払い、屋敷から出してやると話を持ちかけたのだ。
「人間って、生きる希望を与えられると簡単に死ねなくなるのよ。たとえ、それが金持ちの気紛れだとか道楽によるものであっても」
「生きる希望……」
「私のことより、あんたの方が心配よ。レア、アベルさんに変なことされてない?」
無口で何を考えているのか分からない、ブランシュ嬢のお気に入り。それがアベルという使用人だった。
二メートル近い身長のせいか、威圧感もあってブランシュ以外はあまり近寄ろうとしない。
そんな彼が新人を頻繁に私室へ連れ込んでいる。使用人の間では、レアを心配する声も上がっていた。
「わ……私は大丈夫です」
「ほんと?」
「本当です……」
アベルの部屋でしていることと言えば、彼が用意してくれたお茶やお菓子を食べたり、文字の読み書きの特訓だ。
レアが暮らしていた村での識字率は非常に低く、レアも文字を学ぶ機会を失っていたのである。花屋で生計を立てていたので、簡単な計算は出来ていたが。
それを知ったブランシュは「文字が分からないだなんて、まあ恥ずかしい」と、アベルをレアの教育係に任命したのだ。レアはそのことをフルールたちに話してもいいと思うのだが、「使用人に文字を教えてやるなんて特別なことですの。誰にも喋ったらいけませんわよ?」と釘を刺されてしまった。
おかげでアベルは、レアに良からぬことをしている悪い使用人の疑いがかけられている。
そんなことないのに、レアは悲しく思う。
アベルの教え方は優しくて分かりやすい。レアが分からず混乱している時は、そこの部分を丁寧に説明してくれるし、小テストで全問正解した時は褒めてくれる。
アベルのあの優しい声を聞けば、皆彼を怖がることはなくなるのに。
「げっ、アベルさんが来た!」
フルールが慌てて逃げ去っていく。アベルはそんな反応を特に気に留める様子もなく、レアの前に立った。
アベルが無言で薄くて平たいものを差し出す。
それは白い花で作った押し花の栞だった。
「これを私にくださるのですか?」
「………………」
アベルが頷く。彼からの贈り物は初めてではない。最初は銀色に光る指輪だったが、それは「このお馬鹿!!」と激怒したブランシュに取り上げられてしまった。
綺麗な飴玉や髪飾り、勉強の時に使うペン。事あるごとにアベルはレアに贈り物をする。住み込みの使用人は給料なんてもらえないはずなのに、どうやってお金を手に入れているのだろう。
噂によると、使用人は主の夜伽を行うと『臨時収入』を貰えることがあるらしい。
レアの脳裏に浮かんだのは、ブランシュだった。
二人の『そのような』光景を想像して、胸の辺りが小さく痛んだ。
自分へのプレゼントを買うために、主と一夜を共にする人がいる。
それでアベルは、自分は、本当に幸せ? とレアは自問する。
答えられない。分からないからだ。
「……ありがとうございます」
胸の奥に抱えている感情を悟られないよう微笑みながら礼を言うと、アベルは頷いてからどこかへ行ってしまった。
近頃、庭園の様子がおかしいと言い出したのは、三十年以上ジルベール家に仕えている庭師だった。
植物が枯れて育たなくなった──のではなく、その逆だった。異様なまでに元気なのだ。枯れやすく手入れが大変だった花も、すくすく成長している。
ちょうどレアが屋敷にやって来てからだと、庭師は語る。
「まあ、あなた緑の聖女でしたのねぇ」
ブランシュは物珍しそうな顔と声で言った。
緑の聖女とは豊穣神からの祝福を授かった女性のことで、植物へ愛情を注ぐとどんなに弱っていても、たちまち回復して元気になるらしい。
レアはブランシュに聞かされて初めて自分が聖女だと知ったが、思い当たる節はあった。他の村人が育てても中々大きくならなかった植物が、レアが水をやるとその翌日には成長しているのだ。おかげで花屋で売るための花の調達で困ることはなかった。
「ふふふ……ただのドブネズミかと思ったら、いい買い物をしましたわ!」
「わ……私、どうなってしまうのですか?」
「どうもしませんわよ。あなたはずっと私のおもちゃとして一生を終えると決まっていますの。残念でしたわねぇ」
「え? 置いてくださるのですか?」
「あぁん?」
レアはブランシュの言葉を聞いて驚いた。てっきり気持ち悪がられて、捨てられると思ったのだ。一部の村人はレアを魔女と罵っていたのである。
ほっと安堵するレアに、ブランシュの眉間に皺が寄る。が、主の傍らにいたアベルが無言で立ち去ろうとするので、それを慌てて止めている。
「お待ちなさい。お前の気持ちは分かりますけど、余計なことをしでかすのはおやめなさい」
「………………」
「はいはい、お前の文句はあとで聞きま……ですから、待ちなさいって。ちょ、待たんかい!」
ブランシュがアベルを後ろから羽交い締めにして、必死に止めている。
とても仲がいい人たちだ。何だか寂しくなってレアは俯いた。
ここから出て行くことになるかもしれない。そう考えた時、真っ先に脳裏に浮かんだのはアベルだった。
彼と離れたくないと思うのは、どうしてなのだろう。レアにはそれが分からずにいた。
ブランシュの兄であるベランジェから呼び出しがかかったのは、それから一ヶ月後のことだった。
普段、滅多に姿を見せることのないジルベール家の長男が、自分なんかに何の用だろうか。知らぬ間に粗相をしてしまったのかもしれない。
レアは不安になりながらアベルに付き添われ、ベランジェの部屋に向かった。
「初めまして、レア。可愛らしい子だね」
ベランジェは金髪に赤い瞳を持つ、妹とよく似た顔立ちの青年だった。性格は全く異なるようだが。
「実は君が緑の聖女と聞いてね。一つ頼みがあるんだよ」
「え、あ……わ、私に出来ることなら何でもします」
「実はね、うちでは生花業をやっているんだけど、その活動拠点が隣町にあるんだ。そこの人たちから君を従業員として雇いたいと話が出ている」
「私を……ですか?」
「一番の理由は聖女であることだけど、それだけじゃない。君は花や木の世話が上手だろう? 庭師も褒めていたくらいだ」
それはつまり、この屋敷の使用人でなくなるということだ。
勿論、食事や住む場所を提供され、給与も発生する。普通の人間と同じような生活を送れるのだ。
レアにとっては夢のような暮らしだ。
「ブランシュには僕から言っておこう。彼女も君を相当気に入っていたからね」
ベランジェの言葉は決して嘘ではない。ブランシュはああ見えてレアを大事にしていたのだ。
レアのぼろぼろになった手を治すために、医者を手配して高価な薬まで買った。
レアが体調を崩している時は、絶対に仕事をさせずに療養に専念させた。
文字を学ばせたのも、いつかレアが外の世界で生きることになった時に、不自由させないためだったのかもしれない。
あの時、ブランシュに買われて本当によかったと思う。レアにとっては優しい優しい主だ。
なのに彼女に嫉妬してしまいそうな自分がいることがレアは許せなかった。
「……レア!?」
レアの瞳から涙が流れる。いくら拭っても、ぽろぽろと零れ出す。
その涙が嬉し泣きによるものではないと、ベランジェとアベルも気付いたのだろう。二人で同時にハンカチを差し出す。滑稽な光景だった。
「ど、どうしたんだい? もしかしてブランシュに何か嫌がらせをされたとか?」
「いえ……ブランシュ様は何も悪くないんです」
「でも……って、おいアベル。こっちを睨み付けるな! 怖い怖い!」
ベランジェは急に慌て出し、レアから涙の理由をしつこく聞き出そうとする。そのベランジェの頭を何故か、アベルが鷲掴みにしている。使用人がそんなことをしてもいいのかと、今のレアに考える心の余裕はなかった。
ここで黙っていたら、ベランジェはあとでブランシュを責めるかもしれない。彼女に迷惑をかけたくないと、レアは正直に答えることにした。
「あの……ブランシュ様は本当に何もしておりません。私が勝手に嫌な気持ちになっているだけなのです」
「どういうこと?」
「ブランシュ様はある御方を気に入っておりまして、ずっとお側に置いているそうなのです。けれ、ど私は仲良くしないでと思ってしまって……」
「……レアはどちらをどちらに取られたくないんだい? 答え次第では僕の頭が潰れてしまうぜ!」
「その御方をブランシュ様に……えっと……」
どう説明すべきか。こんな烏滸がましいことを言うべきではなかったかもしれない。レアが後悔していると、アベルがベランジェの頭を解放した。
それからレアに背を向けてしまった。
「滅茶苦茶甘酸っぱいですわ……」
そして、ベランジェはまるでブランシュのような口調でそう呟いた。
「……ベランジェ様?」
「あ、いや、えーと、可愛らしい嫉妬だね」
「可愛らしいでしょうか。こんな醜い感情なんてなくなってしまえばいいのに」
「そんな風に言わないでよ。もしかしたら、その御方とやらは君にそう思われて嬉しいかもしれない」
確かにアベルは喜んでくれるはずだ。きっと、彼はレアを妹のように思っている。だからブランシュと夜を過ごしてまで、プレゼントを買う金を工面していたのかもしれない。
「それとレア、これだけは知っていて欲しいのだけれど、ブランシュは使用人と妙な関係を持っているということはないからね。断じて」
「そう……なのですか?」
「そうそう。例えば、このアベルなんてブランシュの好みから一番遠いよ。何があっても有り得ない」
「………………」
レアはベランジェの言葉を信じるべきか迷った。本当だったとして、喜ぶべきかどうかも。
だって、レアがここから出ていくことになれば、もうアベルとは二度と会えなくなるかもしれないのだ。これ以上、彼に想いを傾けるべきではなかった。
「……さて、話を戻そう。君はこの屋敷でよく頑張ってくれた。そこで君が求めるものを、プレゼントしよう」
「プレゼント……」
「値段、形状は問わない。何だったら人でもいいよ。使用人なんてたくさんいるんだ。一人くらい持って行っても構わない」
そう言われ、レアが瞳に映したのはこちらに背を向けたままのアベルだった。
「何、ブランシュも君の可愛い我が儘ならいくらでも聞いてくれるさ」
「本当に……よろしいのでしょうか?」
「勿論」
その一言に背中を押されるように、レアは震える手をアベルへと伸ばした。白くて細い指先がアベルのシャツをそっと摘まむ。
「アベル様を……選ばせていただきたいです」
今にも消え入りそうなくらいか細い声だった。
アベルからの返事は中々返ってこない。やはり駄目かと諦めかけたレアは、あることに気付く。
彼の耳や首が真っ赤に染まっていたのだ。
アベル様、と呼び掛けると彼はようやく振り向いた。片手で隠されたその顔は、赤く染まり明らかに動揺している様子だった。
驚くレアを強く抱き締め、愛しそうに頭を撫でる。
いつもの彼からは想像も出来ない、深い愛情表現にレアは瞬きを繰り返していた。
「うぅ……よかったですわ。こんな野郎にも春の風は吹きますのね……!」
そして、ベランジェ・ジルベールは感極まり過ぎて、『普段の自分』に戻りかけていた。
数ヶ月後、遠くの村から遥々やって来た村人たちがジルベール家を訪れていた。
目的は、この屋敷で働くことになったレアを取り戻すためだった。
「あの子がいなくなって、作物の育ちが悪くなったんです」
「レアはもしかしたら緑の聖女かもしれないんです! あの子が戻ってくれば、また育つようになるかも……」
「レアはとても優しくていい子でした。私たちにはレアが必要なんです」
「なーに言ってますの、こいつら。馬鹿にも程がありましてよ」
ブランシュは嘲笑を浮かべながら、使用人たちを使って村人を全員屋敷から追い払った。
レアは突然村が人狩りに襲われたと思っているようだが、実は村の大人たちが奴らを招いたのである。金と引き換えに年頃の娘数人を売り渡すために。
売りに出されたのは、身寄りがないか生まれつき頭が弱い娘ばかりだった。
だが、その後村では作物が育たなくなった。
緑の聖女であるレアを売ったことで、豊穣神の怒りを買ったのだろう。レアの力については村人たちも知っていたが、それが作物にも影響するとは彼らも誤算だったのかもしれない。
生きるためなら金が必要となる。そのためなら、どんな手段を使っても金を得なければならない。そのことはブランシュも悪いことだとは思っていない。
しかし、レアを売ったくせに今更取り返そうとするなんて虫のいい話だ。それにレアはもうジルベール家にはいない。隣町で元気に働いている。
そのことを知った村人が押しかけても無駄だ。隣町には兵士を巡回させているし、何よりアベルが常に側にいる。
元騎士団の一人であるアベルに、そこらの人間が敵うはずがないのだ。
「あら、アベルからの手紙が届いていましたのね」
手紙の宛名は『ベランジェ・ジルベール』となっていた。ブランシュはそれを見てむっと眉を顰めた。
あの男はいつまで経っても、ブランシュと呼ぼうとしない。いつか絶対に呼ばせてみせると野望を抱いている。
ブランシュの正体が女装したベランジェだと一目で見抜いたのは、アベルが初めてだった。美しい令嬢に化けて、悪役になり切るのを趣味としているベランジェだったが、そのことを知らない騎士団長がブランシュにアベルとの見合いを申し込んで来た。
所帯持ちが多い騎士団の中で、まだ独身だったのはアベルのみだったのだ。
女装好きだが、男色の気があるわけではないベランジェは蒼白になりながら自らの正体を騎士団長に明かし、アベルの婚活を手伝うことになった。
アベルは手強かった。好きな女性のタイプはなし、結婚願望もなしの男に、どうしたらええんじゃとベランジェは頭を抱えた。
見た目はそこそこよかったアベルに、我こそは!という令嬢はたくさんいたが全員駄目だった。人間的には好ましいが、異性として結婚したいとは思わないらしい。
婚活が成功するまでうちで身柄を預かると言ってしまったせいで、アベルは年単位でジルベール家で過ごすことになった。おかげでアベルの正体を知らない使用人たちからは、新人がやって来たと思われていた。流石に騎士団の仕事がある時は行かせたが。
もう駄目かもしれねぇですわ。ベランジェは諦めの境地に至り、このままアベルをジルベール家で正式に引き取る気でいた。騎士団のメンバーなだけあって、腕っぷしが強く多少危険なところに行く時は、優秀な護衛役になった。
奴隷売買撲滅のためにベランジェ自ら出向く時は、必ず同行させた。ああ見えて正義感の強い男なので、ベランジェが止めに入らないとブローカーをボコボコにしがちなのが玉に瑕だったが。
だが、まさかそんな現場でアベルが運命の人と出会うとは思わなかった。檻に閉じ込められている哀れな娘たち。そのうちの一人をじっと見詰めていたのだ。
それがレアで、何とアベルの一目惚れだった。ウッソだろ、お前とベランジェは突っ込みたかった。悪役令嬢モードだったから我慢した。
初めての恋をしたアベルはアベルなりに頑張っていた。強い毒性のある薔薇を、そうとも知らずにレアにあげたり、まだ恋人にもなっていないのにいきなり指輪をプレゼントしたり。
その度にベランジェはキレた。
「けれど、レアが聖女だなんてびっくりしましたわ……」
おかげで生花業の工場からは、感謝の手紙が何通も届いている。工場裏で育てた花も商品として取り扱っているのだが、以前よりも色、香りが良質なものとなり、寒暖差に敏感な品種も、のびのびと成長しているそうだ。
何より穏やかな性格のレアが来てから、工場内の雰囲気がよくなったとか。
アベルは最初怖がられていたそうだが、レアが彼がいかに優しい人物なのか熱心に説明したおかげか、少しずつ従業員たちと打ち解けて来ているという。
きっと、本人はレアが分かってくれているなら、それで十分だと思っていそうだが。
現在こんなもの中心にわしわし更新しています。
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癒しの聖女の正体は肉食系~ツンデレ薬師(公爵令息)に執着されているようですが、私はお肉が食べたいです~
(食いしん坊聖女とツンデレ薬師のラブコメ。食べ物と創作薬学がよく出てきます)