過去の古傷
メルジーナが「人魚姫」として人間の姿だったころ。
ミオナはメルジーナ--当時はソフィーと呼ばれていた--を陰湿に虐めていた。
執着こそしていないが、メルジーナは一度も忘れたことなんてない。
虐めた者はわすれても、傷付けられた者は痛みを忘れないものだ。
元々与えられたドレスを取り上げられ、ミオナにボロ切れのようなドレスを与えられたこと。
足を痛がるそぶりを見ては、ハイヒールをはくように強要されたこと。
ドレスの袖や裾にあざが隠れるように、背中や脇腹ばかり叩かれたこと。
「何にも喋れないなんて、生きていて何が楽しいの?」
とミオナに笑われたこと。
魔女の呪いで喋れなくなっていた前世のメルジーナをミオナが何かにつけて虐めたこと。
年を取って老いたが、面影はそのままのミオナの横顔を見て、メルジーナの心中には昔受けた仕打ちの数々が去来した。
しかし、心持ちは不思議と穏やかだった。
「言いがかりだわ!」
ミオナはほとんど発狂していた。
目は血走って、興奮のあまり息が荒くなっていた。
そう、半分はあたっていた。
なぜならあの日、「ソフィー」には毒が効かなかったのだった。
元人魚に魚の毒や海の物は通用しないのかもしれない。
ミオナは効いていないとみるや、不思議がったがなかったことにしているようだった。何かしらの手違いがあったのだと思ったのだろう。
ソフィーはそれどころではなかった。
王子を殺すのよ!と短剣を持った姉たちにすすめられて短剣を持ったのはいいけれど、どうしても誰かを殺すのは、はばかられた。
それに王子だって、おろかなだけでそこまで性根が腐った人間ではなかった。
王子の近くにいるときに笑いかけたり、小さなお菓子をくれたりしたのだ。
ミオナの虐めに気付かなかったり、命を救った最大の功労者ソフィーの存在に気付かずにすぐにだまされたり、どうしようもなく鈍い男だったが、それでも好きだった。
思えばそれは恋愛ではなく、鳥が初めて見た者を慕うような、淡い思慕だった。
とにかくソフィーはあの日、毒ではなく自分の意思で、海の泡となったのだ。
しかし、ジークフリートと現場の状況は、あの日のことを別の筋書きで浮かび上がらせていた。
ジークフリートの従者が淡々と述べた。
「ミオナ妃。あなたは前王オスカー1世を毒殺した。そして、目撃者の少女もその手にかけた」
「違うわ! ソフィーは勝手に海に沈んだのよ!」
従者が叫んだ。
「黙れ! この後に及んで……そんなわけがあるか!」
あるのだった。
「そして今回のジークフリート皇太子の暗殺未遂。これにもあなたたちが絡んでいる。言い逃れはできない」
オスカー2世は、がっくりとうなだれた。
ミオナは蒼白になっている。
一つの王族の終わりを見てもメルジーナはかわいそうだとは思わなかった。
ただ、胸の中に積み上げてそのままにしていた何かが、海の波の音と共に崩れ去って、ちりぢりになって消えていくのを感じていた。




