ジークフリートの旅路
ジークフリートは護衛と少数の供を連れて、オスカー領へ向かった。
その中にはもちろん、メルジーナもいる。彼女の存在は大きい。
エスター大公国では成り行きもあって共に行動をしたが、令嬢であるにも関わらず自由なところがある。
何より、自分にも海について知らないことがあると気付かせてくれる。
海と共に生きてきたのだろうか?
メルジーナはどこか深淵な目付きをすることがある。老婆が浮かべるような諦観めいた眼差しを、少女がするアンバランスさもあるかもしれない。
ただの病弱だった箱入り令嬢とは思えない。
今回の旅路はメルジーナといつも一緒だ。
エルネスティーネから無理を言って引き剥がしてきたかいがあった。
メルジーナは今回、ジークフリートの身の回りのことをする側仕えという名目になっている。
リアも同行しているが、同じ馬車ではない。彼女は諜報も護衛も兼ねているので、実際の細々した世話をメルジーナに頼むという名目だ。
そういうわけで、ジークフリートはどこか心を躍らせながら、少しばかり緊張した面持ちのメルジーナと膝を突き合わせていた。
馬車のガタガタと揺れる音が大きくなる。大地の荒れは、領地の荒れだ。
ジークフリートは顔をしかめた。
オスカー領の良い噂はあまりきかない。
戦争ばかりの暴虐王が亡くなり、息子が跡を継いでそれなりに落ちついていたはずだったが−−。
「メルジーナ。君はどう思う。生まれ変わったら帝国の王になってみたいか?」
「嫌ですね」
即答だった。
言外に(何があってもお断りします)という強い意志を感じる。
ジークフリートは、微笑んだ。
「だろうな。この立場で有り難いのは、住む家があることと、服が清潔なことと、食事に困らないことだ。その代償に、帝国の長は人間の心を捨てなければならない。時々それがひどく虚しくなるときがあるよ」
「……はい」
メルジーナは暫く黙っていたが、ジークフリートがふと顔をあげたとき、おもむろに口を開いた。
視線が合う。
ジークフリートはハッと息を呑んだ。
その瞳はとても儚げだった。
「人間の心はおかしなものですね。人間は他人を簡単に裏切り、平気で嘘をつく。力のないものをいたぶって笑い、自分の立場を良いものにしようとする」
悲痛な叫びだった。
しかし、メルジーナは歌うようにポツリポツリと声を出した。哀しい響きの美しい詩のようで、ジークフリートは引き込まれるようにメルジーナの話を聞いていた。
「相手を食べる必要もないのに、なぜ人間は人間を攻撃するのか、私には理解できませんでした。だけど、今は分かります。一言で人間と言っても、いろんな人間がいるのだと」
「海の中で、魚たちは互いをいじめません。ですが、小さな囲いに入れて、閉じ込めると、小さな個体をいじめるようになるのです。狭い世界に飽きてしまうのかもしれません」
「誰かを害する人間は、きっと狭い世界にいるのです。そして、気付くことがない」
「私はまた人間になって、思ったのです。自分を害そうとする者と、必ずしも同じ世界に生きなくてもいいのだと。もし、辛くなったり酷くされそうになったら、広い世界に飛び込んでよかったのだと」
「その言い方だと、きみが人間じゃないものだったみたいだ」
と、ジークフリートは言った。
実際、この子は浮世離れしている。
いや。まさか、でも、本当にーー?
メルジーナはパチとまばたきをして、言った。
「実は、前世は人魚姫だったのです」
と。




