いざ突入です
エスター港の出迎えは盛大なものだった。
「エルネスティーネ様、万歳!」
リシリブール帝国とエスター大公国、それぞれの旗をもった市民たちが集っている。親に抱かれた小さな子供たちもいるのがなんとも微笑ましい。
扇で口元を隠しながらも、エルネスティーネは顔をしっかりとあげて民を見た。小さく手を振ると、わあっと歓声が起きる。
迎えの馬車に乗り込んだエルネスティーネは、メルジーナを引っ張って隣に座らせた。
「久しぶりの陸ね。ああ、馬車の揺れが新鮮……」
嵐に耐えながらの3日間の航海は、姫様にはこたえたただろう。
メルジーナにとっては、船の上の嵐はちょっとした乗り物のようで面白かったが、普通の人間には辛いものだろう。
「メルジーナ、あなたって本当にすごいわ。海が怖くなかったの」
「怖いですよ、お父ーー海は。ですが、慣れましたので……」
エスター大公国は面積だけでいえば小国である。
しかし、それを補ってあまりある資源があった。
鉄鋼、そして真珠だ。
海沿いの小国は、こうして大陸で独立して生き残ってこれた。
パトリュス渓谷に囲まれた天然の要塞があることも大きい。
「難攻不落のエスター」として名高い、中立国だ。
どこの国にも属さず、平和を希求する国。
今回そこにリシリブール帝国の姫が嫁ぐのだ。
政治的な意味合いは否が応でもなく高まる。
小一時間もしないうちに城下が見えてきた。
メルジーナはごくりと唾を飲み込んだ。
*
帝国の皇居の広さに比べれば、こぢんまりとはしているが、美しくしつらえられた城だった。造りが繊細で装飾品の一つ一つに手が込んでいる。メルジーナはエルネスティーネの後ろに従いながら広間に通された。
(大公様は、三十路を越えた方だという話だったけれど……)
エルネスティーネとの年齢差は十五以上だ。
しかし、政略結婚においてそれは珍しくもない。
噂では、エスター大公は女嫌いなのか、浮いた噂のない方だということだ。顔の美しい男ばかり侍らせている、だとか、変わり者なので服飾には興味のないお方だ、謎が多い、ふれてはいけない方だ、など。
(エルネスティーネ様のご意志などないのだ。でも、せめて、オジサンだったとしても、たとえ外見がどうであれ、ともかく優しそうな方であってほしい……! あと清潔感……!)
メルジーナは誠心誠意祈りを込めながら、エルネスティーネ殿下の身支度を整えた。客間として通された部屋は品が良く、きれいに手入れがされていた。ぴかぴかに磨き上げられた鏡にうつるエルネスティーネは、長旅の疲れと船酔いのせいで少しやつれてはいたが、母親譲りの美貌は健在だった。愛らしいつぼみのような桃色の唇、そして顔に不釣り合いなほどのたわわな胸元。コルセットで締め上げてはいるが、ふっくらとした柔らかそうな四肢は少女というよりは女性らしく、色気がある。これが我が儘な豚のようだと使用人に陰口をたたかれていた暴虐な姫君だとは思えない。それに、メルジーナの立場ではなくとも、エルネスティーネは初めに出会ったときとは、打って変わって淑女に成長したというのは紛れもない事実だ。
エルネスティーネがふ、と微笑んだ。
「メルジーナ。気付いて? この部屋に来るときに飾られていた肖像画に。エスター大公の家系はずいぶん貫禄のある殿方ぞろいのようね」
メルジーナは口をつぐんだ。
そうなのだ。
大公は世襲制のため、祖父、父親、その息子と受け継がれていく。
廊下にずらりと並んでいた肖像画はお世辞にも美男とは言い難く、どちらかといえば、まるまると肥えたアザラシの整列のようだった。
(アザラシの元に嫁ぐ姫様……)
不憫だ、と口に出すのは簡単だったが、そんなことをしても何の慰めにもならない。
「メルジーナ、私は夫がどんな人でもいいというつもりはないわ」
「姫様……」
「私は帝国を代表して来たの。政治はチェスのようなものだと思うのよ。私は駒の一つに過ぎないし、これは生まれたときから決まっていたこと。平民たちは自由に恋愛をして結婚をするわ。私は恋愛こそ運命が決められていたけれど、皇族としての生き方は自由。暗愚な貴族となるのか、賢い権勢者となるのかは私が選べることでしょう」
エルネスティーネは遠い目をしていた。
「私は駒となってこの国に嫁ぎはするけれど、そのせいで帝国が不利益をこうむるようになるならばーーいつでも自刃する覚悟よ」
「エルネスティーネ様ッ」
思わず声を出したメルジーナに、エルネスティーネは微笑んだ。自刃というのはただの自殺ではない。「帝国のために必要」ならば、自分が手を下してでも……という意図がある。そんな覚悟のできる者がどれだけいるだろうか。どんな夫でもいいというわけではない、というのは真実だろう。外見などエルネスティーネにとってはどちらでもいいのだ。
池で助けたときの姫様とは、見た目だけでなく内面も成長なさったのだと、メルジーナの目頭は自然と熱くなった。




