してやられました
初対面にもかかわらず、しっかりリアにお小言をくらったメルジーナは、借りてきた猫のようになって皇宮本殿を歩いていた。
「本当に勘弁してください。拐かしにあったのかと思いましたよ……もう少し到着が遅れたら、警備に連絡しようと思っていました」
「すみません」
返す言葉もない。
「それにしても、あのエーベルハルト様と現れるとは」
リアは責めると同時に、感嘆するように言った。
オドオドしながらもにこやかに手をふって去っていった赤銅色の髪の少年。
「エーベルハルト様というのですか」
「お知り合いじゃないのですか」
「いえ、全然。先ほど迷っているときに偶然お会いしたのです」
「偶然」
今度こそリアは心から驚いた。
そもそも外に出ることの少ない方である。
そこにたまたま居合わせるだけでも珍しいが、さらにはあの人嫌いで知られる内気なエーベルハルト様が、あろうことか微笑んで手まで振っていた。
いったい何者なのだ、メルジーナ令嬢は。
内心の驚きを押し隠しながら、リアは淡々とこの後の予定を告げる。
「時間がないのでこのまま皇宮をご案内します。業務内容についてもお話しながら。メルジーナ様のお部屋はこちらの本殿ではなく別の棟にございます。きっとそのころには荷物もお部屋に届いているでしょう。説明が終わったあと、ご案内いたします」
メルジーナは目を白黒させながらついていく。
背筋のぴんと伸びたリアを追いかけるだけで精一杯だ。
歩みは緩めずにリアが言った。
「早足で申し訳ありません。何分、殿下が謁見や会議に出てしまう前に間に合わせたいので。きっとご心配なさっていますよ。ティモシー様からくれぐれも宜しくと言われていましたから。さ、急ぎますよ。まだ執務室にいらっしゃるでしょうから」
「えっ? お会いするのですか」
「当然です。あなたは皇太子殿下の推薦で登城するのですから。一度ご挨拶するのが筋というもの」
初耳だ。
聞いていない。
いきなり天上人に会うなんて、ティモから聞いていた業務内容になかった、とメルジーナは今更ながら焦り出す。
令嬢としてのマナーなど知らない。
多少ここ数日で勉強はしたが、付け焼き刃の知識程度で雅な方々に失礼がないような振る舞いができるようになったとは自分でも思えなかった。
一応、契約をする際、父の手によって《病気で臥せっていたので貴族のマナーも振る舞いも常識も身に付いていない。行儀見習いとして出仕させるので宜しく頼みます》と一筆書いてもらっているはずなので、先方に話はいっているはずだ。
とはいえ、自信のないことをしなければいけないとき、怖くないわけがないのだ。
(あーっ、嫌だな、早く終わらないかしら)
メルジーナはうじうじしながらリアの背中についていく。
細身の腕が迷うことなく伸びて、執務室の硬い扉をノックした。
「失礼します。エルネスティーネ皇女様の侍女としてご登城、リーメンシュナイダー伯爵のご令嬢のメルジーナ様をお連れしました」
リシリブール帝国の地図を描いたタペストリー、宗教的な女神たちの絵画、彫刻の施された重厚な長机。小ぶりだが細工の見事なシャンデリア、壁の紋様まで美しい執務室には、金の刺繍の入った青いソファがあり、芸術品のような男性が座っていた。
「皇居で迷われていたようで、到着が遅くなられたとのことです」
「それは大変でしたね」
と、顔をあげた男の美貌。
(あーっ! あの、身投げ男!)
正確には身投げはしていないし、そもそもがメルジーナの完全な勘違いなのだが、当人にとってはそれどころではなかった。
(こ、皇太子殿下? って、この人なの!?)
一度見れば忘れない。
否、忘れられるだろうか。
この男こそ、氷の刃と噂される美丈夫。
鏡のように輝く銀髪とご尊顔を一度でいいから拝見したいと願う女性は身分に関係なく、若い婦人の間では御姿を写した絵が取引されるという人気ぶりだ。
リシリブール帝国が皇太子、ジークフリート・クラッセンだった。
メルジーナは俯きながら、心中で絶叫した。
(ティモォォォォォォーー!! あのあざとシャチーーーーー!!)




