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散策

屋敷の外に出て、メルジーナは一息ついた。


「今日もお出かけ? 姫さ……お嬢様ぁ」

メルジーナの後ろをついてくる黒髪の少年が言った。

雲がかすむ空の色のような青白磁の色をしたシャツを着ている。メルジーナよりも細身の頭ひとつ小さい。まだ少年の身体だ。


ティモはうっかり、やってしまったなあと顔に出ている。相変わらず分かりやすい小さな従者が可愛らしくて、メルジーナはくすくす笑った。


「まだこの呼び方に慣れないの? ティモ」

「いや~、僕にとって七の姫様は姫様のままだからさ、やっぱり難しいよねえ」


ティモはへにゃっと相好を崩した。

七の姫というのはメルジーナが海へいたときの呼び方だった。七人いた姫たちの末娘。

それを知っているということは、すなわちティモはただの貴族付きの護衛ではなかった。彼もまた、海から来た者なのだ。


「でも、ほんとよかった。ちゃんと姫様に会えて。そうじゃなきゃ魔女(ばあさん)を脅してこの体になった意味がないし」

「脅して?」

「あっ、いや、ちがくて」


ティモは慌てて両手を胸の前でパタパタさせた。


「頼んで! 魔女さんにお願いしたんだよお~」


あざとい。

自分の可愛さや天真爛漫な性格の魅せ方をティモは知っていた。

それはひとえに海の中で、メルジーナについていっているうちに、6人の姉たちにさんざん可愛がられ、甘やかされていたからだろう。


「お願いね……まあ、若いとはいっても《冥界の魔物》に頼まれたら、誰だって断れないわよね」


「えへへ……」



ティモはアメジストとコバルトブルーのオッドアイをパチパチ瞬かせた。

海の中にいたときと同じ、個性的で美しい瞳だ。


メルジーナは彼を助けた日のことをよく覚えている。


ある日、大岩に向かって泳いでいると、大きな魚が浮き上がっていた。近づいてみると魚よりも大きく、サメよりも大きく、さすがにクジラほどではないけれど形状は近いように感じた。暗色の体躯は艶やかでしっかりしていたものの、背鰭の脇から血が流れた跡があった。


見れば、太い(もり)が刺さっていた。返しがついており、抜けないようになっていた。まだ子供だから狙われたのか。


それでもシャチを狙うなんて命知らずなことをする者がいたのだった。おそらく素人の興味本位だろう。漁師や、少なからず海を知るものであれば、そんな向こう見ずなことはしない。


メルジーナは父や姉妹のところへ連れていき何とか銛を抜いてやったが、シャチはぐったりしたままだった。


メルジーナは色とりどりの海藻で作った自分の寝床にシャチを寝かせ、懸命に看病した。

そのかいあって奇跡的にシャチは回復し、やがて完全に傷がふさがるとメルジーナの周りをずっとついて泳ぐようになった。

末っ子だったメルジーナはこの小さな弟分を可愛がり、《ティモシー》と名前をつけた。それがこのティモだ。


シャチだったときの体の色と同じ、深淵さを感じさせる黒い髪は肩の上で切り揃えられてどことなく異国情緒が漂う。いたずらっぽく笑う大きな目や陶磁器のような白い肌と相まって、ティモは神秘的な美少年といった風情だ。だけど、ティモの本質はそこではない。


シャチは海の中では最強と恐れられている生き物だ。時速80キロで泳ぎ、海面から4メートル以上もはねあがることができる。クジラやサメ、毒のあるエイでさえも捕食するのだ。そして賢く、群れで隊列を組んで狩猟する。知能が高く、仲間がやられると報復し、その死を悼みさえする。ターゲットに対する容赦なく執拗な攻撃はまさしく《冥界の魔物》の名にふさわしい。


そんなわけで、件の海底の魔女もへたなことはできなかったのだろう。当時のメルジーナは力も魔法も使えない《人魚》だったので、声と引き換えに願いを叶えてもらった。姉たちは美しい髪が代償だった。が、ティモはーー。


「えっ?交換条件?別にそんなのなかったけどな……あっ、でもお願いするときに最初はダメッて言われたから、ちょっと熱くなっちゃって魔女さんのおうちですこぅし動いちゃったかな? そしたら『もうやめとくれ!望みは叶えるからこれ以上暴れんでくれ!貴重な秘薬も書物も家具も何もかもが大惨事じゃ!』って泣かれたよ」


どうやら姫たちのときとは事情がちがったらしい。


ティモは少年らしく白い歯を見せて笑った。


「ねぇ、姫様のお母様さ、とってもキレイだね」

「そうね。《この子》とよく似てる」

メルジーナはすらりと伸びた自分の腕を見た。

「だけど瞳の色がちがうね。お母様は透き通るようなブルーだけど、メルジーナお嬢様は紫だ」

と、ティモが言う。

「そう。以前はお母様と同じブルーだったらしいのだけど、私の魂が入ってからは紫になってしまったの。昔の私の瞳が赤かったせいかしら? 家族やメイドたちはみんな、高熱を出したせいだと思っているけど」


病弱のメルジーナは高熱を出し、一時は昏睡状態に陥るほどだった。実際のところ、当時のメルジーナの寿命はほぼ尽きていた。


空気の精として、約束通り1000組のカップルの恋の成就を叶えた七の姫は神様に直談判したのだった。

「今度こそ人間の男と結婚させてくださいっ! え?この姿ではできないって? じゃあ人間にしてください! 願いは一つだけ? えぇ……じゃあ、結婚は自力でどうにかするわ。人間の女の子にしてくださいっ! 」

その結果、魂の尽きた肉体に入ることになった。そこで選ばれたのがメルジーナだった。


「なんだか不思議な感じなのよね。思考や記憶は海の中の人魚姫のままなのに、人間のメルジーナの魂が私の中に溶けているのが分かるの。なんとなく……彼女が私のしたいことを応援してくれている気がする」


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