寝耳に水とはこのことです
やられた。
登城が決まったと父に知らされたとき、嬉しいでも光栄でもなく、メルジーナ・リーメンシュナイダーの率直な感想はその一言に尽きた。
犯人はもちろん判っている。
今や市井のヒーロー、聖少年、いや天使様ともてはやされている弟分のティモシーだ。
いったいどんな手を使ったのか、国の庇護を受けて塩漬けビジネスを拡大させたティモシーはちゃっかり子爵の称号までもらって帰ってきた。
おかげで没落までのカウントダウンが始まっていたリーメンシュナイダー家は見事に立ち直り、それどころか資産だけ見れば今や押しも押されもせぬ大貴族になってしまった。
普通ならば浮かれ成金になるところなのだろうが、貴族にしては堅実な父親と穏健な母親、節約と清貧が身に付いている家令によって生活レベルはほとんど変化がなかった。
変わったことといえば、家で働く使用人が10人増えたのと本邸の前のガタガタだった道が修繕されたこと、そしてメルジーナの庭園で珍しい植物や花が至るところで生育し不思議の園となっていることくらいである。
庭師のおじいちゃんこと、アーベル爺は昔はとある王室のお抱え庭師だったこともあるらしい凄腕の職人で、メルジーナが要望を伝えると二割三割増しに芸術的なものを作ってくれる。
アーベル爺の技術とメルジーナの謎のセンスが相まって、庭園はもはや植物の博物館と言った方がしっくりくるくらいの、小さな不思議ワールドになっていた。
その不思議空間の温室で、メルジーナはティモシーをうらめしく思いだしながら、バナナをはむ。
甘くねっとりした実が舌に心地よい。
なんだか元気が出る気がする。
当のティモシーは、帝国のリセに華麗に入学を決めた。首席とまではいかなかったが、トップクラスの成績だったらしい。
リセとは言うなれば、全寮制の学校だ。
これまでの貴族のみが通う限られたものではなく、帝都のリセである《リセ・キャトル》では平民も貴族と肩を並べて学ぶことができる。まだ軋轢が無いとはいえないが、平民出身の貴族という身分のティモシーにはうってつけだったのか、手紙の様子ではなかなかに楽しくやっているようだ。
そんな可愛い弟分の置き土産が、これーーリシリブール帝国皇室での行儀見習いだった。
皇宮でも、王室でも、身分の高い者の従者や侍女には同じく身分のある者しかなれないのが通例だ。つまり、貴族の子女でなければ要人直属の使用人にはなれない。
つまりは裏を返すと、伯爵令嬢のメルジーナは《要人直属の使用人》になることが既に決定しているといっていい。
シスコンの美形、残念な兄代表のシュテファンから、昨日その事実をきかされたメルジーナは目の前が真っ暗になった。おかげでまた横抱きで自室に運ばれてブランデーを唇に塗られるはめになった。
メルジーナは愛しい庭園との名残を惜しんだ。
「お休みの日には帰ってくるからね……!」
アーベル爺に任せておけば大丈夫だろうけれど、癒しの楽園だったこの場所と別れるのは辛いものがあった。
今回の登城は金銭目的ではなく、あくまでも令嬢としての《行儀見習い》の意味合いが強い。
シュテファンによれば、城に仕える貴族たちは基本的に雑務は行わず、貴族としてのコネクションを強固にし、人脈を作ることを第一とするらしい。
人脈。
もちろんその中には、結婚相手という目的も含まれる。
人生、いや魚生だろうか、をかけて婚活しているメルジーナにとって、行かざるをえない大きな理由だった。
それでも心細さは変わらない。
家の皆に励まされ、ささやかながらもご馳走を食べてあたたかく送り出されながら、市場に売られる子牛の気分でメルジーナは馬車に乗ったのだった。
いざ、帝国へ!




