お母様
金髪を櫛けずり、ハーフアップに結わえて、淡い水色のワンピースに袖を通す。夏の暑さがすぐそこに迫っているような晴れた朝なのに、今まで病弱だったためか、マリーは頑なにボレロやカーディガンを着るべきだと口を酸っぱくして言った。
結局、シンプルな白のオーガンジーのショールを羽織ることで落ちついた。
メルジーナが階段を降りると、一階のダイニングルームのテーブルにはすでに母が座っていた。
「おはよう、メルジーナ」
「おはようございます……お母様」
お母様。
ふわふわして、甘くて柔らかい。
そしてどこか懐かしい。
メルジーナはまだ慣れない呼び方を、舌先に刻み込むつもりで声にした。
海の中の生活では、母はいなかった。いや、正確には海なるもの全てが母といってよかった。七人の人魚姫たちは皆、大きな貝の中から生まれた。彼女らの保護者は偉大な父であったし、父以上に力のあるものなど海にはなかったからそれでよかった。水はいつもそこにあって当然なものとして、生き物を包んでいた。
メルジーナとして生きるようになってから、特定の人間を母と呼ぶようになった。最初は奇妙だったけれど、半年経った今ではこの慈愛に満ちた優しい目に見られるたび、メルジーナは温かな気持ちになる。
もしも私がメルジーナではなく、得たいのしれない人魚の魂だと知ったら、この人たちはどう思うかしら?
勿論、怖がり気味悪がるに決まっている。
だからメルジーナは絶対にこの秘密は墓場までもっていくと決めている。そう、この人生では、今回こそはきちんと幸福に《死ぬ》のだ。
人魚だったときの永遠とも思える長い命。
海の泡と消えた半端な人間の生。
そのどちらも、喜びより哀しさが勝っていた。
そして、人魚姫はこう思うようになった。
生の尊さを実感してその生涯を全うしたい。
願わくは、愛する者と共に。
人間として地に足をつけて生き、見知らぬものや興味深いことをたくさん楽しんで、伴侶を見つけ、今度こそ素晴らしいハッピーエンドを迎えるのだ。
母親のカタリーナは貴族らしい優雅な手つきで白根豆のスープを飲み終えると穏やかに尋ねた。
「メルジーナ、今日もお散歩に行くの?」
「はい。海辺に行くと気持ちが良いんです」
カタリーナは困ったように微笑む。
「最近のあなたはずいぶん具合がよくなったとはいっても無理は禁物ですよ。風邪なんてひいたらどうなるか、母は心配です」
「大丈夫です!無理はしません。屋敷の近所を少しだけ、ほんのちょっと散策するだけです」
「ほんのちょっと、ね……」
アイスブルーの瞳に見透かされてしまいそうで、メルジーナは内心ひやひやしていた。