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人魚姫メルジーナは今世こそ平和に結婚したい  作者: 丹空 舞
第一章

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帝国の懐刀、報告す



ジークフリートは、その日もいつもと同じように、届いた報告書を読みながら朝食をとっていた。


執務室の大きな窓からは光がよく入る。


からりと晴れた秋晴れの空である。


こんな日は、サンドイッチも普段より美味しく感じる。


美貌の麗人は珈琲豆の香しい匂いに浸りながら、市場の情勢の報告に目を通した。


そして、瞠目した。







「リーメンシュナイダー……伯爵家?」








報告書を持ってきたリア・ヴァイスが鳶色の瞳を僅かに細めた。


ひとつに結い上げた、瞳と同じ色の髪が小さく揺れた。


額にかからないように、前髪だけは細い三つ編みにしている。



ジークフリートがリアを家臣にしたのは、ジークフリートが12の時だ。


リアはまだたったの5歳だった。


元・王国のスラムのごみの中、泣くこともせず、幼子らしからぬ鋭い眼差しでジークフリートを睨み付けていた。



ジークフリートは彼女を拾い、懇意にしていた大公国に15歳になるまで養育を頼んだ。


大公の趣味で可愛らしい恰好をさせられるのはどうにかしてほしいと辟易していたが、おおむねすくすくと育てられたようだ。


元来素直な性分で律儀なリアは、ジークフリートと大公に絶対の忠誠を誓っている。



執務室に堂々と立つ細身のリアを見ながら、大きくなったな、とジークフリートは思う。


齢27にしてすでに叔父のような気分だ。




「仔細を申し上げてもよろしいですか」





報告書を仕上げているのはリアだが、調査の指揮を執っているのも彼女だ。


帝国の懐刀ふところがたなと呼ばれる護衛は、同時に凄腕のスパイでもある。


ジークフリートが頷くと、リアは淀みなく喋った。





「エデルナッハのリーメンシュナイダー家が力をつけているとのことです。財政的にもですが、市井の民の人心を掴んでいるともっぱらの評判でした」


「それはまた――」




領民から税を徴収して生きる貴族は反感をかうことも多い。


平民に好まれる伯爵など、異例中の異例だ。





リアは頷き、続けた。




「人魚のラベルのついた瓶や樽が市場に出回り始めています。中身はニシンを塩漬けにしたものです。リーメンシュナイダー領では昔から獲れていたもののようですが、

不漁が続いたこともあり、ここ最近では価格も高騰していたとのことです。船で運んでいる間に鮮度が落ちてしまうので、あまり好まれていなかった食材です」


「それを伯爵が塩漬けにしたというのか?」


「いいえ、正確には伯爵ではなく、リーメンシュナイダー家の《ティモ》という少年です。彼が独断でアイディアを出し、市井の料理人を協力者として仲介させ、漁師たちと交渉し、実行に移したとのことです。

リーメンシュナイダー伯爵には拾われた恩義があるらしく、伯爵家のために何かしたいと思い立ち、領地で獲れるニシンで商品を作ったのだとか」



自身もジークフリートに拾われた経緯のあるリアにも何か思うところはあるらしい。


表情は真顔であるものの、顔の横の細い三つ編みが微かに揺れた。




「泣ける話だ」


「ええ。しかも彼は、美少年ともっぱらの噂でして、領民には翼のない天使と騒がれるほどの人気ぶりです。さらに彼はニシンの塩漬けで得た利益を漁師たちに還元する仕組みを整えており、

あの荒くれもの揃いの漁師たちの心までもをがっちりと掴んでおります」




ちなみに、とリアは続けた。




「殿下の本日の朝食に使われているのも、例のニシンです。生の魚は敬遠されてきましたが、これならば保存もきき、また味も格段によくなると、リーメンシュナイダー領の外でも評判です。

領外へ輸出することも視野に入れているようで、ティモという少年はさらなる商機を狙っているとかいないとか」




なんと末恐ろしい少年がいることだろうか。


ジークフリートは内心で舌を巻いた。



皇室の人間としてあまたの為政者と渡り合ってきた自身の経験で知っている。


結局物事を大きく動かすのは武でも財でもなく、人なのだ。


人心を捉えたものが勝つ。


ティモという少年がカリスマであるのは間違いなさそうだった。





「伯爵はどんな様子だ。リーメンシュナイダー伯爵は野心のあるタイプではなさそうだが」



自身の記憶と照らし合わせてみても、穏やかそうな笑みを浮かべる貴族というイメージである。


少年を味方につけて反乱を起こすようには思えない。


ただ、イメージだけで判断することは不可能だ。


リアは軽く頷いた。




「はい。リーメンシュナイダー伯爵も、これらの事実を知ったのは最近のようです。町へのお使いが多いとは思っていたが、ビスケットでも買いに遊びにいっているのだろうと大目に見ていたようで、

このような大がかりなビジネスを計画・実行していたのは寝耳に水だったと。人魚印の塩漬けがあまりにも人気なので、漁師たちの取り分を差し引いても莫大な利益が入っているようです。

ティモはそれをほぼ全額、リーメンシュナイダー家の財に寄付しています。唯一、彼がねだったのは、彼の直属の主人であるご令嬢のメルジーナ様の休息できる庭園の補修とのことです」



「そんな欲のない少年がこの世に存在するか?」


「お疑いになるのは結構ですが、事実です。伯爵家はいたく感激して、彼を養子にしようかという話が出ているようです」


「伯爵家にはもう一人、シュテファンという男がいなかったか?」


「はい。シュテファン様も養子に入られています。ご令嬢のメルジーナ様が一人娘だとのことで、エデルナッハの孤児院から伯爵が引き取ったようです。現在までは彼が跡取りとして養育されていましたが……」


「今後どうなるか分からない、ということだな。引き続き、動きがないか調査してくれ」


「承知いたしました」







ジークフリートは彫刻のようだと形容される長い四肢をゆっくりと椅子にもたせかけた。


長い指先でサンドイッチをつまみ上げて口に入れる。


普段とちがう美味しさは、秋空の青さのためだけではなかったか。


確かに噛むほどに旨味が出て、生臭さなど全くない。


適度な塩みと酢漬けになったオニオンが合わさって、さっぱりとした後味だ。


まろやかな旨味は海の芳醇さを思い起こさせる。


波止場で一度だけ会った金髪の少年の姿がふっと瞼の裏によぎった。






「惜しいな……」





と、ジークフリートは呟いた。


もしも、あの魔法使いのようだった《少年》が《少女》であれば。





皇太子の権限をいかようにも使って、必ず手元に置いたのに。








「おくちに合いませんでしたか?」



リアが小首を傾げて尋ねるので、ジークフリートは慌てて誤解を解いた。



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