料理人とお嬢様
「……騒いですみません」
消え入りそうな声でティモが言った。
大嫌いな人間、しかも男に世話になってしまったので自分で自分が許せないらしい。
目の前には水の入ったグラスが置いてある。
半泣きの少年にいたたまれなくなったエルマーが、なだめながら座らせたのだった。
「いやあ、いきなり出てきた僕も良くなかったからねぇ。びっくりさせちゃったねぇ、ごめんごめん。ほら、残り物だけどプディングがあるよ。どうぞ」
美少年を泣かせてしまった負い目か、否、本質的にお人好しなのだろう。エルマーがティモの前にデザート用の小さなココットを置く。
「うちのプディングは塩をほんのひとつまみかけてあるんだ」
「塩ぉ……?」
人生で一度も塩プディングなるものを食べたことのないティモは、飼い主の許可を得る犬のように怪訝な顔でメルジーナを見た。
そんなティモにメルジーナは微笑みながらオッケーのサインを出した。
一口食べて感動にうち震えているティモを横目に、メルジーナは本題を切り出した。
「初めまして。私はリーメンシュナイダー伯爵家、長女のメルジーナと申します。突然の訪問をお許しください」
伯爵家と聞いて、料理人の背はあからさまに強ばった。気付かないふりで、メルジーナは続ける。
「エルマーさん。あなたを1日お借りしたいのです。もちろん報酬はお支払いします」
「借りる……というのは……」
「魚を捌いて欲しいのです。できるだけ手早く。あなたなら、それができます」
戸惑ったのはエルマーだった。
白磁の肌、紫水晶のような瞳、可憐な唇の超絶美少女が突如現れて、金は出すから魚を捌けと言い出したのである。
「いや……伯爵家のご令嬢とはいっても、そんな突然の話で……僕なんかが役立つとはとても……店の営業もありますし……」
ゴニョゴニョするエルマーを、メルジーナは紫の瞳で真っ直ぐ見据えた。そして鈴の鳴るような声で言い放った。
「エルマー・アイゼンフート。御歳31。帝国お抱えのシェフ、ギルベルトに師事。後に独立し、レストラン《海の皿》を開店。経営がうまくいかずレストランから酒場へ規模を縮小しながらも、日夜新しいメニューを開発し続ける。女性関係はここ五年で一度もーー」
「わあああ! 待って待って!」
「どこか間違っていましたか?」
小首を傾げるメルジーナに、エルマーはどこから突っ込んだものだろうかと思案した。
病弱で姿を見せたことのないと噂だった伯爵令嬢は、あっさりとエルマーの前に登場し、しれっと個人情報を丸裸にしていく。
金髪の見目麗しい少女は、蒼いような紅いような不思議な色の瞳にふと長い睫毛を伏せた。
「私は知っています。貴方が日夜、料理の技術を研鑽していることを。包丁や鍋を毎日手入れしていることを。そのため女性とのデートも数年間は完全にご無沙汰でーー」
「いやいやいや!?後半必要ないよね!? というか何で知ってるの?」
「とにかく。私は貴方のその食材に関する技術を高くかっているんです」
「はあ……そりゃ、どうも……」
「貴方はこのお店を維持したい。私は庭園を復活させたい。そのためにはお金が要る。貴方の協力で私たちは互いの夢を叶えられるのです」
少女があまりにも揺るがない態度なので、エルマーは妙に説得されてしまった。
「それは伯爵家のご指示で……?」
「いいえ、私の独断です」
きっぱりと言いきって、メルジーナは微笑んだ。
「私はどうしても、腕のよい職人が欲しいのです」
その台詞はエルマーのプロの料理人としての矜持と自尊心をくすぐるのに充分だった。




