3年後
屋敷の窓から顔を出したメルジーナは、ただよってきた潮の香りに目を細めた。
房のような豊かな金髪が風を受けてたなびく。
色白の陶器のような肌。桃色の唇は血色がよくつやつやとしている。紫がかった紺碧の瞳は海の底を思わせるような深淵さ。髪色と同じ金色の長い睫毛にはきらきらと朝日があたり、彼女は幸福そうに微笑む。誰もがはっとするような美貌だが、屋敷が塀で囲まれているためにこの朝のメルジーナの姿を見ることができるのは、母親とメイド以外には屋敷を訪れる小鳥たちだけだった。
この屋敷はリーメンシュナイダー家の別邸で、夏の間、メルジーナと母親のカタリーナはここに逗留している。父親のアーベルトは伯爵としての公務のため、リシリブール帝国内の屋敷にいる。
「お嬢様、おはようございます。体調はいかがでございますか?」
メイドのマリーがポットに並々入れた紅茶をもって部屋に入ってきた。50代に差し掛かるマリーの顔には貴族とはいえさほど裕福ではないリーメンシュナイダーの家の内を長年切り盛りしてきた苦労がしのばれる皺がある。けれど、厚い化粧なんかで隠そうとしない実直そのもののマリーをメルジーナは気に入っていた。きっと、『以前の』メルジーナもずいぶん懐いていたのだろう。
「絶好調よ、マリー」
メルジーナは窓を閉めてマリーに笑いかけた。おしゃべりで情の深いメイドのマリーは毎朝、メルジーナにハーブを煎じた滋養に良い茶を持ってきてくれる。産まれたとき、低体重ですぐに熱を出していたメルジーナが18になるまでなんとか生き延びてこれたのは、母親とこのマリーの献身的な看護のおかげだった。
「それはようございました。ああ、もう半年も前になるのですね。お嬢様が高熱を出された去年の冬は。何度も意識を失われて。マリーはお祈りをしながら生きた心地がしませんでしたよ。それがどうでしょう、奇跡が起こったとしか思えません。お顔の色もこんなにつやつやとなさって、生気があふれておりますよ。海の神様に祈りが通じたに違いないですよ。マリーはもう嬉しくって仕方がないんです、お嬢様」
「うん、分かったわマリー。私のことを案じてくれているのは感謝してる。でも、お茶が冷めちゃう前にいただいていい?」
「これは失礼いたしました。お嬢様の本当にお元気なご様子を見たら、つい喋りすぎてしまいました」
喋り癖はあるものの勤勉なマリーはカップに丁寧に茶を注ぐと、ベッドメイクを始めた。その間にメルジーナは、チェアに腰かけてカップを傾ける。蜂蜜の微かな甘味が朝のすきっぱらに心地よい。
マリーが着替えを手伝ってくれるのは素直にありがたかった。人間の世界の様々な振る舞いは、まだメルジーナには馴染みのないことも多かった。特に化粧やドレス、アクセサリーなどの類は海の中では全く縁のなかったもので、物珍しさはあるものの、実際に身に付けるとなると良し悪しがさっぱり分からない。
マリーは自慢のお嬢様のためにいつも時間をかけて支度を整えてくれる。以前のメルジーナもそうしていたらしい。貴族のお嬢様なのだから至極当然のことなのだが、今のメルジーナにはありがたかった。