酒場
「いや、いやいやいや、姫様ちょっと、これは……」
ティモは全力で引いていた。
街中のレストランやカフェなら分かる。
しかし、これはよろしくない。
どう考えても十代の令嬢が来て良い場所ではない。まかりまちがっても、メルジーナを溺愛しているリーメンシュナイダー家の人々に知れたら大問題だ。
「大人の階段のぼりたいって気持ちは分からなくもないけどさ、ここじゃないって。今じゃないって!」
ティモの必死の説得もむなしく、メルジーナは不敵な笑みを浮かべて、蝶番のギシギシ軋む扉に手をかけた。
(開くな、開くな……!)
ティモの祈りもむなしく、扉はあっけなく開いた。
ギィィィィという幽霊屋敷のような音にティモの背中は自然と猫背になる。
喧嘩は得意、というかわりと好きな方だけれど、幽霊となると話は別だ。
強い敵がいくら襲ってきても興奮するだけだが、説明できないものには自然と恐怖を感じる。
中はあかりが申し訳程度についていたが、ほとんど廃墟といって差し支えない。小さな店内のカウンターには埃が積もり、椅子の足のうちの一つは奇妙な角度で曲がっていたし、店の中にかかった絵も傾いていた。木で彫った熊の置物や、謎の木刀、「えでるなっは」と書かれた三角の旗のようなものが飾られており、その統一感のなさたるや店主の趣味が疑われる。
「ねー姫様ぁ、何があるっていうのさ、こんなとこ。いや、別に怖いとかじゃないけど」
メルジーナは勝手を知っているかのようにどんどん中に入っていく。
否、彼女は《知っていた》。
(久しぶりだわね、ここに来るのも)
そう、空気の精として彼女は一度ならず何度もこの店に来ていた。
「真っ昼間からどうしたの? 営業時間は夕方からだよ」
ひょろりとした色白の男が愛想よく言った。
彼はカウンターの下から今夜使う予定の食材を出しただけだったのだが、客の話し声を聞いてすぐ立ち上がって口を開いたのがよくなかった。
まさかカウンターの向こうにいきなり人があらわれるとは思っていなかったティモの怯えきった悲鳴が、店内に響きわたった。




