ボロイ館
(問題なのは、どうして《ウチ》がこんなにボロ屋敷なのかってことよね)
メルジーナは丸テーブルに腰かけた。
否、腰かけようとしてとどまった。
金属製の椅子も錆びている。
いったい以前使ったのはいつなのか。
思い返してみれば、リーメンシュナイダー家の面々がここを使うことはほとんどない。
エーヴァルトは伯爵としての公務や社交でなんだかんだと忙しい。
家にいるときは書斎にほぼこもりきりで、そうでなければ食堂や談話スペースで紅茶を飲んでまったりしている。
カタリーナはといえば、家でゆったりしているというよりは、孤児院へ子供たちのプレゼントとしてもっていくハンカチに刺繍を入れたり、手づから慰問に持っていく菓子を焼いたりと、マリーやティモたちに混じって働いていることが多い。細々としたことが得意なのは貴族の奥方らしくはないかもしれないが、そういうことが好きなたちなのだ。
そして、リーメンシュナイダー家の養子として採られ、次期当主であるシュテファン。
メルジーナの兄になるのだが、シュテファンは城で公務をしていることが多くいつも忙しそうだ。
珍しく家でくつろいでいるときももっぱら自室か居間や食堂で、ここにいることはない。
メルジーナにしてみても、半年前に大病を患い奇跡的に回復するまではずっと自室に引きこもりっきりだったらしい。
そして使う人間がいなければ、建物は当然朽ちていく。
「おや。どこにいるかと思えば、姫様、じゃない、メルジーナ様、こちらにいたんですねぇ」
廊下を通りがかったティモが面白そうに話しかけてきた。
人が少ないとはいえ、一応は屋敷内なので慇懃な言葉遣いだ。
年齢のわりに、こういうところは適応力がある従者なのである。
「どうしたんですか? そんなさびれたとこにいたって何もないでしょう」
「それじゃだめなのよ!」
メルジーナは心の叫びを放った。
さすがの最恐の従者もこれには不思議そうに小首を傾げる。
「というと?」
「ひどいでしょ、このお庭! 庭じゃないわよね、あなたが言ったとおり《さびれた場所》でしかないわ。物置小屋にはツタが絡まってるし、椅子やテーブルは錆び錆びのガタガタだし、温室は壊れて傾いてる、雑草は伸び放題。花壇の花は雑草に負けて埋もれてるし、そもそも水をあげてる気配もない」
「うーん、おっしゃる通りだけどひとつだけ」
「何よ!?」
「あそこの花壇は実は花壇ではなく噴水だよ。いや、噴水だったらしい。水が干上がって砂がいつのまにかたまって、鉢などが置かれた結果雑草がはびこるようになり埋もれているだけで」
メルジーナは絶句した。
思っていた通り、いや、思っていた以上にひどい惨状だ。
「ティモ……私が一度死んでまで人間の世界に来たのはなぜか話したわよね」
「男性と恋をするためでしょ?」
庭のウッドデッキに降りてきたティモはどこにいれていたのか、ビスケットをかじりながら投げやりに言った。もう丁寧な言葉遣いも、執事としての態度もやめたようだ。
メルジーナは力説した。
「そうよ! もっと言うと《結婚する》ためなの! 私は今度こそ、地に足の着いた恋をして、平凡で平穏な幸せを手に入れたいの」
「人魚の姫様が《地に足をつける》って、ぷぷ」
「元・人魚よ! 笑わない!」
「しつれーしましたあ。えーっと、それで? 何だっけ? 結婚? それがどうかしたの」
「このままじゃ、まともな結婚なんて夢のまた夢よ」
「どうしてさ?」
メルジーナはビスケットの欠片のついたティモの頬をぬぐってやった。
丸いガラス玉のような瞳には隠し切れない好奇心が映っている。
メルジーナは、噛んで含めるようにゆっくりと言った。
「あなたが人間の適齢期の男だったら、さびれて荒れ果てた屋敷の、貧乏貴族の娘とわざわざ結婚しようと思う?」
「えーっと、場合によるんじゃない?」
「どの場合よ。しかも、その娘は病弱で、それゆえにほとんど屋敷から出たことのない世間知らずだと噂になっているとしてよ? 正直に、どう思う?」
「……」
「ティモ」
ティモは促されて両手を挙げた。
降参のポーズだ。
「……訳アリ物件、はなはだしいね」
「でしょう」
鼻息もあらくメルジーナは答えた。
「そんな今の私に、まともな縁談が来るわけないわ」
しかし、そう口にする彼女の瞳に諦めや落胆、悲しみの色は一切なかった。
死線を超えた人間、いや人魚は、強いものである。
「作戦を練るわよ!」
「えっ、姫様、ぼく一応仕事中……聞いてる? ちょっと……」




