身投げ
「まずいわ、止めなきゃ!」
あわてているメルジーナをよそに、ティモは落ち着き払っていた。
「えー? なんで止めるの? いいんじゃない、命を賭して海と一体になるなんて格好いいと思うよ」
と、他人事のように言う。人間嫌いもここまでくると清々しい。
メルジーナは声を荒げた。
「人間は私たちみたいに泳げないのよ!? 泳げないのに海に飛び込んだりしたら……」
「息ができなくなっちゃうねえ。ざまあみろだ」
「ティモ!」
「はいはいすみませんでしたー。そんな怖い顔しないでよ姫様ってば。わかったよう」
メルジーナは急いだ。
前回人間になったときのように足裏に激痛がはしることもない。
地面をしっかりと蹴って走ると、視界の奥にうつっていたさんばしがぐんと近づいた。
「ちょっと! そこの人っ! 待って!」
さんばしから身を乗り出していた人間がこちらを振り向いた。
こげ茶のマントと白のシャツが海の風を受けてひらりと揺らいだ。
銀色の絹糸のような長髪がひと房、小さな滝のように肩から滑り落ちた。
長いまつ毛は切れ長の目の形を引き立たせていたが、瞳の奥にはどことなく隠し切れない焦燥感が見え隠れしていた。
よく見れば、美貌のその人は、《男》だった。
それもメルジーナが見たことのない種類の。
(何、この人……これが人間?)
ぞわ、と鳥肌が立つ。
激しい波に全身を打たれたようにメルジーナは圧倒された。
猛禽類を思わせる鋭い眼差しに射抜かれたからだけではない。
男のもつ雰囲気はメルジーナの知る海のどんな生き物よりも野生的だった。
だけれど粗野ではない。
自然によって洗練された天然の岩の彫刻を見ているようだった。
ティモが《ぼんくら》と形容したあの王子とは何もかもが違っていた。
確かにあの王子を初めて見たとき、いいなあ、楽しそう、わくわくする、キラキラしていて面白そう、と思った。もっと近づいてみたいとも。だからこそ、ひれを捨てて人間になったのだった。
しかし、この男は――。
(きれい……それに、とても……懐かしい)
男の瞳は、海の中から凍てつく海面を見上げたときのような、明るさを秘めた静かな蒼だった。




