さんばし
メルジーナとティモは街の奥の入江に向かっていた。
普段であれば朝の仕事を終えた漁師たちとすれ違うが、感謝祭だからかこちらにはあまり人通りがない。
ちらほらと人影はあるものの、皆、街の中央に行くようだ。
街中で大きな魚をモチーフにした様々な装飾を見たのをメルジーナは思い出した。
父さん、姉さんたちは元気だろうか。
人魚の寿命は300年くらいだから、きっと相変わらずなのだろうけれどーー。
ここ、リシリブールの国では海や川、水のある土地が交通の要所とされている。
そのためか、人々は海には巨大な魚の姿をした王がいると信じていた。
当たらずとも遠からずといったところで、「王」つまり人魚だったころのメルジーナの父親は、人魚だ。
しかし男性の人魚はとても珍しく、メルジーナの知るところ父以外の男を海の中で見たことは一度もない。
だから、人魚の姫たちは15の歳になれば陸に近づいて男というものを見に行くことが許されていた。
「空気の精だったときも、今の人間の娘になったときもそうだけれど、男って普通にいるのね……」
「あはは、何言ってるんだよ姫様。海の生き物たちだって、ちゃんとオスもメスもいたじゃん」
「それはそうだけど、自分と同じような形のオスって見たことなかったから」
だから、あの王子に惹かれてしまったのだ。
自分と同じようで、全く違うような、不思議な生き物にとらわれてしまった。
今思えば、珍しさや憧れに近い想いだった。
だけど当時はそれに気が付かなかった。
「ねえ、姫様。今回好きになる人は慎重に選んでよね。あんなぼんくら王子みたいなのはやだよ」
口を尖らせるティモにメルジーナは苦笑した。
「ぼんくらって……」
「だってそうじゃん。あいつ、姫様が声を無くしてたからって、別の女の言うこと簡単に信じちゃって。ばかだよ。ね、僕は従者としてどこまでも姫様にお供するって決めてるけどさあ、姫様の心の中まではどうにもできないんだからね」
「分かってる」
近付く潮の薫りに心をときめかせながら、メルジーナは橋を渡った。
この石橋を渡れば海はもうすぐそこだ。
入江には漁船が幾艘か停泊していた。
持ち主たちは祭りに出ているようで人気はない。
メインの港のある浜辺から少し離れた地にあるこの入江はもともと人が多いような場所ではない。
漁は午前中の早い時間に行われるので、もう皆エールでも飲んで赤ら顔になっている頃だろう。
この人気がいない時間帯と場所を狙ってきたかいがあった。
メルジーナはにんまり笑った。
晴れた空に浮かぶ雲が海面に映って美しい。
陸の上、外側から見てもやはり母なる海はきれいだった。
「あれ?」
そのとき、メルジーナはあるものを見つけた。
「どうしたの、姫様」
「ティモ。あれって……人よね?」
さんばしを指さすとティモは目を細めた。
「ああ、本当だ……でもなんで、こんな時間にこんなところにいるんだろう」
それはメルジーナにとっても疑問だった。
あの人も泳ぎたい? でも祭りの最中に?
明らかに不自然だ。
あの人が人魚なら、根源的な欲求に逆らえずに泳ぎたくなるのも分かる。
だけど尾びれではなく、人間の足がしっかりついている。
泳ぎたくないのにさんばしから身を乗り出している。
人のいないときを見計らって。
となれば、予想できる答えは、つまり――。
「身投げ!?」
メルジーナは悲鳴をあげた。




