召喚阻止・三
『巫女、まずい。きゃつはなまずを起こした』
私の元に、黒虎の声が届く。
なまず……地に封じられている神獣の?
「どうすれば、なまずを止められる!? このまま行ったら、保昌たちが術式を解除しても、大江山は……!」
私の悲鳴に、酒呑童子と相まみえていた皆が凍り付く。
ちらりと背後を見る。既に赤い発光は緩まっているけれど、なおも紅葉が必死で詠唱を続けていることからして、まだ完全に術式は解除できていないし、今離れたら、霊山の召喚が完了してしまう。
でも、なまずを叩き起こされたら、それこそ……!
私の悲鳴に、黒虎は『巫女、我と契約したことを感謝せよ』と笑い声を投げてきた。
……どうして、この状態でこの人は笑えるのだろう。
『巫女、黒虎の力を忘れるな。それを使えば、なまずは止められる。ただし、なまずを止められるだけだ。酒呑童子を仕留めることができぬことだけは心得よ』
「……わかった。皆!」
私は自身の剣の柄をきゅっと掴んだ。私の刀の柄には、二柱の四神の力が宿っている。この力を使えば、たしかになまずは止められると思うけど、酒呑童子を倒すことだけはできない。
「星詠みの皆は今動けない。酒呑童子を足止めしてくれたら、私がなまずを止める」
「策は?」
頼光に尋ねられる。彼はどうにか矢を番ってはいるものの、彼に直接当てるのは止めて、牽制に留めている。
「……黒虎の力を使う。私の力を全部なまずを制するのに使うから、なまずを止めている間は動けない。その間に……」
「だそうだ。維茂。いけそうか?」
田村丸が維茂に尋ねると、維茂は背後の紅葉を凝視した。
紅葉は未だに必死に詠唱を続けている。最後の術式の解除が終わっていない以上、彼女はなまずが起きたら最後、逃げ出すことができない……解除が終わらない限りは、まだ霊山が召喚されるおそれがあるからだ。
「……紅葉様を置いて、逃げられる訳がないだろう」
「君はいつもいつも、紅葉第一だねえ」
頼光のからかいに維茂は応じることなく、自身の太刀を掴み直した。
「……田村丸、行くぞ」
「ああ。しかし、利仁は吹き飛ばされてからこっち、起きやしないがいいのかね」
あの人もいつも調子が独特過ぎて、この緊急事態でまでいつもの調子だから、調子が狂うというか、いつも通りと取るべきか、判断に迷う。
でも、まあいいや。
田村丸と維茂がそれぞれ得物を携えて酒呑童子に斬り込みにかかったのを見てから、私は鬼ごろしの剣を地面に突き立てる。
「我が契約せし黒虎よ、御身の力、我に貸したまえ……!」
『御意』
剣の切っ先から放たれるのは、極寒の冷気。
黒虎の力は氷の力、雪の力。それが地面を流れる地下水を、木の根に含まれる水分を、どんどんと凍てつかせて、地面の中で蠢いているなまず目掛けて凍気を放つ。
剣先にはどんどん震えが伝わってくる……この蠢きが、この地下で目覚めたなまずの気配だろう。
「いいから……大人しく、しろぉぉぉぉぉ……!!」
皆が戦ってくれているんだ。
酒呑童子の力はどれだけ凄まじくても、こう何度も何度も神通力を起こせやしないし、いつかは体力も切れる。
私たちは、負けない。負けられない。
……黒虎だって生贄の人たちを安全地帯に逃がせたら戻ってくる。勝ち筋はもう見えている。
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私が必死で詠唱を唱えている間に、鈴鹿は地面に鬼ごろしの剣を突き刺して、なにかに対して必死に抵抗をしている。
こちらからはよく見えないけれど、彼女がなまずを止めてくれているんだろうか。
それに「あらあら……」と茨木童子が笑う。
「巫女やるわねえ……酒呑童子の起こしたなまずを、氷漬けにして身動きを封じているのよ。その間に酒呑童子を倒すことができたら、いいわねえ……」
「……利仁さん、今の内に僕は加勢に加わってよろしいでしょうか? せめて皆の体力を回復できれば、酒呑童子に勝てるやもしれません」
あれ、利仁は気絶していたんじゃ。そう思っていたけれど、いつの間にか起き上がって、いつも通りの全く読めない表情でこちらを見ていた。
「我は行かなくてよいかや?」
「……まだ紅葉様が詠唱終わってませんから。紅葉様をお守りください」
「あら失礼ねえ、私が紅葉ちゃんを守ってあげるのに」
ふたりともそれには全く答えなかった。
要は茨木童子が信用できないから、利仁が起き上がったのを見計らって出て行ったらしい。利仁はさっさと弓に矢を番って、キリキリ音を立てて茨木童子に向けた。茨木童子は大袈裟に手を挙げる。
「いやあねえ、乱暴者」
「たわけが。日頃の行いが物を言うんじゃ」
「それ人のこと言えるのかしらぁ……?」
その言葉に私はなんとも言えなくなる。
私はゲームクリアしているから知っているとはいえど、茨木童子や酒呑童子は既に利仁の正体を察しているんじゃと。
そうこう思っている間に、ようやく呪文詠唱が終わった。最後の一説を言葉を通して地面に流し込む。
「刻め……六連の後星」
途端に最後の発光が消えた。力をどっと持って行かれたけれど、どうにか霊山召喚の阻止は完了したみたい。
私はぜいぜいと息を吐きながら、ぺしゃんと地面に座り込むと、ぽんぽんと背中を撫でられた……あんたスキンシップしていいのは仲のいい人同士であって、そうじゃない人には普通にセクハラだから。私が心底嫌そうな顔をしていたのがわかったのか、それでも茨木童子はころころと笑う。
「まあよかったじゃない、これで霊山召喚は阻止できたんですし。それに……あなた方のお仲間は助けなくってよくて?」
そう言って、前線を見る。
鈴鹿はひとり歯を食いしばって、びちびちと暴れるなまずの動きを封じている。必死に力を振り絞っているし、黒虎の力を駆使しているのだろう、手がだんだんしもやけができて赤く膨らんできていた……。
さっさと決着をつけないといけない酒呑童子だけれど、田村丸と維茂がふたりがかりで斬り込み、更に牽制で頼光が矢を打ち続けているけれど、それでもなお終わる気配がない。体力が削れる皆を必死で保昌が回復詠唱を続けているけれど、それでもじりじりと削れていく皆の体力が膨大だ。
どうしよう。これはなまずを手伝うべきか。酒呑童子を倒すのを手伝うべきか……。
私の手持ちの補助詠唱だったら、せいぜい攻撃力を半減させる扇星くらいしか手伝えないけれど……なまずに利くかはわからないから、これは酒呑童子に向けるべきか? でも酒呑童子に向けるとしても、これで利くのかがわからない。これはとどめを刺すことはできない、せいぜい攻撃力を半減させるだけなんだから。
でもなあ。ここは私、巫女である鈴鹿を信じて待っているほうがいいのか?
私が困り果てている中、利仁が「ふん」と鼻で笑ってきた。だから、あんた本当になんなんだよ。
「できもせん心配をするでない。どっちみち紅葉。そちは今まともに動けぬであろうよ。あれの解呪にはかなり力を削られておろうからな」
そう言われて、気付く。
どうにか呼吸は整ったものの、立ち上がろうとしても膝に力が入らない。まるで持久走で体力振り絞って走ったあとみたいに、体を整えようとすること以外、できることがなにもない。
私、本当に守護者としては力不足なんだな……わかっていたとはいえど、つらい。
私がひとり沈むと、またも利仁は鼻で笑ってくる。
「そこで待っておればよかろうよ。巫女はそちがいる内は、必死でなまずを止めようとするからの」
「もうちょっと紅葉ちゃんに優しく言ってあげればいいじゃない。疲れているなら休んでおけ、巫女が心配するし自分も心配くらい言えるでしょうが」
「なんとでも言っておけ」
茨木童子の解説に、思わずずっこけそうになる。
いやわからないよ。どんなツンデレこじらせたら、そこまで言葉が足りなくなるの。なんで維茂といい利仁といい、ここまで言葉のチョイスがアカンの。
ひとまずは、私は鈴鹿たちを信じて待つことにした。
大丈夫、皆強いのだから。やれることはやった。あとは、皆を信じて待とう。




