星空夜話・一 鈴鹿と維茂
私たちが鬼無里を出てから、既に三日が経過している。
北の封印を優先したかった私の失策のせいで一日無駄にしてしまったけれど、それ以降は順調に進んでいることに、私はほっとしている。
今のところ、田村丸の呪いは保昌のおかげで進行していないように見えるけれど、いつ呪いが進行してしまうのかわからないから、早く封印で四神の一柱と契約してしまいたかった。私が焦ったせいで、皆を巻き込んでしまったのだから、反省しないと。
あと少しで東の封印に辿り着くのだから、早く眠ってしまいたかったのに、その日はどうも目が冴えてしまい、寝付けなかった。
せめて、刀の素振りでもしたら眠れるかな。私はそろりと起きる。既に頼光も利仁も眠りに着いているみたいだけれど、維茂は火の番をしてまだ眠ってはいないみたいだ。私が起きたことに気付いたのか、彼が声をかけてきた。
「鈴鹿、寝なかったら明日倒れても知らんぞ」
「ごめん。ちょっと眠れなくって……あれ、紅葉と保昌は? 田村丸も見当たらないけれど……」
寝床にいない三人に首を傾げていたら、維茂はちらりと森の方を見た。
「紅葉様と保昌は、星見を行っている。田村丸はふたりの護衛だ。結界のおかげで魑魅魍魎は入ってこられないだろうが、鬼にいつまた襲撃されるかわからんからな」
「そっか……星詠みの仕事は今の時間だもんね……ねえ、維茂。少しだけ聞いてもいいかな?」
維茂は黙った。
彼が黙っているということは、話を聞く体制に入ってくれたんだと、幼馴染の私はよく知っている。
私は隣に座って、膝を抱えた。維茂はずっと刀の柄に手を当てている。
「……紅葉、どうして私に付いてきてくれたんだろう。紅葉は頭領の娘なんだから、ずっと鬼無里で平和に暮らしていてもよかったのに、わざわざ星詠みの修行を保昌に付けてもらってまで」
私は彼女の生き道を違えてしまったんじゃないか、それがずっと気がかりだった。紅葉は優しいし、本人からも「違う」と言われているけれど、それでも私は納得がいかなかった。
私が巫女として、四神契約の旅のためだけに宮司様に育てられたけれど、紅葉は違うのに。私が欲しいものは全部あの子が持っているから、私は彼女には普通の女の子として生きていて欲しかった。
私がぎゅっと膝を抱えていると「あの方は」と維茂は言う。
「鈴鹿がなんでもかんでも抱え込むから、余計につらいと思ったのだと思う。紅葉様は鈴鹿のことを四神の巫女とは思っていない。同じ里で暮らしている同い年の女子としか思っていないだろう」
「そんな……私と紅葉は、全然違うよ? だって、紅葉は父様だって、母様だって……女房だって、維茂だっているじゃない」
「紅葉様も孤独だったんだ。鈴鹿だけだったからな、同い年の女子で、敬うことも謙遜することもなく、紅葉様と向き合ってくれたのは」
「……うん。ねえ、維茂は」
維茂が顔を向けたのに、私がずっと思っていたことを聞いてみた。
「紅葉に伝えなくってもいいの? ここでだったら、あなたも紅葉も私の守護者であって、ふたりは主従ではないのでしょう?」
紅葉はずっと維茂のことが好きだったはずなのに、諦め気味だった。でも、星詠みの修行をはじめてからは、諦めることを諦めたみたいで、私は少しだけ嬉しく思う。
維茂はどうなのかは、私もよくわからない。維茂のことを正確に把握できるのはどうも紅葉だけみたいで、彼の毒舌に近い口の悪さをいなすことができるのも、言葉の裏を読むことができるのも、彼女だけみたいだったから。
維茂は少しだけ空を仰いだ。
私は星詠みではないから、空を瞬く星の名前も、詠み取れるはずの天命も、なにもわからなかった。
「……俺はあの方にふさわしくない」
「それってどうして?」
「俺があの方に抱いている気持ちは、きっとお前が田村丸に抱いているものと同じだ」
そう言われてしまったら、私もなにも言えなくなってしまった。
私は田村丸に記憶を失ったままでいて欲しいのか、記憶を取り戻して欲しいのか、よくわかっていないから。
紅葉は私を普通の女子だって言ってくれているけれど、違うっていうことを私が一番よくわかっている。
私が田村丸に向けている気持ちは、愛とか恋とか、そんな軽くてふわふわして、絵巻物に書かれているようなものじゃない。
紅葉に襲いかかった鬼を睨んでいた維茂の目を、私は知っている。
──今にも鬼を斬り殺したいという顔をした、憎悪と殺意に塗れた目。こんなものを紅葉に押しつけたくないって思う維茂の気持ちを、私は心底よくわかった。
愛とか恋とか、そんな軽くてふわふわした絵巻物みたいなものには程遠い感情を、私は大事な人に向けたくない。そんなものを向けたら最後、嫌われるんだったらまだいい。それを受け止めようとして、潰れてしまうかもしれないのを見たくはないんだ。
と、そこでようやく田村丸が、星見を行っていたふたりを伴って帰ってきた。
「あら……紅葉。昼間もさんざん戦いましたのに。休まなくってよろしいんですか?」
紅葉に心配されて、私は頷いた。
「ちょっと眠れなかっただけ。でももう大丈夫。そろそろ眠るよ」
「ええ……ちゃんと休んでくださいな。あと維茂も。ここは結界を張っていますから、程々に休んでくださいね」
「はい、善処します」
「もう……」
ふたりのやり取りを、私は心底羨ましいと思った。
紅葉は維茂から向けられている執着に気付いているのかどうかは、私にもよくわからない。ただ彼女は嬉しそうにやり取りをしているところからして、彼が抑えている感情を理解していないらしい。
ようやく来た田村丸は、きょとんと私を見た。
私の記憶を全部抜け落ちてしまった彼は、言動がそのまんま私のことだけわからないから、余計に混乱する。
「なんだ、お前さんもう寝なくっても大丈夫なのかい?」
「うん、そろそろ眠るから。田村丸も保昌も、適当に休んでね」
「ああ、そうさせてもらうさ」
ずるい人。頭を掠めた気持ちは、そっと胸の内に鎮めた。
この気持ちを全部忘れてしまった人にぶつけることは、決してしてはいけないことだと思うから。




