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この作品には 〔ボーイズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

ヲタクと皇帝

作者: やきとり。

ヲタクと皇帝を見つけて下さりありがとうございます。

良かったら最後まで読んでください。


_____人は、理解できない事象(じしょう)が起こると、強制的に思考回路が停止するらしい。そして今、俺はまさにその状況下にいる。理由は簡単。男に壁ドンされているから。


 何故こうなったのか、身の回りの事も含めて経緯を説明しようと思う。

 ここは、県内でもそこそこ有名な進学校だ。皆がみんなと言うわけではないけど、それなりに難しい大学や短大、専門学校を目指してやってくる。

 俺もまた、そのうちの一人だ。名前は藤川 蘭丸(ふじかわ らんまる)という。正直、蘭丸という名前は少々、いや、かなり恥ずかしい。歴史上にいる森蘭丸から取ったそうだが、何故彼から名を借りたのか一生の謎だ。

 物心ついた時からアニメや漫画、一概に二次元と言われるものにドハマりしており、今では「二次元の世界に飛び込んでモブとして主人公達を見守りたい」と言ってのける程の立派なヲタクと化している。そして、パソコンやスマホを見つめている内に視力は(当たり前だが)低下していき、最早(もはや)眼鏡無しでは生きて行けぬ視界となってしまった。

 そしてここまで話していて気付いているとは思うが、二次元に夢中だった俺が見目(みめ)を気にする筈も無く、ファッションどころか髪型すらもおざなりになっており、癖っ毛も直そうとした事は一度も無い。ギリギリ校則(横髪は耳より上)を守っているくらいだ。

 そんな芋臭い俺とは真逆の人種であり、スクールカーストの頂点であるリア充人間。その中のトップと言っても過言ではない男が、俺のクラスに居る。彼の名は小鳥遊 雪哉(たかなし ゆきや)。又の名を皇帝(こうてい)

 なぜ皇帝なのかはよく知らないが、彼を包むオーラがイケメンな王の様な(うるわ)しい物だからだと思う。そのあだ名を付けた人は表現力が素晴らしい。俺なら、ハイレベルなコスプレイヤーに対して二次元から出てきちゃ駄目よ的な、よく"フイッター"で見かけるコメントしか出てこない。

 俺からしたら異次元の住人にも等しい男は今、誰もいない夕日が射し込むこの教室で、クラス分のノートと学級日誌を抱えたこの俺を壁ドンしているのである。

 サラサラの黒髪と、パッチリ二重が特徴的な大きな瞳、180近くはあるであろう高身長に広い肩、形の良い唇は程よく湿っていた。

 そもそも、経緯を説明するとは言ったものの、俺自身がこの状況を理解していない。おかげで今も思考は停止している。この先どうしろというのだろうか。

 「あの……俺に何か……」

震える声で聞くと、これまでジッと見つめていた小鳥遊はフッと微笑みをこぼす。

(いやいや、どういう事だよ)

心の中でツッコミを入れていると、彼は俺が抱えているノートを指さした。

「それ」

「え?」

「それ、俺も一緒に持っていくよ」

(オレモイッショニモッテイクヨ?)

 何語かと思った。いや真面目に。きっと俺の頭上には形容し難い程の量のクエスチョンマークが浮かんでいることだろう。

「重いだろうから」

そういうと、勝手に半分以上俺の腕から取る小鳥遊。俺は「えっあっおっ」と意味のわからない言葉を漏らしながら彼を見上げた。小鳥遊は俺に目をやる事もなく教室を出ていく。

(一体なんなんだ?)

 俺は首を傾げたあと、彼を追って教室を慌ただしく出た。廊下を歩く小鳥遊の1歩後ろまで来ると、彼の後頭部を見つめる。

(もしや恩を着せて後々俺を下僕にしようって腹では……?)

そんなアニメの様な展開が現実で起こるものなのだろうか。俺が眉間にシワを寄せて考えていると、小鳥遊は振り返らずに(たず)ねてきた。

「聞き忘れてたけど、これ職員室でいいんだよね?」

「あ、えっとはい、そうです。職員室です……」

知らずに先導してたのかとツッコミを入れたかったが、陰キャヲタクの俺がそんな事をしたらきっと明日、俺の机は無い。黙っていよう。

 職員室まで来ると、小鳥遊は俺が持っていた残りのノートを「これ貰うね」と言ってパッと受け取ると、教科担任の先生の元へ向かっていった。俺はそんな小鳥遊の行動スピードについて行けず、アタフタしていたが、クラスの担任とちょうど鉢合わせし、日誌を手渡す事ができた。

 その後、小鳥遊は「また明日」と社交辞令の挨拶をした後、手ブラで昇降口へ降りていき、結局なんの為に教室に戻ってきたのかよく分からないまま、俺も彼に「また明日」と返し、教室に戻る。相変わらずガランとした教室から自分のスクバを手に取ると、ため息を吐いて帰路に付くのだった。


 その翌日、俺が静かに登校し席に着くと、トントンと肩を突かれ、肩をビクつかせる。俺に話しかける奴なんてそう居ない。居ても落ちた消しゴムを取ってくれとか、委員会関係の仕事だったり、まあとにかく、業務連絡位しかないのだ。

 (委員会かな)

話しかけたわけじゃないよな。早くなった動悸に「大丈夫大丈夫」と励ましの言葉を掛けながら振り返る。そして心臓が止まりかけた。

「おはよう、藤川(ふじかわ)

声をかけてきたのは皇帝だった。微笑みながら一言挨拶すると、またクラスの輪の中に入っていく。俺は止まった心臓をどうにか再稼動させながら彼の背中を見つめる。

 (どうして俺にわざわざ挨拶??俺に何かして欲しくて、言わなくても分かるよな?的な意味の挨拶なのか?)

ガタガタと震える体と冷や汗。皇帝、恐ろしや。とりあえず、何か言われたら黙って言う事聞いていよう。喧嘩したところで勝てるはずないので、出来るだけ平和な道を選択しなければ。俺はゴクリと生唾を飲んで授業の支度をし始めた。

 

 「次体育だよ、藤川」

「あっ、はい、そうですね……!」

俺はパッと立ち上がって返事をする。皇帝は「なんで敬語なの」って笑っているが、正直こっちはそれどころではない。

 朝の挨拶以来、彼は事あるごとに俺に話し掛け続けていた。今まで話すどころか目だってあった事なかったのに。益々(ますます)怪しい。

「着替えないの?」

「着替えます!!」

 クラスの女子生徒は、別室で体操服に着替えており、俺たち男子生徒は教室にて体育の支度をしていた。俺は筆箱をさっと机の中に滑り込ませて体操服を取り出す。

「ねえ、俺もここで着替えていい?」

「こ、ここで…?皇て……小鳥遊くんの机は…?」

チラッと彼の机を見ると、別のクラスメイトが固まって着替えており、狭そうだった。

「ちょっと狭くてさ。いいかな」

「ど、どうぞ。こんな所でよければ……」

皇帝は俺の許可を得ると、少し申し訳なさそうにしながら、俺の机に体操服を置く。その姿を見て、本当に何か(たくら)んでいるのかよくわからなくなってきた。

 「あの……」

俺はブレザーを脱いでいる皇帝に小さく声を掛ける。彼は「んー?」と反応しながら脱いだブレザーを軽く畳んだ。

「なんで、俺に話し掛けるんですか……?」

「逆に俺が藤川と話しちゃいけない理由あるの?」

(そう来たか)

聞きたいのはそういう事じゃないのだが。俺は返答に困り、「ええっと…」と指を絡める。

「なんていうか、今まで話した事なかったから、急だな……って、どうでもいいですよね!!すいません!!」

(まずい生意気言ったかも)

ここで彼を敵に回すわけにも行かない。俺はまだ二年生だ。しかもまだ5月始めだ。あと一年と半年近く残っている学校生活を、地獄で過ごしたくはない。何が何でも平穏な学園生活を楽しみたいのである。

 「ああー、そういう事か。まあ、普通そうなるよね」

すると、以外にも皇帝から帰ってきた言葉はふんわりとした返答だった。

「元々ね、俺藤川と仲良くなりたかったんだよ。ただ話しかけるタイミング逃しちゃってさ…」

皇帝は恥ずかしそうに頬を掻くと、「あはは」と笑う。その顔面はまさに二次元ヒョッコリそのもので、イケメンは強いと再確認させる微笑みだった。

 「だから話しかけてみたんだけど、そんなに不安がってるとは思わなかった。ごめんね」

そう謝る皇帝に俺は少し、いや、かなり罪悪感を感じた。悪い想像ばかりが先走っていたらしい。

「い、いや……大丈夫です。俺なんかに話しかける人、そうそう居ないから……つい…」

俺は頭を下げて謝った。この人は皇帝でも、庶民から愛されるタイプの皇帝なのだ。

 「いいよいいよ、俺こそ急に悪かったし、お互い様だよ」

皇帝はネクタイを外しながら「だから謝らないでよ」と笑う。心が広いのか、本当に気にしてないのか。俺はとりあえずお礼を言いつつ、いそいそと体操服へと着替えるのだった。


 (体育なんて無くなればいいのに)

俺は目の前でダムダムと、まるで俺を嘲笑うかのように好き勝手跳ねるバスケットボールを相手にしながら悪態をついていた。

 体育館へ集合した後、体育教師の指示に従ってハンドリングとドリブルをしていたのだが、俺は(すで)に生き物のように跳ね回るボールにうんざりしている。やはり球技は難しい。高校を出たら二度とやりたくない。

 グチグチと心の中で文句を言っていると、足の甲にボールが辺り、ポーンと何処かへ転がっていくバスケットボール君。お願いだからやめてほしい。知らない人(他クラス)に拾ってもらった時とても気まずい空気になるのを分かってほしい。ボールなんぞに俺の気持ちは分からんだろうが。

 「はい」

「ぎゃあ!!?」

どこに転がっていったのか探していると、2つボールを手にした皇帝がやってきた。背後から声をかけられたのもあって、ビビリ散らかし腰を抜かす。なんて情けない。

 皇帝はクスクス笑いながら片手でボールを抱えると、俺の腕を引いて立ち上がらせてくれた。

「大丈夫?」

「は、はい。どうも…」

恥ずかしい事この上ない。皇帝からボールを受け取り、パッと頭を下げると自分の場所へと戻った。

 それから数分後。俺達生徒は名簿順で何チームかに分けられ、ゲームをする事になりった。俺は特に話す相手も居ないので、壁際に座ってコート内を駆け回るクラスメイトや他クラスの男子達をボーッと眺める事で時間を潰す。

 他の生徒達は、皆それぞれハンドリングしたりドリブルしたり、空いたゴールにシュートしたりして過ごしているが、俺はそこまでしてボールとオトモダチになりたいとは思わないし、そもそもなりたくもない。

 「白ボール!」

体育教師のホイッスルの音と共に白チームへボールが渡る。コート内には皇帝も入っており、何でもできる彼はよいポイントゲッターらしく、チームメイト達は彼と同じチームになれて心底喜んでいた。

 (あれ、指紋ついてる)

視界がクリアじゃないなと思ったら、いつの間にかついていた指紋のせいだったようだ。メガネ拭きは教室にしかないので、仕方なくジャージの裾を伸ばしてグラスを拭く。

____その時だった。

 「危ない!!」

誰が叫んだのか知らないが、切羽詰まった声音が体育館に響く。驚いて顔を上げた瞬間、謎の衝撃と共に視界が真っ白になり、ジワジワと鼻を中心に痛みが広がっていく。今の衝撃で耳までおかしくなった様で、色んな心配の声がとても遠く感じた。

 やっと視界と聴覚が戻ってきた頃、何が起こったのかも同時に判った。ボールが顔面にクリティカルヒットしたようだった。おかげで俺は鼻血を両鼻からボタボタと垂らし、ジャージは血みどろである。

 幸いにも眼鏡は手元にあり、割れるどころか傷1つついていない。メガネを拭いていて良かったと思ったのは人生で初めてだ。

 「藤川!!」

ハッとして顔を上げると、辺りには沢山の生徒達と、ホイッスルを首から下げた体育教師が俺の周りを囲っていた。そしてグイッと俺の鼻に押し当てられたタオルから香ってきたのは、つい最近、嗅いだ事がある柔軟剤の匂い。

「藤川、大丈夫か」

焦りと不安の色を(にじ)ませた表情で俺の鼻にタオルを押し当てているのは、さっきまでコートにいた皇帝だった。

 「立てるか?藤川」

体育教師は俺の顔を覗き込み、顔を顰める。(余程血だらけなんだろうな)

 グロテスクなものは得意とまでは行かないがある程度ゲームのお陰で耐性が付いているのでそういう意味では全然平気だ。

 俺が「大丈夫です。グラグラしますけど…」と答えると、皇帝が体育教師を呼ぶ。

 「先生、俺保健委員なので、彼を保健室まで運んできます」

「判った、頼んだぞ小鳥遊。俺は先に連絡を入れておくから」

体育教師は、そう言うと胸元から校内用の携帯電話を取り出して保健室へ電話を掛け始めた。

「藤川、なるべく揺らさないようにするけど、少しの間我慢して。気持ち悪くなったら言ってね」

皇帝は早口でそう言うと、俺の背中と膝の下に腕を回し、そのまま抱き上げた。俗に言うお姫様だっこである。

「えっ」

(皇帝力強くないか?)

別に太っているとは思ってはいないが、それでも身長174の男一人を軽々と持ち上げるとは。前世はどこぞのイケメンゴリラなんじゃないかと思い始める。

 そんな失礼な事を考えているとは露知らず、皇帝はペッペッとシューズを脱ぐと、綺麗なくるぶしが見える靴下のまま、体育館を飛び出した。

 走る振動はかなりの恐怖で、例えるなら、ちゃんとカチッと言わない頼りないレバーのジェットコースターに乗っている気分である。おまけに良いのか悪いのか皇帝は足が速い。おかげで絶叫マシンの疑似体験を、俺は余儀(よぎ)なくする事になった。

 「あらら、鼻血が凄いわねぇ」

保健室に着くと、60代くらいのおばさんがティッシュを片手に待っていてくれていた。皇帝は俺を椅子に座らせると、既に体育教師から受けているであろう状況説明を簡単におばさんに伝える。

 「たぶん頭を打ってるから、一時間横になろうかね」

おばさんは容赦なく俺の鼻にズボズボと鼻栓を差し込みながら言った。皇帝は「わかりました。俺から先生に伝えておきます」と返事すると、俺を見る。

「じゃあ俺行くね、藤川。ちゃんと寝てるんだよ」

 皇帝が保健室から出ていくと、おばさんはベッドへ俺を案内してジャージを脱がせて寝かせた。

「チャイムなったら起こすから、それまでゆっくり寝てなさい」

「は、はい…」

おばさんはふんわりと微笑んだ後、カーテンを締める。色々と起こり過ぎてキャパオーバーだった俺は、特に何を思うでもなく素直に睡眠を取り始めた。


 遠くの方でチャイムが鳴り、おばさんの声が耳に届く。薄っすらと目を開けると、保健室の天井が視界に広がった。

「授業終わったよ。大丈夫かい?」

「あ、大丈夫で……いてっ」

パッと起き上がり、返事をしようとした時、額に鈍い痛みが走る。なんだろうかと思い、指先で触れると、見事なたんこぶが踏ん反り返っていた。

 「あらあら、こっちにおいで。湿布貼ってあげる」

おばさんに連れられ、再び椅子に腰掛ける。さっきは若干目を回していたのと、メガネが無かったせいでボヤけまくっていたが、先程と違い脳みそが安定しているようで、一応誰がどこに居るか位の判別は付くようになっていた。

 「冷たいけど我慢してね」

そう言うと、おばさんは俺の長い前髪をかき上げ、冷蔵庫から出したばかりの湿布を遠慮のかけらもない勢いで額に貼り付ける。心臓止まるかと思った。

 俺が冷たさに額を抑えていると、剥がれないようにテープ貼るという理由で無理矢理手を引っペ返し、ペタペタと補強するおばさん。彼女は色々と容赦ない事で有名な保健室の先生だ。まあ、ズルズルと引きずられるよりパッパと終わらせてくれた方がいいのだけど。

 処置が終わり、前髪を下ろして預けていたジャージを受け取っていると、ガラガラと扉が開いた。振り返ると、体育教師と皇帝が心配そうな面持ちで立っている。

「藤川…!」

「皇て……小鳥遊くん、運んでくれてありがとうございました!」

俺は深々とお辞儀をした。そして血だらけになったタオルの事を謝る。俺が眠っている間におばさんが軽く洗ってくれたらしいが、それでも焼け石に水だった。

「いいよ全然。特に問題なさそうで安心した」

(この人はほんとに心が広いな)

俺は心底皇帝の心の広さに感動した。涙が出てきそうである。

 体育教師は「一応担任には俺から伝えておくから何かあったら保健室にまた来い」と告げて職員室に向かい、俺はおばさんにお礼を言って皇帝と共に教室へ戻った。背負おうかと聞かれたが、丁重にお断りしておいた。俺みたいな陰キャを背負う皇帝を見て、皇帝ファンが何も言わないはずがない。そして何よりこれ以上迷惑を掛けるのは気が引けた。

 教室に行くとすでに、俺が「ボールとこんにちは事件」に遭った話が広がっていた。おかげで今まで話したこともないクラスメイト達から、心配と同時に興味津々な言葉を掛けられることになり、違う意味で死にそうだった。


 「今日のあのメガネみたか?馬鹿ダサかったよなぁ」 

「俺顔面でボール受けてる奴初めてみたわ」

「判る。漫画みたいなオチでめっちゃ笑った」

「つーか当たったのがあのクソ陰キャで良かったよなー。別のやつだとめんどかったし」

「間違いねぇ」

放課後、廊下で話す数人の男子生徒達が居た。藤川(ふじかわ)小鳥遊(たかなし)の隣のクラスの生徒達のようで、顔面にボールがあたった瞬間、コート内にいたもう一つのチームのメンバーである。

 ゲラゲラと談笑する男子達。その内の一人が笑うのをやめて青ざめた。不思議に思った他の生徒達は彼が見ている方向を振り向く。そこには小鳥遊が立っていた。

「げっ、小鳥遊!!」

「皇帝じゃん…やば」

 顔を(しか)める男子達に対して、小鳥遊は酷く冷たい目で彼らを見ている。

「なんだよ」

恐らくリーダーであろうガタイのいい男が前にズイッと出た。小鳥遊も背が高いが、リーダーも同じかそれ以上に上背がある上に、体型もガッチリしている。

「わざとじゃなかったとしても、謝るのが人としての礼儀だろ。それを冷やかして笑うって、どういうこと?」

「あぁあぁ、スイマセンでした。……これでいいか?」

少しニヤついた顔で言ってのけたリーダー。後ろにいた男子達も気が大きくなったのか、ケラケラと笑っている。

「だいたい、ダセェやつ笑って何が駄目なんだよ。面白えから笑ってるだけで、自然な事だろ?なぁ?」

「そーだそーだ」

「あんなとこでボケっとしてるあのメガネが悪いんじゃねーか」

 次々に好き勝手に罵倒(ばとう)する男子達に、リーダーも満足したのか、鼻で笑って小鳥遊を見た。

「つーわけで、あんま調子乗ってんなよ()()

ポンと肩に手を置き、グッと力を入れる。しかし、小鳥遊は動かなかった。

 「?」

相当自分の握力に自身があったのか、リーダーは意味がわからないという顔をする。それもそうだ、彼はハンドボール部のエースなのだから。握力だけでも高校生の平均を上回って有り余るだろう。

___すると。

「……触んじゃねぇよ、クズ」

バシッと振り払う小鳥遊。髪の間から見えた目は、怒りで据わっていた。

「次藤川に怪我させてみろ。俺がてめぇ等の腕をへし折ってやる」

 男子たちは、小鳥遊の豹変(ひょうへん)ぶりに身がすくんだのか何も言わない。リーダーですらも黙っている。小鳥遊はそのまま男子たちの真横を通り過ぎ、教室へ向かった。


 (待っててとは言われたけど、やっぱ一人で帰れば良かったかな)

昨日と同じように誰もいない放課後の教室で、俺は開けた窓の側に立ち、風に当てられながらボーッとしていた。

 実は少し前、担任に用があるから待っていてほしいと皇帝に言われ、とりあえず了承したものの、何故待つ必要があるのか恐る恐る聞いてみた。すると、今日の怪我で心配だから家まで送ると言うのである。断ったが聞く耳を持たず、「すぐ帰ってくるね」と言い捨てたあと走っていった。

 (俺が全面的に悪かったんだけどな)

ボーッとしながらゲームを見ていたのは俺である。メガネを拭いていたとはいえ、注意力散漫だった。

 一人で反省していると、ガラッと扉が開く。皇帝だった。

「おかえりなさい」

「……ただいま」

行きよりもだいぶテンションが落ちている。担任と何かあったのだろうか。

 「ど、どうか……しましたか?」

余計なお世話とは判っているが、少し心配だった。

「ううん、大丈夫。帰ろう」

皇帝は俺の顔を見ると、ふっと笑い、そう言う。彼の事に俺が干渉(かんしょう)するのは如何(いかが)なものかと思うので、とりあえず本人が大丈夫というならそれを信じる事にした。

 帰路(きろ)に着き、世間話と呼ばれる話をしながら歩いていると、皇帝は「そういえば」と話を切り出す。

「藤川はなんで敬語なの?」

「え…?あ、いや……なんとなく…」

キラキラ輝かしすぎて別次元の高貴な人だからです、なんて言える筈も無く、モゴモゴと言い訳する俺。ああ、コミュ力は一体どこで迷子になっているんだろうか。早く帰宅して欲しい。できる事なら今すぐ。

 「同じクラスなんだし、敬語取ればいいのに」

「うーん…」

(敬語陰キャにタメはキツイっす)

くそったれなのは自負(じふ)しているが、自分の小心者(しょうしんもの)さにも呆れてくる。すると、皇帝は「じゃあ…」と呟いてから、数歩前に出て俺と向かい合った。

 「今日助けたお礼ってことで、俺と話す時だけタメにしてよ」

(なんですって?)

へへっと少年のように笑う皇帝。俺が断れない事を知っての行動なんだろう。

「だめ?」

皇帝は首をコテンと傾げ、俺の顔を覗き込む。サラッと前髪が流れた。

「いや、全然…別にいいんですけど……。物とか、食べ物とか、考えてたんで……」

 助けてくれたお礼はするつもりでは居た。購買の時間限定のメロンパンを死ぬ気で買いに行くとか、学食券をあげるとか。

「そんなもん要らないよ。俺をなんだと思ってるの?」

(皇帝)

つい声に出そうになったが、口から出る直前で飲み込む。

「そんなもの貰うより、俺は君と仲良くなりたいよ」

「……」

不思議な人だと思う。この二日間で彼に対してのイメージは180度変わったし、良い皇帝なんだというのも判った。ただ、1つわからない事がある。

 「小鳥遊くんは、どうして俺なんかと仲良くなりたいんですか………じゃなかった。仲良くなりた………いの?」

慣れないタメ口に戸惑いながらも、素直に聞いてみた。俺と仲良くしたいなんて言う人は幼稚園以降記憶にない。もちろんそこからの記憶はもっぱら二次元だ。ちなみに、小学校低学年でハマっていたのはプリチュアだったので、クラスメイト達は変だ変だと言って離れていった。我ながら馬鹿正直に好きだと言っていた俺は素直だと思う。

 「……なんでだと思う?」

「えっ?」

(この人質問に質問で返すの好きだな)

誰かも言っていたが、彼は本当にミステリアスな男だ。読めない時は本当に読めない。

 (そもそも俺と仲良くなって得する事って何かある?)

眉間にシワを寄せて考えたが、たんこぶが痛いだけで特に何も思い当たらなかった。

「わからない」

「あはは、そっか。それもそうだよね」

皇帝はケラケラと笑うと、背中を向ける。

「まあでも、これは藤川には言えないや」

「?」

仲良くしたい相手に仲良くしたい理由を言えないというのは、一体どういう状況なのだろうか。ここまで来て何かを企んでいるわけでは無さそうなので、それなりに理由があるのかもしれない。

 「安心して藤川。俺は本当に君と仲良くなりたいし、そこに嘘偽りはないよ」

肩越しに振り返りそういうと、皇帝は笑って「早く来ないと置いてくよ〜」と歩いていく。俺はその後ろを慌てて追いかけた。


 「ええっ!?ちょっと蘭丸……!あなたッ!!」

家に着くと、丁度買い物から帰ってきた母さんと鉢合わせし、俺は「やっべ」と心の中で呟く。母さんは俺と皇帝を交互に見て口に手を当てていた。

「あなた……あなた……!!」

「か、母さん……えっと…」

「あなた!!友達居たのね!?」

良かったーと叫ぶ母親を目の前に、俺はやっちまった感溢れるため息をついた。そう、何を隠そう、俺は今まで友人と呼べる人間が誰一人として存在しなかったのだ。

 (恥ずかしいから言わないでほしかった)

しかも皇帝の前で。どんな顔をしてるのか、もはや見たくもない。

 母さんは母さんで「こんなイケメンと友達だなんて!!やっぱうちの子はやれば出来る子なのよ」なんて意味不明な事を言いながら家に駆け込んでいった。空いたリビングの窓から「お母さん!蘭丸に友達が!!」「ええ…本当かい?」という要らない報告する母と、疑う婆ちゃんの声が聞こえる。

 「……ごめん」

「いいよ、すごく楽しい家族だね」

クスクスと楽しそうに笑う皇帝。意外と引いては居ないようだった。

「あ、タオル洗って返しま………返すね」

「気にしなくていいのに……」

皇帝が眉をハの字に下げるのをみて、イケメンはどんな顔してもイケメンなんだなと再認識する。これは女の子もチヤホヤしてしまう顔だ。流石二次元フェイス。

 「じゃあ、俺そろそろ帰るよ」

「あれ?家この辺…?」

「あー……うん。そうなんだ」

少し間があったが、頷く皇帝。俺は「そっか」と返す。

「ほら、もう家に入って」

「わっ、小鳥遊くん、押さなくても入れるよ…!」

グイグイと門の中に押し込む皇帝。俺が玄関の扉を開き、振り返ると手を軽く降って「また明日」と笑う皇帝がいた。

 俺もまた明日と言って中に入る。ローファーを脱ぎかけたとき、リビングからドタドタとジュース片手に走ってくる母が見えた。

「えっ、なに…」

「イケメンくんに!!これからもよろしくって伝えようと思ったんだけど、もう帰っちゃったかな」

「恥ずかしいからやめて…母さん……」

俺の制止はフル無視でドアを開ける母。しかし皇帝はもうこの辺りには居ないようだった。

 「あんた!!友達大事にしなさいよ!!」

クーッとしたあと、すごい勢いで迫ってくる母さんに後退りしながら頷く。

 そしてその夜、赤飯が出てきたときは、この家族の脳みそはちゃんと正常なのかどうか本気で心配になった。


 翌日、学校に着くと既に登校していた皇帝が俺に気がついて寄って来た。

「おはよう、藤川」

「おはようございます……」

「あ、また敬語になってるよ」

あはは、と笑う皇帝。しまった、眠たくてすっかり気にしていなかった。

「ごめん…おはよう、小鳥遊くん」

「うん、おはよう」

皇帝がそういうと、すぐにクラスメイトの男子が「小鳥遊ーちょっと来て」と呼んだので、皇帝は返事をしてそっちへ向かった。

 席に付き、スクバからノートやら筆箱やらを出しつつ支度をしていると、ふっと影が机に落ちる。見上げると皇帝が居た。

「あれ?呼ばれてなかった…?」

「すぐに終わったよ」

(……なんで俺のとこに?)

皇帝は「ちょっと椅子借りるね」と俺の隣の席の女子生徒に声をかけた。彼女は扉の側で他クラスの友達と話しているらしく、OKと指でサインを送り、また会話に戻る。というか、話しかけられた事に興奮しているらしい。イケメンは、話し掛けるだけで黄色い声を浴びるものなんだな。羨ましい。

 皇帝は許可が出ると礼をいったあと、「失礼します」といって座った。

「なにか、用が……?」

「ううん、何も。ただ俺がここに居たいだけ」

(……ほんと、何考えてるのかわからん)

皇帝の思考は読めないが、本人が満足そうなので良しとすることにした。

 俺は支度を終わらせ、ノートを開く。

 「あれ、自習?」

「うん。そろそろ中間テストあるだろうし…」

(俺は天才じゃないから、時間をかけてやらなきゃ頭にはいらないんだよなぁ)

トホホと泣きたい気分を追い払い、昨日の授業の復習がてらノートを読む。進学校というだけあり、レベルはそこそこ高い。頑張らねばついて行けなくなる未来が容易に想像できた。

 「昨日のとこだね」

いつの間にか一緒に覗き込んでいた皇帝。俺はノートを読みつつ「うん…」と返事をする。

「何かわからないとこあるの?」

「この当たりかな」

指でぐるぐると示すと、皇帝は数秒考えた後、「ここはね」と説明をし始めた。

(え、めちゃめちゃわかり易い)

容姿端麗頭脳明晰とはまさにこの事。ずっと引きずっていた悩みがフッと無くなった。

 「すごい、すごい……!」

(昨日から判らなくて悩んでたとこだったのに)

ノートをなんど見返してもスルスルと解ける。

「ありがとう、小鳥遊く………ん」

顔を上げて隣を見ると、思いの外接近していたようで、彼の(うるわ)しい顔立ちが視界いっぱいに広がる。二次元でこそベタなシチュエーションだが、こうして現実で起きると思考停止になるものだ。

「ごめん…」

すぐに顔を背けると、隣から「大丈夫だよ、気にしないで」といつもどおりの声音で帰ってきたので、本当になんとも思ってないようである。良かった。

____キーンコーンカーンコーン

 「あ、予鈴」

「そうだね、じゃあそろそろ俺席戻るよ」

カタンと椅子を綺麗に戻して自分の席へ向かう皇帝。俺は「あ、うん」と返事をして見送った。


 (皇帝、ずっと側にいるな…)

俺は自分の推しのイラストがプリントされたシャーペンを握り直しながら、目の前に椅子を持ってきて座る皇帝を見る。

 あれから、休憩時間になる度に俺の席にやってくる皇帝。俺はずっと自習してるから、彼の存在はとても嬉しい。判らない部分が出てくる度に教えてくれるので助かるのだ。

 「……そのシャーペン」

問題を説いていると、今まで教える以外で話しかけなかった皇帝が口を開いた。

(やっぱ、ヲタクはキモいっていうかな)

慣れているが、推しがキモいと言われているようでとても傷つくから、正直聞きたくはない。

「えっと……俺の、推し……」

馬鹿正直に答える俺も俺だな。自傷(じしょう)気味に心の中で笑う。

「なんていうアニメ?」

「………え?」

「なんていう題名?そのアニメ」

 初めてだった。気持ち悪がらず、まるで普通の世間話のように話し続けてくれる人は。

「マクタスα……」

「そっか、わかった。また見てみるね」

そういって笑う皇帝の髪が、窓から入った風に乗って流れる。

「……うん!ストーリーも深いし、伏線も多いんだ。しかもその沢山の伏線を綺麗に残らず回収するし、一見ちゃらんぽらんに見えるキャラも、見た目と反して、深くて涙が出るほど感動する過去があったりするから、敵も味方もすごく好きになれるんだよ」

そこまで語ってハッとする。いきなりペラペラと話し始めるヲタクをウザがる人は多い。やっちまったかもしれない。

 だが皇帝は、俺が思っていたような反応では無かった。

「………」

目を見開いたまま俺を見ている。驚いていると言ったほうがいいのかもしれない。

(そりゃそうか…)

「ご、ごめん…」

俺は居た(たま)れなくなり顔を下げる。調子に乗りすぎた。ウザいって顔に出されなかっただけ運が良かったって思うべきだ。

 そんな事を思っていた矢先、視界に皇帝の手が伸びてきて、次の瞬間目の前がボヤけた。

「え?」

メガネを取られたらしい。これだけ近距離なら皇帝がどんな顔をしているのかは、なんとなく見える。若干頬に当たる部分が赤くなっている気がしなくもない。

 「あ、あの…見えないんだけ……どっ?」

グイッと髪を書き上げられ、昨日のたんこぶの湿布が情けなく表に顔を出す。まだ若干腫れているので、今日も湿布とテープは健在だ。

「小鳥遊…くん?」

「……ねえ、藤川」

「うん?」

「藤川って、ずっと眼鏡だったの?」

「そうだよ」

(それよりもこの状況なに?)

みっともないたんこぶを隠したいから湿布貼ったのに、こんなにオープンにされちゃ意味がない。というか、眼鏡ないと段々目つき悪くなるから早く返却してほしい。

 「眼鏡……欲しいんだけど」

「ごめん、もうちょっとだけ」

顔面を見つめられているようだ。麗しいイケメンに顔面をしこたま見られるこの状況は、陰キャのヲタクには大ダメージである。

 「小鳥遊ー、さっきのやつさー」

すると、ナイスタイミングなのかバッドタイミングなのか。クラスメイトの男子がノートを片手に皇帝を呼んだ。その瞬間前髪を降ろされ、眼鏡を手渡される。

「なにー?どうした?」

皇帝はガタッと椅子から立ち上がり、クラスメイトの方へ歩いていった。


 それからしばらく経ち、皇帝と二人で居ることに慣れた頃。俺は勉強を教えてもらってばかりなことに気付き、皇帝に話しかけた。

「お礼?別にいらないのに」

その結果はこうだった。言うと思ったよ。

「俺の気が済まないんだけど……」

「ええ……そんな事言われてもな」

うーん、とシャーペンを唇に当てて考える皇帝。

 今教室は、中間テスト直前というのもあり、チラホラと生徒が残り、友人とワイワイ教え合いをしていた。

「そうだな、じゃあ……テストが終わったら、一緒に出掛けてもらおうかな」

「そんな事でいいの?」

「うん。いいの」

皇帝はそういうと、再びシャーペンを動かし始める。まあ、皇帝がそれがいいと言うなら、俺に拒否する気はない。とりあえず、昼ごはん位は奢れるように金を余分に持っていこうと心の中で決めるのだった。


 「そういえばさ」

日も暮れて月が顔を出した時刻。家の近くまで来たところで、俺は皇帝に話しかけられた。

「俺達、MAIN交換して無かったよね」

「MAIN…?ああ、メッセージアプリか…」

家族以外交換しておらず、おまけにあまり用いる事がないので、すっかり忘れていた。

「交換、する?」

「しよう」

試しに聞くと、皇帝は嬉しそうに頷く。スマホを取り出し連絡先を交換すると、早速スタンプを送ってきた皇帝。地味に可愛らしいスタンプだったので、少し笑ってしまった。

 「俺ここまででいいよ」

「ううん、どうせ藤川の家の前通るし」

「そう?わかった」

 結局、皇帝は俺を家まで送ると、「また明日ね」と言って歩いていくので、俺も手を振り返し、夕飯の匂いが(ただよ)う家に入った。


 (終わったー)

グッと伸びをして机にドッと伏せる。テストの答案用紙を回収した先生は、名前の確認をしていた。この時間が中間テスト、最後の教科。もう終わりなのだ。開放感がえげつない。

 「はい、解散」

「おっしゃーー!!」

「終わったー!!」

先生の挨拶を被せるように叫んでワイワイと騒ぐクラスメイトを見ながら、俺も小さくガッツポーズをする。これでしばらくはのんびり出来るな。

「ふー……」

「どうだった?藤川」

息を吐いていると、後ろからトントンと肩を叩かれ話しかけられた。皇帝だ。いつまでたっても"話しかけられる"というのは慣れないが、前よりは驚かなくなっている。

「うん、割といい感じだよ」

「それは良かった」

皇帝は満足そうに笑った。そして「明日なんだけど」と話を切り替える。

 そう、明日というのは、皇帝が何日か前に言った「俺と出掛けようDay」なのだ。

「俺の家の前に10時、だよね」

「うん。そのまま駅に行こう」

「わかった。……ていうか、結局どこへ行くの?」

実は、行き先は内緒だと言われたきり、何も教えてくれなかった。

「当日まで内緒だよ」

シーッと指を唇に当てて居る皇帝に、俺は呆れた視線を送る。

「べつに怪しいとこに連れてくわけじゃないって。安心してよ」

俺の視線に気づいた皇帝はアセアセと説明をした。まあ、今更俺を変な道に引きずり込んだりはしないだろうから、何も心配はしてないけど。

「そんな事思ってないよ。元々これは小鳥遊くんにお礼をする日なんだから」

「そんな事ほんとに気にしなくていいって言ってるのに」

皇帝は、ため息を吐いて腰に手を当てた。

「なら俺が勝手にお礼の日って思ってることにする」

「意外と藤川って頑固…」

「なにか言った…?」

「あはは、なにも」

皇帝はじゃあノート回収してくるね、と言い残しクラスメイト達に呼び掛けをし始める。

 まだ皇帝と話し始めて時間が経ったわけではないが、なんとなく、彼がどういう人間なのかは理解してきた。容姿端麗頭脳明晰、男にも女にも好かれる性格。それがどういう訳か、最近俺とずっと居る。何を考えているのかは分からないが、俺も彼と過ごしていて居心地がいいのは確かだ。

 

 その夜、ベッドに転がって漫画を読んでいると、ノックもなしに扉が開いた。こんな事をするのは一人しかいない。

「おーす!この僕が遊びに来てやったぞ蘭丸」

「……なぎ」

こいつは橋倉(はしくら)なぎさ。俺の家の真向かいの家の子供で、歳は一つ下の高校一年生だ。

「なんだよその嫌そうな顔」

「……別に」

(五月蠅いんだよなぁ…)

集中して読みたい時に、来られると困る。しかし、なぎからしたらお構いなしなのだ。

「あ、今お前五月蝿くて面倒くさいチビだって思っただろ」

「そこまで思ってないって」

「じゃあどこまで思ってたんだよ!!」

キーキーと起こり始めたので、俺は両耳を塞いで布団に潜る。

 一通り騒いだ後、ベッドになぎが腰掛けるのを感じた。

「そういえば、おばさんから聞いたけど明日友達と遊びに行くんだって?ええ?"友達"と??」

「五月蝿いなぁ……そんなに俺に友達居たら変なの?」

「うん」

「遠慮なし?」

毒舌なのは昔からだが、最近は特に遠慮がない。

「服とか決めてんの?」

「服……?いや何も」

「外出用の服とか、あるの?」

「……え?」

(外出用の……服?)

俺は布団を()けてなぎを見上げる。なぎは「ありえねぇ」と言わんばかりの白い目で俺を見下ろしていた。


 (で、結局いつもと変わらず……か)

翌朝、鏡の前に映る自分の姿を見て思う。一応なぎに服を決めてもらったものの、服の種類が少なすぎたのか、あまりいつもと変わらない恰好となってしまった。

 なぎは「身なりくらいそれなりに整えようとしろよ」とグチグチ言っていたが、本当にそのとおりだと思い始めている。

(あの皇帝と一緒に過ごすなら、もう少し気を使ったほうがいいのかな)

いや、皇帝でなくても誰かと過ごすならそれなりに整えるべきだ。

 もっさりとした自分の頭を見ながらそう考えたが、最近の髪型がどんな感じなのか全く分からないので、打つ手なしと結論づけて洗面所を出た。

 (そろそろ時間だな)

リビングに戻り、リュックを肩にかけると、待ち合わせ時間五分前だということを告げるスマホのアラームが鳴る。

「いってきますー」

玄関で靴を履きながらそう言い残し、扉を開けた。

 「……あれ?」

「あ、おはよう藤川」

門の前に立っていたのは皇帝だった。皇帝なのだが……。

(神々しい)

今時のリア充と言うべきか。韓国ちっくな服を(まと)い、髪もアレンジしている皇帝は、芸能人だといっても多分違和感は仕事をしないだろう。

 「まだ時間じゃないのに…」

「約束に遅れるよりいいでしょ?」

「それはそうだけど…」

(ただのイケメンだな、皇帝は。考えも見た目も。せめて人並みの格好に意地でもなっておくんだった)

 門を締めながら、つくづく自分のダサさを思い知る。二次元のために生きてきた事を悔いているわけではないが、人並みに身なりを整える能力は必要だったかもしれない。

 当たり障りの無い話をしながら駅までやってくると、ここから電車で3駅ほど行った先の駅で降りるらしい。そこは都会と呼ぶにふさわしい街なので、基本的になんでもある。

 俺もよくアニメイトへ出掛けているのでその辺りはよく知っているが、このメンツ(組み合わせ)でアニメイトはないだろう。本当に何をしに行くんだか。

 電車に乗り込み、昨日の夕飯はなんだったとか、かなりどうでもいい話で地味に盛り上がっていると、近くの女の子達が皇帝を見ながらコソコソと話していた。その目はとても輝いていて、まるで好きなモデルかアイドルを目にしているような感じだった。

(どこいっても変わんないのね)

 他人事で完結していると、視界いっぱいに皇帝の顔が広がる。なんだか既視感のある状況だ。

____ドキン

(どきん?)

「どこ見てるの?」

「いや、どこも…」

ぎゅっと胸が一瞬苦しかったような気がする。気のせいだろうか。

 「あ、降りるよ藤川」

「えっホントだ」

プシューと扉が開き、人の波に流されながら二人で改札口を抜ける。久しぶりの都会は、相変わらず人がわんさかと行き交っていた。

 「さてと、予約の時間まであと少しだからちょっと急ごうか」

「予約?昼ごはんでも食べるの?」

「いや、違うよ」

とりあえず着いて来てと言われ、俺は大人しく彼の後を追う。ズンズンと迷うことなく進んでいく皇帝の背中。本当に俺はどこに連れて行かれるのだろうか。


 ______カランカラーン

「ここは……美容室…?」

「正解」

連れて来られた場所は、なんだかオシャンティな人達が沢山利用してそうな美容室だった。完全なアウェイ感に身が縮みそうである。

 「あーら雪ちゃん、待ってたわよん」

「リッキーさん。ご無沙汰してます」

(……オネエ???)

派手な髪色のオネエが親しげに皇帝に話し掛けた。彼もまた、このオネエ店員と仲が良いようで、軽く頭を下げて笑っている。

「この子が電話で言ってた彼?」

「はい。どうするかはリッキーさんのチョイスで大丈夫です」

(え?なに、俺が切られるの?)

状況がイマイチ飲み込めず、皇帝とリッキーと呼ばれたオネエ店員を交互に見つめた。

「うふふ、まっかせて!こんな(いじ)り回しがいのある子が来たのって久しぶりっ」

「ちょっ、え?なになになに」

突然肩を掴まれ回れ右を強制的に俺にさせると、リッキーはスタスタと歩いていく。皇帝にヘルプの視線を送ったが、美しい笑顔で手を振っているだけだった。今だけあの顔を限界まで引き伸ばしてやりたい。

 椅子まで案内された後、ああでもないこうでもないとグルグル俺の周りを回るリッキーさん。

「あ、あの…」

「何かしらん?」

「俺…あんまりお金持ってないので…」

お昼を奢ることを考えると、かなり予算オーバーになってしまう。するとリッキーさんは目をぱちくりとさせた。

「お金なら要らないわよ」

「ええっ!?」

俺は驚いてバッとリッキーさんの方を向く。リッキーさんは「うおッ」と野太い声を出していたが、そんな事はこの際スルーさせてもらった。

「それどういう事ですか?」

「あら、言ってなかったのねぇ……。ここのお店ね、雪ちゃんのお父上が経営しているお店なのよ。たまぁに雪ちゃんお店のお手伝いしてくれるから、彼のカット代は全てタダにしてるってわけ」

「え…それなら俺お金払わないと…」

「やーねぇ、雪ちゃんが友達連れてくるなんて初めてなのよ!雪ちゃんの友達なら、アタシはタダで切っちゃうわぁ!」

肩をペシッと叩かれ、俺はポカンとする。そういえば、俺は皇帝の家族がどうとか、聞いたことがなかった。

「まあ、そういう訳だから、何も気にしないで頂戴!さぁ、イメージは固まったわよ!シャンプーしに行くからアタシに着いていらっしゃい!」

「は、はい…」

(俺の頭、どうなるんだろ…)

俺は邪魔になるであろう眼鏡を鏡の前に置くと、ボヤける視界でリッキーさんを追いかけた。


 (そろそろ一時間弱か)

美容室のソファに座り、何冊か置いてあったファッション紙を捲っていた小鳥遊(たかなし)は、ふと腕時計を見る。藤川(ふじかわ)がリッキーに連れられて行ってから、小一時間経っていた。あの時の不安そうな顔を思い出し、クスクスと笑ってしまう。

(リッキーの事だし、久しぶりのセットしがいのある客に興奮してるんだろうな)

 小鳥遊はパタンと雑誌を閉じると、スマホを開いた。適当にMAINのメッセージを返し始める。

(ああ、これの話またしないとな……。この人との約束もそろそろ近いな……)

 地味に忙しいスケジュールになりそうだ、と小さくため息を吐いたとき、リッキーのウキウキした声が聞こえた。

「雪ちゃん!お、ま、た、せっ」

語尾にハートが付きそうなほど浮かれているリッキー。その後ろに人影が見える。藤川だ。

「もうすーーーーんごいイケメンにしちゃったんだからっ!」

「ちょ…リッキーさん、ハードル上げないで…」

若干呆れ混じりの声がリッキーの背中から聞こえてくる。

「そんなマイナスな事言っちゃだめよ!ほら行くわよ。いち、にの、さんっ」

「えっ、わっ」

 リッキーの掛け声と共に背中から引きずり出された藤川。元々ふんわりと癖っ毛だったが、それをうまく利用してセットしてあった。暖簾(のれん)の様になっていた前髪は眉辺りまで切られ、もっさりとした髪もすいたようで、スッキリとしている。コテで少しアレンジをしてワックスで固めているが、無しでも全然大丈夫そうだ。

 「ど、どう……かな」

少し照れながら前髪の一房(ひとふさ)をいじっている藤川。小鳥遊は頬がほんのりと熱くなり、心臓が早鐘(はやがね)を打つのを感じた。

 「すごいさっぱりしたね。似合ってる」

そういうと、安心したようで「ああ、よかった。これで人並みになれたかも」と笑っていた。

(正直、人並みどころの話じゃないけど)

スラリとした足に細い腰、長い首と切れ目の綺麗な一重。何故この男が女子達の間で知られもしないのか不思議で仕方ない。

 「リッキーさん、ほんとにありがとうございました。次はちゃんとお金払います」

「あらっ、次も来てくれるの??ありがとねぇ蘭ちゃん!」

「ら、蘭ちゃん……」

口角を引くつかせている藤川を横目に、ドクドクと五月蠅(うるさ)い心臓を押さえつける小鳥遊。それに気がついたのか、藤川は小鳥遊の顔を覗き込んだ。

「どうかした?」

「………なんでもないよ」

(平常心平常心)

いつも通りの小鳥遊を見て「そっか」と答えた藤川は、リッキーにもう一度頭を下げてお礼を()べている。リッキーは嬉しそうに藤川の髪を軽く整えると、今度は小鳥遊へ近づいた。

 「イイカンジ、ってどこかしらん?」

「………っ」

耳元でニヤニヤとするリッキーに、少しだけムッとする。

「青春ね〜!」

「え?青春?」

藤川は、なんの話だと言わんばかりに首を傾げる。小鳥遊が「友達と出掛けるって青春だねってさ」と言うと、「確かにそうだね」と呆気なく信じた。

 「じゃあリッキーさん、また来ます」

「うんうん、またねぇ蘭ちゃん!雪ちゃんもまた来てね!アタシ待ってるからっ」

「あはは、判りました。また近い内に来ますね」

ご機嫌なリッキーに見送られ、小鳥遊と藤川は軽く会釈をして美容院を後にするのだった。


 「……で?小鳥遊くん、なんでここ?」

「なんでって……服見るのに服屋以外のとこいく…?」

「そうじゃねぇんだって」

(そうじゃねぇんだって)

珍しく心の声と口に出た声が重なる。いやいや、美容院といい服といい。なんだ、俺の身なりはそこまで酷いのか。

(いや、酷いな)

 丁度、店の展示服が入っているガラスに映った自分の姿を見て、髪はマシになったものの、中々酷い自分の姿が写っている。今羽織っているチェックのシャツも、かれこれ中3辺りから着ている物だ。つまり身長が止まっている証なのだが。

 俺達がやって来たのはショッピングモールの一角にある服屋だった。沢山の店が立ち並ぶ中で、皇帝が「最初はここら辺がいいと思うよ」と連れてきたのである。

 (やっぱ大人しく見物しにいこうかな)

折角の良い機会なんだし、たまには良いだろう。俺はそう思い直し、皇帝の後ろを着いて入店した。


 「これとかどう?」

「似合うか?俺に…」

俺達が入った店は、全国に店舗があるチェーン店だった。安くてオシャレで有名な店なんだそう。

 この位の値段なら、今の所持金でも充分買える値段だ。

(そう、金については良いんだよ。まったく問題ない)

しかし、ここでひとつ別の問題が発生する。

(ファッションなんて何一つ学んでこなかった俺が、急にオシャレに目覚めるはずないよな…)

そういう事だ。だいたいの季節をTシャツとジャージで過ごす毎日だったので、今時の服がちょっとよくわからない。結局俺は自分で決める事を諦めて皇帝に全てを任せている。

 「着てみなよ」

「えっ、また?服が可哀想(かわいそう)じゃない…?」

「大丈夫。服も喜ぶよ」

意味不明な会話をしながら試着室へ俺を押し込む皇帝。最近というか少し前からだが、皇帝は結構無茶苦茶な言い分の時がある。

 試着室に押し込まれた俺は、何度目かわからない見慣れてきた室内で、服に「ごめんよ」と一言謝って着替え始めた。


 「まあ、それならいいかもね」

「やっと及第点(きゅうだいてん)か…」

皇帝に選んでもらったものの中から、更に俺が絞り込み、選んだのはシンプルなシャツだった。何故ここまで服を選んでおいて最後に俺に選ばせたのか不思議でしかたない。まあ、いつまで経っても皇帝に頼りっきりは申し訳ないので、服くらい自分で決めたい。そういう意味ではこれで良かった。

 最近はこういうシャツの大きめサイズを緩くズボンにinするのが皇帝の中での流行りらしい。言われてみれば、彼の服装もそんな感じだ。

 「じゃあ買ってくる」

「うん、俺この辺で服見てるよ」

「わかった」

俺は皇帝がズボンを物色(ぶっしょく)しているのを横目に見ると、レジに向かう。この格好のままは恥ずかしいので、すぐに着替えれるようにタグを外して貰うことにした。その際に、レジの横にあった小物棚を発見する。

「……これ、皇帝に似合いそう」

シンプルだが、とても綺麗なデザインのイヤリング。正直付けたことすらない未知の物だが、不思議と手に取り、レジを通していた。


 「ねえ、小鳥遊くん。今買った服着てきてもいいかな」

「いいよ、行ってきな」

皇帝と合流した俺は店を出て、トイレに行くことにした。彼には悪いが、少し待っていてもらうとしよう。

 (これをこうして……こうか)

未だにファッションについてはちっともわからないが、皇帝が及第点をくれたのだ。それなりには見えてる筈だ。

 ついでに用を足し、手を洗いながらイヤリングについて考える。衝動買いしてしまったがいつ渡すべきだろう。帰り際にお礼として渡そうか。そんな事を考え、手を拭きつつトイレを出た。

 「うん、いい感じだね」

俺が戻ると、皇帝は壁に持たれて待っていた。その姿はモデルそのもので、行き交う人々が振り返っている。

「小鳥遊くんが選んでくれたおかげだよ」

「いやいや、最終的に選んだのは藤川だよ」

皇帝はピッピッとシャツのシワや、形を直しながらそう言った。良いやつだなぁと素直に思う。

 「でもやっぱ新品の匂いが気になるけど…」

(こればっかりはどうしようもないからな)

新品のまま着るのはあまり良くない。母さんがそう言っていた。正直俺は、母さん程その辺は気にしてない。ただ俺は、着てる服の匂いが、自分の家の柔軟剤じゃないと落ち着かないだけだ。

 「俺がつけてる香水、少しつける?」

「え?香水つけてたの?」

皇帝から香ってくるのは石鹸とサッパリとした匂いの花が混ざっている感じの匂いだ。てっきり柔軟剤の匂いが少し残っているのだと思っていたが、違ったようだ。

 「石鹸系の匂いだよ。嗅ぐ?」

そういって襟を引っ張って首筋をさせる皇帝。近くの女の子達が目をハートにさせているからしまって欲しい。

「いやいいよ、なんとなく判った」

「そう?」

 皇帝は襟を正すと、背負っていたスポーツブランドのリュックから香水を取り出した。

「藤川、手首出して」

「はい」

素直に右手首を出すと、シュッと香水を吹き付ける皇帝。ひんやりと気持ちがいい。

「それ手首同士でトントンしたあと、首筋につけて」

指示された通りにやると、爽やかな香りがふんわりと漂う。新品の匂いを紛らわしてくれている様だ。

 「ありがとう小鳥遊くん」

「どういたしまして。じゃあ次行こうか」

「次?まだどこか行くの?」

そう俺が聞くと、皇帝はニッと笑う。

「まあまあ、おいでよ」

「うん……?」

皇帝に手首を引っ張られて歩く。ついたのはショッピングモールに隣接(りんせつ)していた映画館だった。

「映画館……?」

「あれ、見たくない?」

そう言って皇帝が指さしたのは、最近公開したマクタスαの映画。

(……あれって…)

「俺、最近全部見終わったんだ。だから一緒に見ようと思って」

嬉しそうに話す皇帝。俺はすこぶる焦った。なぜかというと、公開された日に既に見に行ってしまったからである。

「……もしかして、もう見た?」

俺の表情を読み取ったのか、皇帝は「やってしまった」感が滲んだ顔で俺を見る。嘘をついてもしかたない。

「……ごめん、見た」

「まじかぁ……」

皇帝は、力無くその場にしゃがむ。悪い事をしたかもしれない。

「いや、うん、そうだよね。見に行ってるよね…」

テスト週間だったとはいえ、推しが出ている映画を見ないわけにも行かず、欲に負けて前売りチケットで呑気(のんき)に鑑賞していた。

 「で、でも小鳥遊くん。この映画何度見ても面白いし、俺もう何度か見ようと思ってたから全然いいよ」

そうだ、嘘は言ってない。ただDVDで見るか大画面で見るかの違いだ。

「なんかごめん藤川」

「いいよいいよ、ありがとう、マクタス見てくれて」

俺がむしろ驚いたのは、本当に彼がアニメを見ていてくれた事だ。口だけでは無かったらしい。

「だって面白いって言ってただろ?」

しゃがんだまま首を傾げる皇帝は、実年齢よりもずっと幼く見える。

「うん、素直に見てくれるとは思わなくて…」

俺は皇帝に手を差し伸べながら笑った。そこそこ長いマクタスをこの短期間で、しかもテスト勉強を合間に見てくれたのだと思うと、本当に嬉しい。ヲタクとしてありがとうと心から言いたい。

 俺は皇帝の手を引いてマクタスのチケットを買うと、時間を確認する。次の上映まで(しばら)く暇だ。

「小鳥遊くん、まだ時間あるけど、どこかいく?」

「そうだな……カフェにでも行こうか」

皇帝は腕を組んで考えた後、無難な答えを出す。俺も喉が乾いていたので丁度良かった。

 ショッピングモール内にあったストーバックスに寄ると、慣れた口調で皇帝はなんちゃらフラッペを頼んでいく。もはや別の国の言葉のように聞こえる。

「えっと、アイスコーヒーで…」

分からないのでとりあえずコーヒーを頼んでレジを回避した。

 「藤川ー」

アイスコーヒーを受け取り、ストローを挿していると、少し離れた所で席を取った皇帝が手を軽く振っている。俺はガムシロップをひとつ入れたあと彼の元へ向かった。

「藤川はアイスコーヒー?」

「うん、そういうの頼んだ事なくてさ」 

俺は皇帝が飲んでいるなんちゃらフラッペを見ながら言う。どれが美味しいのかもよくわからない。俺の性格上、わからない物に手を出せるほど冒険家ではないのだ。

 「少し飲んで見る?」

「いいの?じゃあいただきます」

俺は差し出されたフラッペを吸う。抹茶味の甘くて冷たい物が口に広がった。美味しい。

「どう?」

「初めて飲んだけど、結構甘いんだね。美味しいよ」

甘い物が好きかと聞かれれば好きだが、好んで食べる程でもない。まあ、程々に好きな部類といえばわかりやすいだろう。

 「コーヒーだけど、飲む?」

「……飲む」

「あ、どうぞ」

なんだか少し表情が硬い気がするが、気のせいだろうか。

 皇帝は一口(ひとくち)口に含むと、眉間にシワを寄せて固まった。

「小鳥遊くん……もしかして、コーヒー飲めない…?」

「……そんなことは、ない」

(いやいやわかり易いよ)

強がっているのが丸わかりだ。皇帝は紅茶やコーヒーを好んで飲んでいそうなイメージがあったが、彼はそこそこの甘党なのかもしれない。

 「ねえ、あの人達かっこよくない?」

「座ってるからわかんないけど、めっちゃ身長高そう。てか脚長…」

「モデルかな、すごいイケメン…」

そこでふと気づく。なんだか視線が集まっている気がするのだ。俺が皇帝といると、やっぱ似合わないんだなぁ。泣きたい。

 ガックシと肩を落とす俺を不思議に思ったのか、皇帝は「どうした?」と聞いてきた。

「ううん。なんでもない。皇帝カッコいいなと思って」

そういうと、皇帝は少し赤くなる。素直で可愛いとこあるんだな、と近所のお婆さんみたいな事を思っていると、皇帝は俺の眼鏡をスッと外した。

 「藤川こそ、眼鏡外すとかっこいいよ」

度が強いおかげで目が小さく見えてしまうというが、眼鏡を外した自分の顔をちゃんと見たことないので、イマイチ自分がどんな顔なのかよくわからない。

「そうかな」

「コンタクトにしないの?」

皇帝は眼鏡を俺に返しながら(たず)ねた。その話題は、初めてでは無く、たまに父さんにも吹っ掛けられる。

「父さんにもたまに言われるんだよ。あの人コンタクトだからさ」

「しないの?」

「目に異物を入れるって、なんか怖くてさ」

そういうと、ケラケラ笑う皇帝。

「でもコンタクトなら色々楽になる事も少なからずあるんじゃない?拭かなくていいだろうし」

「そうなんだよね…」

いつかコンタクトに変えようと思っては居るのだが、なかなか踏ん切りがつかない。

「……俺藤川の眼鏡無し、見てみたいな」

「ん〜、考えとく」

(父さんに相談しようかな)

俺が前向きな返答をしたからか、皇帝はご機嫌に「よっしゃ」と喜んでいる。

 それから暫く二人で駄弁(だべ)った後、映画館へ向かった。飲み物だけを購入して席に向かう。

 上映が終わったあと、出てきた俺は号泣していて、皇帝も少し涙目だった。


 「いい話だったね」

「でしょ?見てよかったでしょ」

映画館を出た帰り道、早めの夕食がてら駅前のファミレスに俺と皇帝は来店していた。食事をしながらの映画の感想はとても楽しくて、食べ終わったあともずっと話し続けている。

 「まさかあそこで来るとは…」

「やっぱ根性あるよね、わかる」

初めてネット以外で映画の感想を語り合っているこの状況。とても新鮮だった。

「次回作もやるんだってね」

皇帝はオレンジジュースをストローで吸いながらそう言う。勿論その辺りの情報は得ているので、俺も「そうなんだよ」と相槌を打った。

「また、俺と見に行ってくれる?」

「当たり前だよ。次は公開されても小鳥遊くんと見に行くまで我慢する」

皇帝は嬉しいのか、ニッと歯を見せて笑う。

 ______ドクンっ

(まただ)

大きな鼓動の音が耳に響く。俺の心臓の鼓動だった。なんだろう、友達と約束するのがそんなに嬉しいのか。いや、嬉しいんだけども。

(不思議な感じだ)

俺は目の前でデザートのメニューを開く皇帝を見ながら自分の胸に手を当てた。

 「藤川何か食べる?」

「んー、じゃあショートケーキにしようかな」

「なら俺はプリンサンデーにする」

(可愛いな、選択が)

少しウキウキしたまま店員に注文している皇帝。今日一日で意外な一面が見れたな。そんな事を思いながらメニューを片付ける。

 店員が去った後、俺は皇帝に断りを入れ、デザートが来る前に一度トイレに行くことにした。手を洗い終わり、ハンカチで拭いている際、ふと顔を上げ、鏡に映ったいつもと違う自分の姿にビビったのは、また別のお話。


 「お腹いっぱいだねー」

「確かに、ちょっとサンデーはキツかった」

ファミレスから出た帰り道、俺と皇帝はすっかり日の暮れた夜道を歩いていた。夜道と言っても真っ暗な訳でもない。電灯が沢山あるそこそこオシャレな道だし、人もチラホラと歩いている。

 「そういえば、今日行った美容院、小鳥遊くんのお父さんのお店なんだってね。君も美容師になるの?」

そう聞くと、皇帝は少し顔を曇らせて頬を()く。

「いや、俺の夢は美容師じゃない」

「あれ?そうなんだ。じゃあなんだろう、情報系?」

「違うよ」

皇帝は少し笑うと、空を見上げた。三日月から満月に変化している途中なようで、いつになく歪な形で空に浮かんでいた。

 「俺の夢は、まだ両親にも話してない」

「でもそろそろ進路決め始める人、居るんじゃない?」

早い人は春のこの段階で決め始める。全員が全員ではないものの、大体の進路を決める人は少なくない。俺はよく父さんや母さんに進路について聞かれるので話しては居るが、全く話していないというのも心配な話である。

「うん、だからその内話し合わないといけないんだよね」

皇帝はそういった後、ズボンのポケットに両手を入れた。

「俺さ、ちょっと変わった趣味があって、それの影響で服のデザイナーになりたいんだ」

「いいじゃん。小鳥遊くんが作った服ならきっと人気になるよ」

そういったが、皇帝は複雑な顔のまま「うん…」と返事をする。何か他に悩んでいる事があるのかもしれない。

 「俺ね」

「うん」

立ち止まった皇帝に吊られて俺も立ち止まる。彼は足元に視線を落としていた。

「俺、女装が趣味なんだ」

そういった皇帝の声は少し震えていて、多分今まで、誰にも言ったことが無かったんだと思った。勿論、両親にも。

「………やっぱ気持ち悪い、よね」

サラサラの黒髪に隠れた目はちゃんと見えないが、とても怖がっているのは確かだ。

 「なんで女装がだめなの?」

「え?」

だけど、俺が思う事はこれだけだった。何故男がスカートを履いていたら気持ち悪いと言われるのか、髪を伸ばしていたら不潔と言われるのか。二次元の方がよほど自由に人が人として生きている気がする。

「小鳥遊くんが好きな格好をすべきだと思う。それに君ならきっと、すごく美人な女の人が出来上がるんだろうね…」

うまく言えないが、これが友達0人だった俺にできる最大限の(はげ)ましだ。

 「……そっか」

目をまんまるに見開いていた皇帝は、泣きそうな顔で笑う。

「もしかして、小鳥遊くんは女性向けの服をデザインしたいの?」

「うん、そうなんだ。ワンピースとかトップスとか、色々」

皇帝はそう言うと、薄っすらと目に溜まった涙を拭った。

「帰ろっか、藤川」

「あ、うん。そうだね」

スッキリしたような面持ちで歩き出す皇帝。初めて話した時は、皇帝がどんな人間なのか判らなくて、すごくビクビクしながらこの背中を追っていた。

「また今度女装してるとこ見せてよ」

「ええ…まあ、藤川ならいいか」

だけど、いつの間にか一歩後ろじゃなくて、隣を歩いてる。友達って不思議だ。


 「蘭丸?」

家に着き、門を開けようとすると、誰かの靴音と共に俺を呼ぶ声が聞こえる。振り返ると、ジャージに身を包んだなぎが俺を見ていた。どうやらジョギングから帰ってきたとこらしい。

 (そうか、髪切ったしな)

驚くのも無理はない。なぎとは幼馴染だが、俺の顔面をちゃんと見るのは久しぶりの筈だから。

「……おかえり、なぎ」

「あ……うん…」

ポカンとしていたなぎは、生返事をする。しかし、すぐに俺の隣に立つ皇帝を見て、目付きが悪くなった。初対面の人に対していつもこうなのだ。印象が悪くなるから辞めろと注意をしたが、聞く耳を持たないので、仕方なく放置している。

 「……こいつは?」

(おいおいコイツ呼びかい)

なぎの無礼さに焦ったが、皇帝は特になにも反応せず、「小鳥遊 雪哉(たかなし ゆきや)です」と名乗った。

「……ふーん」

「あ、えっと、小鳥遊くん。この子は橋倉(はしくら)なぎさ。向かいの家に住んでる幼馴染。1つ下の高校一年生」

謎の気まずい空気。俺はとりあえず、なぎの紹介をする。なんだか皇帝もピリピリしているような気がする。

 「そっか。わかったよ。よろしくね」

(ほんとにヨロシクする気ある?皇帝)

一応言った感が否めない。

「藤川、そろそろ家に入りなよ。今日一日疲れたでしょ」

「う、うん……わかった、そうするよ」

皇帝は門をくぐる俺に「また学校でね」と手を振る。なんだか不安だと思いつつ、俺は皇帝となぎに「またね」と手を振って家に入った。


 (さて、どうしようかなこの状況)

家に入った藤川(ふじかわ)小鳥遊(たかなし)はなぎを振り返った。藤川が居なくなってから、ますます小鳥遊に対しての目付きが悪くなっている。

「あんた」

「なに?」

()めつけていたと思えば、次は話しかけてきた。とはいえ、友好的な話しかけ方では無い。

「あんた、蘭丸の事好きだろ」

突然の質問に、小鳥遊は無言になる。その様子を見たなぎは、首に掛かっていたタオルを外すと、自分の家の門を開けた。

「……遊びなら他所(よそ)当たれよ。蘭丸に手ぇ出すな」

ガシャンと門を乱暴に締めて家に入っていったなぎ。一人残された小鳥遊は、ぎゅっと拳を握りしめた。


 (あ、しまったな。イヤリング渡すの忘れちゃったや)

帰宅した後、俺は家族に髪型や服装を(いじ)り倒され、やっとの思いで風呂に浸かっていた。リュックに入れたままのイヤリングを思い出し、どうしようかと考える。

(わざわざ学校に持っていってまで渡すのもなぁ)

なんだかわざとらしい。また出掛けるタイミングがあったら渡そう。ブクブクと口を湯につけて泡を作る。

 あの後、なぎと皇帝は大丈夫だったのだろうか。皇帝なら喧嘩とかしないと思うからいいけど、問題はなぎだ。一応歳上相手でも向かっていってしまう性格な(ため)、たまに問題が起きる。

(また後で皇帝にMAINしてみよう)

そう決めると、俺は湯船からザバっと上がった。


 「体育祭の種目を決めます。出たい種目に手を上げてください」

テストが終わって間もなく、各教室ではクラスの時間を使って体育祭の種目を決めていた。勿論俺は体力も無ければ運動神経も良くないので、比較的楽な障害物リレーに出ようと思う。

 「じゃあ、次。障害物リレーやりたい人」

一概に障害物リレーといっても、その中でかなり種目が分かれているので、募集人数が多い。おかげで掛け持ちする人も中には居るだろう。

「田中、清水……藤川…っと、これで全員かな」

担任が黒板に名前を書き出していく。クラス長はそれをプリントに書き込んでいるようだ。

(これで体育祭は乗り切るだけだ)

俺はまるでひと仕事終えたとでも言いたげな顔でため息を吐く。ひとつ祈るとしたら障害物リレーの種目で大変な物が来なきゃいいくらいだ。

 「……よし、これでオッケー。みんな頑張って優勝するぞ!」

ありきたりな言葉を掛ける担任に対し、大半は「まあ頑張りますか」という程度の反応だ。俺みたいな体育苦手組は「乗り切ることを目標にします」という感じである。

 黒板をきれいに消し、休憩になると、いつも通り皇帝がやって来た。

「小鳥遊くん」

「藤川は障害物の何の種目に出たいの?」

「んー……特にはないかな。大変なやつじゃなければいい、って感じだよ」

そういうと、皇帝は「そうなんだ」と返事をしながら俺の机の前にしゃがみ、両腕を机に乗せて顎を乗せる。

 「……まだ眼鏡?」

「ああ、父さんが次の休みに一緒にコンタクト買いに行ってくれるんだって。それまでは眼鏡かな」

そう言うと、皇帝は目を丸くした。

「コンタクトにするの?」

「えっ?小鳥遊くんがコンタクト見たいって……あれ?勘違いだった!?」

(脳内変換していたかもしれない)

恥ずかしさがブワッと溢れる。すると、皇帝は腕に顔を埋めてしまった。

「小鳥遊くん?」

「………っ」 

「なんて?」

何か言ったようだが、モゴモゴしていて聞こえない。皇帝はジト目で俺を見上げる。

「……なんも」

「そう?」

皇帝がそう言うなら信じるとしよう。

 俺は次の授業の教科書とノートを取り出しながら皇帝に話し掛けた。

「小鳥遊くんは種目何になったの?」

「俺は100メートル走だよ」

「ああ…得意そう」

運動神経もいい皇帝なら、余裕で一位をぶん取って来そうだ。

「そうでもないよ。どちらかと言えば長距離の方が得意」

「俺はどっちも好きじゃないや」

(キツイし疲れるし)

息が切れることは基本的にしたくない。

「キツイし、疲れるしって?」

「……なんで俺が考えてる事が分かるの?」

「簡単だよ、顔に書いてある」

皇帝はそういって俺の額を指で突いた。そこは以前たんこぶがあった所だが、今は綺麗に治っている。

 「100メートル走で1位取らなくても、小鳥遊くんが走ったら女の子達が黄色い声出すんだろうなぁ」

冗談半分、本気半分で言うと、皇帝は真面目な顔でふと考え、俺を見上げる。

「いや、案外(あんがい)藤川が走っても同じ事になると思う」

「俺?なんの冗談……?」

ヲタクが走っててキモい的な黄色い声というか、悲鳴に近い声が上がるかもしれないが、皇帝と同じ様にはならないだろう。恐るべし、イケメンと陰キャの違い。

 「冗談じゃないって。だって見てみなよ」

皇帝は顎でクイッと廊下を指す。俺はクエスチョンマークを頭上に残したまま振り向いた。そこにはいつも通り、女の子達が5.6人教室内を覗いている。いつも通りというのは、皇帝を見に、しょっちゅう人が訪れているので、今ではそれが普通になっていた。

「いつもと一緒だけど」

「違う違う。なんていうか、いつも視線は感じるけど、藤川にも向いてると思うんだよ。俺がトイレ行って帰ってきたときも、女子達あの状態だったし」

「たまたまじゃない……?」

(俺を見たところでなんの得も無いはずなんだけどな)

そう思ってもう一度女の子達を振り向く。すると、そのうちの3人程がキャッキャとはしゃぎ始めた。

(まじか)

「たまたま?」

「………わからない」

とりあえず、あれについては触れないでおこうと心に決める。

「まあ、とりあえず体育祭頑張ろうね藤川」

「程々に頑張ります」

皇帝はそれだけ言葉を交わすと、次の授業の支度をする為に自分の席へ帰っていった。


 「あつ……い」

半袖の体操服に見を包み、学校のグラウンドに居る俺。今は丁度体育の授業なのだが、それぞれ体育祭の種目別に別れていた。おかげでいつも男女別の体育だが、今だけ混合授業だ。

 まだ春とはいえ、そろそろ夏に入る。気温も上がり、陽射しも段々と強くなっていた。

「障害物ー、こっちきてー」

クラス長が障害物リレーのメンバーに居たのもあり、彼が指揮を取っている。この時間中に種目を決めるらしい。

 とりあえず面倒臭そうな物はパスして俺の中の候補を上げると、玉入れ、ピンポン玉運び、輪ゴムの射的、バスケットボールをドリブルしながらコーンを一周して戻ってくる等。

 すると、隣に座っていたクラスの男子が、「お前射的とか出来そうじゃね?」と話を振ってきた。髪を切ってから色んな人に声をかけられるようになり、俺は少し戸惑っている。

「お、おれ…?」

「いやなんか、シューティングゲームとかしてそう」

(ヲタクがみんなゲーマーだと思うなよ。合ってるけどさ)

ヲタクといっても色んな人種が居るんだぞと語ってやりたいが、俺がゲーマーなのは確かなのでグッと飲み込む。

「じゃあ……藤川でいい?」

「……うん、いいよ」

(シューティングゲームと輪ゴムの射的は色々違うんだけどね)

ようはあれだ、照準(しょうじゅん)とゴムの飛距離(ひきょり)だけなんとなく掴めれば行けるかもしれない。ただ割り箸で作った輪ゴム銃な上に、何が的なのかよくわからない。大丈夫だろうか。

 結局トントン拍子に決まり、練習可能な種目は残りの時間を使って練習する事になった。俺は勿論練習が出来ないので、他の種目の手伝いだ。

「6.5秒」

「あーーッ落ちたぁッ!」

俺がタイムを告げると膝を落とすクラスメイト。彼は林 拓馬(はやし たくま)。うちのクラスでも屈屈指(くっし)の運動神経バケモノ男子だ。陸上部所属の元気坊主くんで、この学校の近くにある林神社の跡取り息子である。

 「わりぃ藤川!もう一回いいか!」

「いいよ、暇だし…」

フレンドリーで分け隔てなく仲良くできる圧倒的光属性の林くん。顔のパーツもとにかく綺麗で、皇帝の目立ち具合に埋もれてしまうが、それでも女子に人気な男子生徒だ。よく部活の後輩たちもクラスに遊びに来ていたりするので、後輩受けも良いのだろう。

「6.42秒」

「うおおおッ戻ってきた!!」

ヨッシャとガッツポーズをした後、俺にハイタッチを求めて来た。手を上げると、すごい勢いで叩かれたので、運動部のハイタッチは腕がもげると脳みそにインプットする羽目になった。

 (……あ、皇帝だ)

女子が集まっていると思ったら、その視線の先は皇帝がクラウチングスタートで体育教師のGOサインを待っていた。綺麗なそのポーズに思わず魅入(みい)ってしまう。

「あいつなんで陸上部入ってくれないんだろーな」

俺の視線に気がついたのか、林くんも皇帝を見ていた。

「確か、いろんな部活から入ってくれって言われたけど、全部断ってるって言ってたな…」

「だろうな。俺毎日誘ってるけど全部かわされてる。なんなら最近陸上部の"り"を発音した所で逃げられる」

(毎日……良く言えば諦めないど根性、悪く言えばしつこい…。どこの漫画だよ)

 そんな会話をしていると、体育教師のホイッスルが鳴った。皇帝はバッと飛び出し、あっという間にゴールを走り抜けている。

「うーわ、今の13秒切ってるか切ってないかくらいじゃないか?小鳥遊のやつやっぱバケモンだなー」

(それを同族(運動神経オバケ)の君がいうか。ちゃんとブーメランだよ)

林くんはニッシッシと笑いながら皇帝を見ている。俺は運動が出来ないので、どちらもちょっと次元が違う。なんなら怖い。

「あ、藤川。お前も陸上部入んねぇ?」

「全力でお断りします」

「ちぇっ」


 それから一週間が過ぎ、クラスパネルもそろそろ完成だと言う時だった。俺は人手不足だったパネルを手伝っており、他にも沢山のクラスメイト達が体育祭の準備をしている。

 「え……?俺に?」

「うん…よかったら…」

クラスの女の子からお茶を貰った。冷たいので、自販機で買ってきたばかりなのだろう。それにしても何故俺になのか。

「あ、ありがとう…」

「どういたしまして…!」

女の子はすぐにいつものグループへ入っていく、そこではすごくキャアキャアと盛り上がっていた。

(なになになになに、イタズラでもされてるの?実はなんか変なもの入ってるとか?)

だがペットボトルの蓋は開いておらず、見た所なにも入っていない。

「モテモテだね、藤川」

振り返ると筆を片手に笑っている皇帝が居た。自分を棚に上げたセリフに俺は「ハハハ」と乾いた笑みを浮かべる。

 「よし、これでもう大丈夫だと思う」

クラス長は筆を置くと立ち上がり、床に置いたパネルを見た。クラスパネルは今日が締め切りなので、結構ギリギリである。

「これどこ持ってくの?」

皇帝も立ち上がり、腰をトントンと叩いていた。

「一回の昇降口。そこに先生が居るから、渡して終わりかな」

クラス長はメモを開いてそう言った。マメなクラス長はとにかく頼りになる。何かわからなければとりあえずクラス長、そんな感じだ。

たまに人間版"ヘイSuri"とも呼ばれているのを見かける。

 「じゃあ皆で運び出そう」

「おっ運ぶのか?なら俺も手伝うよ」

丁度体育委員の招集(しょうしゅう)から帰ってきた林くんが声をかけた。クラス長は「助かるわ」とお礼を言って俺達に指示をし始める。

 クラスパネルを先生に引き渡し、教室へ戻ると、特に用のない人は帰っても大丈夫だと言われたので、素直に帰宅することにした。


 翌日。俺は特に寄り道もせずに家に帰宅していた。というのも、今日は父さんと約束していたコンタクトを買いに行く日なのだ。色々と視力や涙の量を調べ、コンタクトの試着をしていく。初めて入れたが、自分が思っている以上に怖くなかったし、違和感もなかった。なんなら視界がクリアでとてもいい。早くコンタクトにしていれば良かったと後悔している程だ。

 「明日体育祭だろ?眼鏡だと割れるかもしれないし、丁度良かったな」

車を運転しながらケラケラ笑う父さん。いや、そんな激しくないよ、俺が出る種目。

「にしても、あんなに(すす)めても嫌がってたくせに。どういう風の吹きまわしだ?」

父さんはハンドルを切りながら助手席に座る俺に訊ねた。

「小鳥遊くんが眼鏡やめてコンタクトにしてみれば?っていうから……」

「ほお?意外とお前友達の言う事なら素直に聞くんだな。もっと俺にも素直になってほしいよ。幼稚園の頃なんてパパ、パパって寄って来てたってのに……今はパソコン相手にニヤニヤしちゃって……」

俺寂しいよ、と嘘泣きする父さん。

「幼稚園ねぇ…」

正直小さい頃の記憶はほとんど無い。歳が離れた姉がめちゃめちゃ構ってくれていたのは覚えているが。

 「明日頑張って1位取ってこいよ。コンタクトの神様がついてるから」

「なにコンタクトの神様って……。しかも俺が出るのは障害物リレーだから俺が頑張ってもなぁ」 

そう言うと、父さんは「障害物リレー?なんの種目出るんだ?」と赤信号で止まりながら俺に聞いた。

「輪ゴム銃の射的」

俺が答えると「なーんだ」と言わんばかりの顔で、ハンドルを握り直す。

「お前射撃系得意じゃん。ゲームでよくやってなかったか?」

「それクラスメイトにも言われたけど、ゲームと実際やるのは違うし、割り箸で作った輪ゴム銃だよ?」

一緒にされたら困る。俺はムッとして言い返した。すると父さんは、俺の方を向いてニヤッと笑う。

「じゃあ諦めるのか?」

「………」

直接"諦めるのか"と言われると、素直にうんと言えない。それが俺、藤川 蘭丸という人間だ。


 そして、次の日。ついに体育祭当日。俺は体操服の上からジャージを羽織ると、リュックを背負い登校した。

 学校に着くと、いつもと違う体育祭一色の雰囲気に一瞬だけ「クラス間違えたかも」と思ってしまう。

 自分の席に辿り着き、クラスハチマキを机から出して額に縛った。女子達は、いかに可愛く縛れるかで試行錯誤して忙しいらしい。外は晴天で、沢山の実行委員や体育委員、教員達がテントを建てたり、マイクや音響の確認、司会進行の練習をしていた。

(あ、林くんだ)

窓に近寄り、外を見ていると、何人かの生徒たちと協力してテントを組み立てている彼の姿が見える。

 「藤川」

ボーッとその様子を見ていると、皇帝の声が聞こえた。

「あ、おはよう小鳥遊くん」

「………」

振り返って挨拶すると、皇帝はポカンとしており、目を見開いていた。どうしたのだろうか。

「……眼鏡」

「あー、うん。コンタクトにしてみたんだけど、どうかな」

そう言うと、皇帝は額を押さえて長いため息をついた。あれだけコンタクトにしろしろと言っていたのはこの男だというのに、なんだろうか、この反応。思ってたんと違うってか。

 すると皇帝は額に当てていた手を口に移動させると、少し赤い頬で「似合ってる」とだけ呟いた。

(ああ、まただ。また……)

____心臓が五月蝿い。

 「みんなー、支度ができた人から校庭に集まってくれ」

クラス長が時間を確認して指示を飛ばした。いつの間にかクラスの大半が登校完了しており、他クラスもパラパラと校庭へ出て行っている。

「……ありがとう」

俺は皇帝に小さくそう言うと、水筒やタオルを持ってクラスメイト達と外に出る。五月蝿い心臓の鼓動と、さっきの皇帝の表情が脳裏に焼き付いて目が回りそうだった。


 「うわっ、なんだよ藤川!イメチェンじゃんか!」

クラステントに来ると、ブルーシートが敷いてあったので、各々自分の場所を確保して座っていた。そこへやって来た元気坊主、林くん。体育委員の仕事は一旦区切りが付いたようで、どデカい水筒とスポーツブランドのタオルを手にしていた。

 「うん、眼鏡だと不便だと思って」

「なるほどなー。俺も眼鏡にしてみようかな。ちょっとはインテリイケメンになれるかも!なーんてな」

アッハッハと笑い飛ばす林くんは、いつもよりもテンションが高かった。ていうか、この人これ以上イケメンになって何をするつもりなんだろう。何もしなくても、大学行ったら髪が伸びてモテてそうだ。

 俺がジト目で見ていると、林くんは俺の上を見てニカニカ笑う。

「よお、おはよう小鳥遊!100走頑張れよ!」

「ありがとう林。お前も50頑張って」

俺の隣に腰を下ろしたのは皇帝だった。先程までの様子は何処(どこ)へやら。そこにはいつもの(うるわ)しい皇帝が居た。

 「俺もここ座っていいか?」

「いいよ。この辺広いし」

林くんは「ありがとな!」と笑うと、水筒をドンと置く。運動部はすごいな。俺は置かれた水筒の大きさを見ながら思う。

 「えーー、生徒の皆さん。開会式を始めます。整列してください」

教頭先生のマイク越しの指示が出され、生徒たちはテントの外へザワザワと出始めた。

「俺達も行こうぜ」

「そうだね」

林くんは腰に手を置く。皇帝は立ち上がりながら相槌(あいづち)を打った。俺もヨイショと立ち上がると、クリアになった視界に若干浮かれながらクラスの整列場所へ向かうのだった。


 「あっついね……」

「そうだね……氷水に……浸かりたい」

「藤川、氷水は冷たすぎない?」

俺は皇帝の話にやる気なく返す。まだ夏ではないとはいえ、日中はそれなりに気温が上がる。テントがあるだけまだマシだな。

 「障害物リレーの選手は正門に集まってくださいー」

体育座りでヘバッていると、実行委員がプレートを掲げながら通達(つうたつ)しに来た。早い、もうそんなにスケジュールが進んでいたのか。

「ほら立って」

皇帝はペシペシと俺の背中を叩く。すこぶる行きたくないが、父さんの「諦めるのか?」がちょっと腹立つので頑張ってテントから出た。

 招集場所に全員が集まると、ルールの最終確認と入場の仕方を体育委員が説明し始めた。全ての確認が終わると、後は待機となり、俺は人の間からグラウンドを見る。ちょうど今50メートル走が行われているようだ。

(林くんはどうなっただろうか)

そう思った矢先、「1位、2年A組林 拓馬選手」とアナウンスが流れ、隣に座っていたクラス長が小さく「よしっ」と言っていた。50メートル走と皇帝の出る100メートル走は、午前中に予選、午後が決勝という形で行われる。ひとまず決勝進出という枠にはこれで入れたわけだ。

 「そろそろ移動します!」

今のが50メートル走最後のレースだったようで、実行委員がメガホンで俺達に指示を出した。ひとまず目先のことに集中しよう。俺は軽快な音楽に合わせて始まる駆け足で、前の人の背中を追った。


 (輪ゴム銃、小学校ぶりだな)

リレーが始まり、持ち場についた俺は割り箸で作られた銃を見ていた。的はただの空き缶。一応輪ゴムでも倒れる。あの缶を5つ倒すことができればクリアという単純なルールだ。

 「藤川くん!!」

前の走者の女子がバトンを持って走ってくる。俺はそれを受け取り引かれた線の上に立った。輪ゴムを掛け、片目を閉じる。

 その後は、思いの外簡単だった。5発打って全て命中。射的の中だけなら1位で飛び出した。自分のクラスからの喝采(かっさい)がここまで届く。俺は手を振るクラス長にバトンを渡してトラックの中にはけた。

 既に走り終えたクラスメイト達がわっと集まってきて、「俺の目に狂いはなかった」とか「射的できるのすごい」とか。それはもう散々褒めちぎってくれた。心の中で父さんに勝ったぞと叫んでいると、アナウンスが流れる。

「1位、2年D組。2位、2年A組」

どうやらすんでの所で追い抜かれたようだが、それでも3位以内なら良いと思う。俺は後は見てるだけだな、と息を吐き、再び整列するのだった。


 「おつかれ!藤川すげーな!めっちゃかっこよかったぞ。色んなクラスであのイケメンすげぇって噂立ってたし」

テントに戻ると皇帝は居らず、代わりに林くんが居た。聞けば皇帝は100メートル走で招集されたとかなんとか。

「林くんこそ1位だったよね、おめでとう」

「おう!ありがとな。この調子で決勝も勝ち取ってくるわ!………って言いてぇんだけど、陸上部ばっかなんだよなぁ」

腕を組んで眉間にシワを寄せる林くん。中々厳しいようだ。

「まあでも、3位以内には入りたい!ので!頑張りますっ」

林くんは指を3本立てて俺に宣言する。

「頑張れ、林くん」

「任せとけ」

鼻息を荒くしながら、林くんは胸をドンと叩いた。

 「決勝といえば小鳥遊。あいつどこまで行くかなー。一応陸上部も出てるから簡単じゃ無いと思うけど…」

「ああ、まあ確かに」

いくら早くても、毎日全速力で走っている専門家に敵うかどうかはわからない。俺と林くんは、駆け足で入場している生徒の集団を見ながらそんな会話をしていた。

 「続いて、第6レース」

アナウンスが選手紹介を始めていく。その中に我らが皇帝も居た。皇帝の名が紹介された途端、色んなテントから黄色い声が飛び交う。俺の隣では林くんが「うおお、すげぇ……」と驚いている。大丈夫、俺もだ。

 全員分紹介か終わると、先生の合図でクラウチングスタートの体勢になる。そしてピンと緊張が張り詰める会場に、空へ向けてパンッという銃声が轟いた。

 バッと飛び出す選手、ワーワーとそれぞれのクラス選手を応援する生徒。俺と林くんも、それに混じって皇帝を応援した。 

 結果はやはりと言うべきか。圧倒的速さで皇帝が1位をもぎ取った。陸上部は皇帝よりも一歩遅くゴール。会場はドッと()いた。


 「おめでとう小鳥遊くん」

「あはは、ありがとう」

昼休憩になり、各々(おのおの)昼食を()る中、俺は皇帝とお茶を買いに行っていた。本当は林くんも俺達に着いて来るはずだったのだが、緊急の体育委員の招集があり、そちらへ向かった。

 「それにしても、あんなに射的うまいとか聞いてないよ」

「いや、運だったよ。割り箸の銃なんて小学校ぶりだったし……」

ガコンと出てきたお茶を自販機から取り出す。そう、本当に運だった。もし扱えない程に腕が落ちていたらあそこまでスムーズに切り抜けられなかっただろう。

 「カッコよかったよ、藤川」

「小鳥遊くんもカッコよかったよ」 

二人して褒め合いするのは少々照れるもので、皇帝も若干赤くなった頬をポリポリと掻いていた。

「テント戻ろうか」

「あ、うん」

皇帝は黒髪とハチマキを(なび)かせて歩いていく。

 俺もその後ろを追って歩いていると、前から女の子が3人スマホを持ってやって来た。

「あの、一緒に写真とってください……!」

「お願いします!」

(……え?俺も?)

皇帝のこういう場面はよく見ていたが、明らかに俺の方にも頼んでいる。

「えーっと……」

俺がタジタジとしていると、皇帝は「いいよ」と答えて俺の腕を引きくっついた。そして女の子達はパッと笑い、自撮り棒で写真を何枚かポーズを変えて撮る。わざわざ言うまでもないが、俺は全て同じ顔、同じポーズだ。

「ありがとうございました!!」

「ふたりともかっこよかったです!」

「決勝戦頑張ってください!」

そういうなりキャーキャーと騒ぎながら、どこかに行ってしまった女の子達。そして俺の目は、その後ろ姿を見送りながら死んでいた。


 あの後、午後の決勝では50メートル走も100メートル走もかなりの接戦(せっせん)だった。林くんは1位にはなれなかったものの、宣言どおり3位以内の2位に上り詰め、皇帝も陸上部を差し置いて3位でゴールしていた。

 「疲れたなー」

「やっと帰れる…」

林くんが教室で背伸びしながら言うので、俺もそれに便乗して伸びをする。そんな俺達を見ていた皇帝はスマホの時計を見ながら口を開いた。

「でもこの後打ち上げだから、すぐに家出ることになりそうだね」

「………忘れてた」

そう。我がクラスではこの後打ち上げとして焼肉屋へ行くのである。とはいえ体操服のまま行くわけにも行かないので、一度帰宅してからだが。

「いっぱい動いた後の飯は美味いぞ藤川!」

「ポジティブ光属性…」

「え?」

眩しい輝きを一日中保った林くん。疲れたと言う割には元気そうだ。

 「まあとりあえず、俺達も帰ろうぜ」

教室内に残っているのは俺達を含めて10人程。家が遠い人ほどすぐに帰っていった。

「そうだね。帰ろうか」

皇帝もリュックを肩にかけると椅子から立ち上がる。俺はヨイショとリュックを背負い直し、先に歩いていく林くんと皇帝を追うように教室を出た。


 「今日は一日お疲れ様!カンパーーイ!」

クラス長の音頭(おんど)で始まった打ち上げ会。空腹の林くんは、乾杯し終えるとすぐに肉を焼き始めた。

「オラオラオラオラ焼け焼け焼け焼け!!」

林くんに吊られて焼きまくるクラスメイト達。あっという間に大量の肉が焼き上がった。俺はバカバカ盛られていく肉を消費するので手一杯である。

「待って待って林くん……俺もう食えない」

「はあ!?ダメダメ。運動したら食うんだよ!」

そういって肉をサンチュで巻いた物を俺の口にねじ込む林くんは、うちの姉ちゃんそっくりだ。

 結局デザートまでたどり着けず、俺はギブアップ。林くんに俺の分のシャーベットを渡した。これ以上食べると胃が破裂してしまう。

 会計をクラス長が(あらかじ)め皆から集金していたお金で払っている間に店からゾロゾロと出た俺達は、他の客に迷惑にならない場所で彼を待った。(しばら)く待った後、レシートを財布に入れながら帰ってきたクラス長。俺達は彼に礼をいい、早々に解散となった。

 

 「うー、食べ過ぎで気持ち悪…」

「林がすごい量焼いてたからね…」

皇帝も今日ばっかりは麗しい感じではない。二人して腹をさすりながら歩く。

「みんな楽しそうだったなぁ…」

俺は食べる事に精一杯だったが、ちらっと見たクラスメイト達の雰囲気はとても楽しそうだった。皇帝も「確かに、楽しそうだったね」と同調する。

 自分で言うのも何だが、俺はずっと友達らしい友達が居なかったから、クラス会とかも呼ばれなかった。実質初めてのクラス会だったわけだが、思っていたよりもずっと居心地が良い。また呼んでもらえたら喜んで参加しようと思う。それまでに嫌われないようにせねば。

(なんか、胃がキリキリしてきた)

 「ていうか、いつの間に林と仲良くなってたの?あまりにも自然に話してるからツッコまなかったけど」

「あ……ホントだ。すごいな」

彼のコミュ力がえげつないのは知っていたが、こんなにアッサリ俺と皇帝の中に入ってくるとは思わなかった。

 「まあ、林くんいい人だし、このまま仲良くなれればいいな…」

そういうと、皇帝は無言だった。

「小鳥遊くん?」

「……あ、うん。そうだね。友達増えるのはいい事だよね」

「う、うん、そうだね…」

(どうしたんだろうか)

パッと笑顔になったものの、皇帝の表情は少し寂しそうだった。


 俺の家の前まで来ると、イヤホンをしながら走ってくるなぎが見えた。なぎは俺の隣を歩いていた皇帝を見るなり立ち止まり、イヤホンを耳から外してあからさまに睨みつけている。

 この前俺が家に入ったあと本当は何かあったのだろうか。皇帝はMAINで「何もなかった」と言っていたが、嘘なのか、本当なのか。

 「またテメェかよ」

(すんげー口調だなオイ)

これは絶対に何かあったな。聞かなくてもわかる。睨みつけるなぎもなぎだが、皇帝も皇帝で何も言わないで見つめている。

「僕が言ったこと、ちゃんと聞いてた?」

青筋を立てたなぎに対して、皇帝は「聞いてたよ」と淡々と答えた。蚊帳の外の俺は、本当に状況がわからない。

 「じゃあなんで蘭丸といんだよ」

「友達だから」

キッパリと言ってのけた皇帝。嬉しかった。そう、嬉しいんだ。だけどなんとなく、寂しかった。

「………」

なぎは益々目つきが悪くなる。そしてそのまま門をくぐっていく。

 すると。

「俺は本気だ」

突然皇帝がなぎにそう言った。なぎは立ち止まる。

「絶対諦めない。俺はその為にこっちに帰ってきたんだ」

なぎは振り向き、殺気立った目でキッと皇帝を睨みつけると家に入って行った。

「……どういう状況?」

俺が訊ねると、皇帝は振り向いてとても複雑そうな顔で「今は言えない」とだけ言う。

「……俺関係?」

「……」

この無言が肯定の意味だというのはすぐに(わか)った。だとしたら、どんな経緯でこの二人の関係がここまでこじれているんだろうか。

 「ひとつ言えるのは、藤川は何も悪くないって事」

皇帝はそう言うと、「今日はお疲れ様」と言って帰っていった。


 「おーい、藤川?」

「え?」

目の前には林くんの顔。どうやらボーッとしていたようだった。

「どうしたんだよ。今日はやけに元気がねぇな。朝飯食ってきたか?」

林くんは、俺の前の席の椅子に、跨ぐように腰掛けて居た。

「食べてきたよ」

「どんくらい?」

「えっ、どのくらい?トースト1枚と目玉焼きとウインナー……。あと味噌汁」

「味噌汁ぅ!?そこは洋風じゃねぇの?てかそうじゃなくて、少ねえな。もっと食え!俺おにぎりあるからやるよ」

林くんは自分の席にパッと取りに行くと、おにぎりを机の上にトンと乗せた。

「いや、悪いし……」

「いいよ別に。まだ5つあるし」

(どんだけ食うんだよ)

流石運動部。引きそうに無いので有り難く頂くことにした。

 ラップに包まれたおにぎりは混ぜご飯らしく、ゆかり味だった。塩っけが絶妙でとても美味しい。

「どうだ??」

「美味しいよ」

「だろ!そのゆかり、うちの婆ちゃんが作ってんだぜ。まあ、握ってんのは俺なんだけどな」

意外だ。てっきり母親が握ってるのかと思った。

「何があったのか知らねぇけど、美味いもん食って元気だせよな」

そう言うと、林くんは遊びに来た後輩の元へ飛んでいった。

 俺はモグモグとおにぎりを食べつつ、皇帝の方を見る。皇帝は頬づえを着いて机の木目を見ているようだった。

 彼は今日、一度も俺に話しかけてきていない。よく考えたら、いつも話し掛けてくれていたのは皇帝の方だ。側にいてくれたのも、彼だった。

(俺、何かしちゃったのかな)

美味しいはずのおにぎりは、途端に無味(むみ)となり、喉を通らなくなった。


 それから一日過ごしてみたが、皇帝から話しかけてくる事は無かった。だからといって別の誰かと話している様子もなく、昼休みも飲むゼリーを吸って眠っていた。

 流石に様子がおかしいと思ったのか、クラスメイト達も彼に話しかけていたが、(ほとん)どが愛想笑いで済まされている。中でも一番しつこく話しかけていたのは林くんだが、もはや愛想笑いどころかフル無視を食らっている始末だ。

 「ほんと、お前も小鳥遊もおかしいな。昨日まで仲良かったじゃんか」

放課後、早く部活に行けるように林くんの日直の仕事を手伝っていると、彼はふと話しかけてきた。

「……そう、なんだよね。なんでこうなってんだろう」

(あの場に居たのに俺なんも理解できて無いんだよなぁ)

既に下校した皇帝の机を見ながら答えると、黒板を消していた林くんが教卓をバンっと叩き、乗っていた学級日誌が飛び跳ねた。ビビって俺はひっくり返る。

「え、なに…?」

ドッドッドッと心臓が脈打つ俺にお構いなしな林くんは、クワッと怒鳴った。

「なんでこうなったんだろう?馬鹿かお前は!」

「!?」

(俺!?俺が怒られるの!?)

目を見開いていると、更に林くんは言葉を続けた。

「気になってんのに、言葉にしないで心の中でモヤモヤモヤモヤ考えてたら、わりぃ方向にしか考えねぇんだよ!そこからくだらねぇ誤解が生まれんだ!!」

「……」

感情的に怒っているのかと思ったら、そうでもないらしい。俺は林くんの言葉を尻もちついたまま聞いた。

「友達なら、ちゃんと面と向かって話せよ!変だって判ってて、放っておくのは友達じゃねぇ!!!」

「林くん……」

(そうか、だから林くんは無視されてもずっと皇帝に話しかけ続けていたんだ)

林くんはそこまで言うと、後頭部を掻いて居心地悪そうに「……怒鳴ってごめん」と謝った。

「……ううん。たぶん、林くんが正しい。今まで俺はずっと小鳥遊くんに頼ってばかりだったんだ」

立ち上がり、尻についたホコリを払うと、俺は林くんを真っ直ぐ見る。

「俺、ちゃんと小鳥遊くんと話してみるね」

「それがいい。自分に素直になれよ、藤川」

「うん、そうする」

「もうここは良いから、先帰れ。あと日誌届けるだけだし」

林くんは教卓に置いてあった日誌を取ると俺に見せた。俺はその言葉に甘えてスクバを持ち、学校を後にする。そっと「頑張れよ」と林くんが呟いていた事は、その時の俺は全く気づいていなかった。


 (話をすると言ったけど、どうやってしようかな)

帰路を辿りながら俺は考え込んでいた。MAINを送って、はたして反応してくれるだろうか。家に行こうにも、彼の家を知らない。

「俺、全然知らないんだな」 

沢山知っていると思った。彼は唯一の秘密を俺なんかに話してくれたし、いっぱい話もした。だけど、その程度で皇帝の何を知った気で居たんだろう。

 (情けないな、男の癖に)

今の今まで人と関わることが苦手だった。いや、怖かったんだと思う。深く知ることが怖かった。二次元と違って、三次元の人間は知りたくも無い部分が沢山ある。それを知って、自分がその人に対して態度が変わってしまうのかと思うと、関わりを持とうなんて微塵も思わなかった。でも、誰かといる楽しさを知らなかった頃には、もう戻れない。

 (俺は、皇帝と話せないのは嫌だ。彼が元気無いのは嫌だ。彼が隣にいないのは嫌だ。一緒にいたい、話したい、歩きたい。俺は彼が___)

ピタリと足を止め、俺は口元に手を当てた。指先は血の気が引いて冷たいのに、血を送る心臓は忙しく脈打っている。

「………好き」

声に出すと、益々(ますます)心臓が大きくなりドクンと音を立てて縮んだ。震える指先は唇から喉に滑り落ち、やがで胸に届く。ぎゅっとシャツを握った。

「俺は、小鳥遊くんが……好き…」

 途端に足に力が入って、家まで走る。体が軽かった。走る事は得意じゃないのに、不思議と苦じゃなかった。

 家に帰るなり部屋に飛んでいく。扉を開けると、ベッドに寝転んで漫画を読んでいるなぎが居た。

「蘭丸?」

「………ごめん、今お前に構ってられない」

俺はスクバを捨てるように部屋に放り、急いで机の隣にある棚に駆け寄る。その棚にはCDやDVDと共に、家族との写真や、なぎとの写真、姉ちゃんとの写真が飾ってあった。それとは別に、茶色の小さな紙袋が棚に乗っている。これは俺が皇帝に渡しそびれていたイヤリングだった。

 それをぎゅっと胸に抱きしめ、部屋から出ようと扉を向く。だが、そこにはなぎが立っていた。

「それ持って……どこ行くつもりだよ蘭丸」

「……どいて、なぎ」

だが、なぎは一切どく気は無いらしい。

「もしかして、あの胡散臭い黒髪の所?」

「小鳥遊くんのこと……?」

「アイツの名前なんて興味ない。知りたくもねぇ」

なぎは俺に迫ってくると、無理やり紙袋を取り上げる。

「ちょ、なにして!!」

ひっくり返された紙袋の中から、なぎの手の平に落ちるイヤリング。なぎは眉間にシワを寄せた。

「男が、男にこんなもん貰って、喜ぶわけねぇだろ……」

(あ……)

 途端に、ガツンと鈍器で頭を殴られた様な感覚に陥った。確かにそのとおりだと思ったから。

(女の子から貰うならともかく、男からって……)

しかもそれを渡した男から、恋愛対象として見られていると知られたら、間違いなく距離を置かれてしまう。

 「何考えてんのか知らねぇけど、辞めとけよ。僕は蘭丸が傷つくの……見たくない」

「………うん」

「これは……俺が捨てとくから」

蘭丸はそういうと、扉へ向かう。

 蘭丸の言うとおりだ。きっと気持ち悪がられる。ヲタクというだけで厳しい目で見る人が居るんだ。男が男を好きになるなんて、余計に認められない。やっぱりこれで、これで良いんだ。

 (……いや、ダメだろう。馬鹿か俺は)

気づくと、なぎの腕を引っ張っていた。頭には林くんに言われた「自分に素直になれよ」という言葉がぐるぐると回っている。

「返して……返して、なぎ」

「だめだ、これは……っ」

「返せ、なぎ」

初めてなぎに対してこんな態度を取る気がする。だけど、申し訳ないと思う半面、どうしても(ゆず)れなかった。

 なぎは、唇を噛むと俺の両肩を掴む。チャリンとイヤリングが足元に落ちた。

「なんで!!なんでアイツなんだよ!!僕の方がずっとずっと前から一緒にいて、ずっとずっと前から蘭丸が大好きなのに……!!なんで……なんであんな最近現れた、よく分からない男に………ッ」

「なぎ……お前……」

ボロボロと泣きじゃくるなぎの手は、段々と力が抜け、俺の背中に回った。そしてギュウと抱きしめる。

「なんで、僕じゃなかったんだ。身長が無いから……?歳が違うから……?僕が、僕が……オンナだから…?」

「………」

 なぎは、性同一性障害だ。身体は女でも心や考え方は男と変わらない。だけど今、それは正直関係ない。

「俺は、女だからとか、男だからっていう理由で小鳥遊くんを好きになったんじゃ無いと思う。なぎは好きだけど、やっぱりその好きは小鳥遊くんのモノとは別物なんだ。ごめん…」

「………そんな…」

なぎは本当に良い奴だ。気持ち悪がって周りの人は避けていたのに、なぎだけは俺と一緒に居てくれた。自分の障害についても隠さず伝えてくれたし、学校が離れてもこうして様子を見に来てくれる。

「やだよ蘭丸……行かないで……ッ」

泣き崩れたなぎを、どうする事もできない俺は、本当に情けない男なのだと思った。

 すると。

「まったく、久々に帰ってみれば……何してんの?あんた等は」

突然部屋に響く女の声。俺となぎが扉を見ると、長髪の女性が立っていた。彼女は俺の歳の離れた姉ちゃんで、なぎにとっても姉的存在なのである。

「……ふーん?」

この状況で何をどこまで読み取ったのか知らないが、姉ちゃんは部屋に入り、扉の前から退いた。

「後は任せな」

つくづく男前な姉を持ったと思う。久しぶりに実家に帰ってきた姉には申し訳ないが、なぎを任せることにした。

 「ごめん姉ちゃん、頼んだ」

イヤリングを拾い、部屋から飛び出る。靴を履いて、ひたすらいつも皇帝が帰っていく方向へ走った。それと同時にMAINで電話を掛ける。5回程コールした後、暗い声で「……どうしたの?」と聞こえた。

「渡したい物があるんだ。今、君の家の方向に走ってる」

そういうと、ガタッという物音が聞こえ、皇帝の「えっ……」という声がスマホ()しに伝わってきた。

「それに俺、言わなきゃいけないことがある」

俺は赤信号で止まると、息を調えてそう言った。皇帝からの返事は無い。

「林くんに言われたんだ。素直になれって、面と向かって話せって。俺は、小鳥遊くんと話がしたい」

『……判った』

間をおいて聞こえてきた皇帝の声。

『三丁目の公園に来て。俺もそこに行くよ』

「うん、判った」

俺は通話を切るとスマホを握りしめ、青信号に切り替わった横断歩道を走る。

(嫌われるかもしれない。もう話してくれないかもしれない。だけどもう後には引けないし、後悔はしたくない)

俺は必死に走った。重くなる足にムチを打って走り続ける。

 (見えた、三丁目の……公園!!)

看板が見え、公園に飛び込む。ここの公園はとても広くて、皇帝を探す必要があった。沢山の花が咲き乱れる花壇を横切り走る。少し先に、ベンチに座っている見慣れた姿があった。

 「小鳥遊くん!!」

「……藤川」

やはり複雑そうな表情の皇帝だったが、俺が肩で息をしている姿を見て走り寄ってくる。

「なんでそんな走って……」

「これ」

彼の言葉を遮り、拳を指し出した。皇帝は不思議そうに手を広げる。俺はチャリッとイヤリングをその手のひらに落とした。

「イヤリング……?」

「それ、俺が小鳥遊くんに似合うと思って買ったんだ」

息が切れ、途切れ途切れの言葉でそう言うと、目を見開く皇帝。

 俺はなんとか息を調え、皇帝を見上げた。

「俺は今まで、ずっと小鳥遊くんに甘えて来た。今日1日過ごしてみてよくわかったんだ。小鳥遊くんはいつも俺の側にいてくれて、いつも藤川って呼んで話しかけてくれる。その存在がどれだけ嬉しかったか、いつの間にか忘れてしまってたんだ」

俺がそういうと、皇帝は視線を落とす。

「今日については、ほんとにごめん。色々考えてて……」 

「もしかしなくても、なぎに何か言われた?」

「……」

また無言。だけど皇帝の表情はイエスと言っていた。

 すると。

「嫌だったら殴って」

それだけ言って、突然俺を抱きしめた皇帝。石鹸と花の匂いが鼻を掠める。

「小鳥遊……くん」

「藤川……お願いだから、俺じゃない別の男の所に行かないで。俺、嫉妬でどうかしそうになる」

その言葉に俺は目を見開く。皇帝はさらに強く抱きしめた。Tシャツ1枚だけなのか、皇帝の体温がよく伝わってくる。

「俺、藤川の事が好きだよ。幼稚園の頃からずっと」

「幼稚園……?」

「やっぱり、覚えてないよね」

そういって俺を開放する皇帝。苦しそうに笑う姿に、胸が締め付けられるようだった。

 「俺、幼稚園の頃この辺に住んでたんだ。それで、藤川と同じクラスだった」

生憎(あいにく)俺は、幼稚園の頃の記憶はボンヤリとしか残っていない。まさか同じ園だったとは。

「だけど、わからなくて当然だと思う。その頃俺の家、かなりの転勤族だったから半年くらいで幼稚園を移動したんだ」

「そう……だったんだ」

そんな昔の事を覚えているということは、俺とそれなりに仲が良かったのかもしれない。

 「藤川が同じ高校って判った時、もうこれを逃したら二度とチャンスが来ないって思った。だから、何としてでも友達になりたかった……」

「……でも、よく俺だって判ったね。ほら、自分で言うのもなんだけど……俺昔と容姿がだいぶ違ったし…」

そういうと、皇帝は微笑んだ。

「初恋の人、忘れるわけないよ」

「………」

その笑顔を見た瞬間、俺はもう一度、今度は俺から抱きつく。

「ばかやろぉ……」

「ふ、藤川……?」

「俺、俺っ……」

目が熱くなる、鼻が詰まり、思うように声が出ない。

「俺、ずっと小鳥遊くんと居たいし、ずっと隣を歩きたいし、ずっと話していたいよ!誰がなんて言おうと俺は、小鳥遊くんが大好きだぁ!!」

鼻水もズルズル、涙でグチャグチャの顔。カッコ悪いけど、言いたい事は言えた。悔いはない。

 だけどいつまで経っても皇帝からの反応はない。

「小鳥遊ぐん…?」

「ちょ、見ないで!」

べしっと目を手のひらで押さえつけられる。だけど細い指の隙間から見えたのは、顔を真っ赤にして泣いている皇帝だった。

「嬉しすぎて……俺、どうしたらいいか……わかんなっ……い」

「あはは…小鳥遊くん変な顔」

俺が言うと、皇帝は「お前が言うか」と俺の頬を引き伸ばす。でもその顔は怒りではなく、優しい笑顔で溢れていた。

 「ほんとに俺でいいの?」

「小鳥遊くんじゃなきゃダメだよ」

「ずっと離さないよ…?」

(むし)ろ俺が離されないように努力しなきゃいけないんだけど……」

そう言いながら涙を拭うと、皇帝は俺の頬を両手で包むと優しく唇を重ねた。

「大丈夫、俺たぶん藤川以外の人、そういう意味では好きになれないや」

「……なんだよそれ、ズルくない…?」

皇帝は本当に嬉しそうにニッと笑う。俺も吊られて笑顔になった。

 「……あ、なぎさ君になんて言おう。このままだと俺殺されるかもなぁ……」

ふと我に返ったのか、皇帝はそう呟く。

「そっか、まだ小鳥遊くんになぎの事、ちゃんと話してなかったね」

俺がそう言うと、皇帝は「送りながら聞くよ」と言って俺の手を取った。そしてぎゅっと握る。

「ね、彼氏くん」

「………その顔は、反則じゃない?」

子供のような笑みを浮かべた皇帝をジト目で見ながら歩く俺。イケメンは何しても素晴らしいが、いつでもどこでもその力を発揮されていてはこちらが持たない。

「そんなこと言われても、顔はもう変えられないし…」

マジレスしてくるので、ひとまずスルーして公園を出る。

 俺は家に向かいながら、皇帝に部屋で起きた事を隠さずに話した。勿論、なぎの障害についても。

「そうだったんだ…」

元々皇帝も、女装という少し特殊な趣味がある人だ。あまりその辺に関しての偏見は少ないのかもしれない。思っていたよりもずっと早くなぎを受け入れていた。

 「だけど、藤川を渡す気はないよ。期間で行ったら俺もなぎさ君と然程(さほど)変わらないくらい好きだったし」

「あれだな…よくフイッターで見る"私の方が先に好きだったから古参ね"的な……イダダダダ」

ギチギチと握られる手。潰れるかもしれない。

「真面目に話してるのに」

「ごめん……つい」

本職は二次元を愛するヲタクなのだ。このくらいのジョークは許してほしい。

 「ふっ」

手が痛いなぁと思っていると、皇帝の吹き出すような笑い声が隣から聞こえた。

「なに?」

「ううん、なんだか今日1日悩んでた事が馬鹿みたいだなって思って」

「ホントだよ。明日クラスの人に謝ってね。特に林くんなんてずっと心配してたんだよ」

そう言うと、皇帝は「悪いことしたなぁ……」とションボリしていた。何度もいうが、何やってもイケメンなのは少し腹が立つ。

 

 「あ、来たな我が愚弟(ぐてい)よ」

家まで来ると、目が真っ赤のなぎと共に姉ちゃんが門の前に居た。

「……」

姉ちゃんは勘もいいし、頭も良い。俺が皇帝と手を繋いでいるのを見て察したようだった。そしてそれは、隣に居たなぎも同じである。

 「なぎ……」

「待って」

俺が声を掛けようとすると、皇帝は手を引いて制止を掛ける。

「………俺は、ずっと藤川を好きでいる。誰にも渡さない。もちろん君にも」

なぎは睨んではいるものの、前のようなトゲトゲしさは少しだけ和らいている気がした。

「あたりめぇだろ、クソ野郎…」

そう言い残し、なぎは自分の家に入っていく。それを見送ると、姉ちゃんは「まだまだ子供だな」と呟くと、こちらへ近づいてきた。

「全くあんたって子は……。あの後大変だったんだからね。姉ちゃん得意の寝技まで使う羽目になったんだから」

(流石姉ちゃん。怖すぎ)

サラッと言ってのける内容が、中々物騒である。俺にピンッとデコピンすると、隣に居た皇帝の方を向いた。

 「あんた、もしかして雪哉?」

「はい」

「えっ!?」

(知ってんの?)

俺が目をパチクリとさせると、姉ちゃんはため息を吐いてきた。いやいや、なんで俺が呆れられてるんだ?

「半年位だったけど、蘭丸に凄い(なつ)いてる子供が居たんだよ。迎えに行く(たび)に寂しそうな顔でこっち見てたから、たまーに一緒遊んで、雪哉の母さんが来るまで待っててやってた。ほんとに覚えてないんだねぇ」

「覚えてない……」 

(考えもしなかったな、この組み合わせ)

小鳥遊くんが皇帝なら、姉ちゃんはある意味女帝という感じだ。どこがというと、なんかもう全てが。

 「まあ、なんでもいいさ。アンタに大事にしたいって人ができて私も安心してる」

姉ちゃんは俺の頭をガシガシと撫でると、皇帝をもう一度見た。

「うちの弟はヘタレで、ナヨナヨしてて細っこいし、運動もできない」

(散々だな)

我が姉ながら、もうちょっと言い方があるのでは無いかとツッコミを入れたくなる。

「だけど、一度決めた事は諦めないし、真面目だし一途だ。曲がりなりにも私と血を分けた姉弟。その辺りは保証する。……だから、弟をどうかよろしく頼む」

姉はそういうと、俺と同じようにガシガシと皇帝の頭を乱雑(らんざつ)に撫でる。おかげで彼のサラサラな黒髪はピョンピョンと跳ねてしまった。

 「そうだ、このまま飯でも食ってけよ、雪哉」

「えっ?」

「母さーーん」

「ちょ、ちょっと姉ちゃん!?」

戸惑(とまど)う俺達を他所(よそ)に家の中へ入っていく姉ちゃん。その数秒後に家の中から歓喜(かんき)の叫びが聞こえてきたのは言うまでもない。


 「こんなもんかー。ううう、目疲れた…」

「おいこら蘭丸、サボんな」

「姉ちゃん……」

あの高校二年の春から8年ほどが経過し、俺は新人小説家となっていた。そしてなんの嫌がらせなのか、担当編集者は実の姉、佐々木 蜜柑(ささき みかん)。数年前に同じ編集部の男性と結婚したが、以前と変わらず男勝りな様子だ。

 「〆切り近いんだから気合入れろ」

「はーい……」

言う事は厳しいものの、いつも家に来るときはプリンやらチョコレートやらの甘い物を差し入れで持ってきてくれる。こういうとこは昔から変わらない姉ちゃんだ。

 「ん?そういえばお前の旦那はどうした。今日は休みなんじゃなかったのか?」 

姉ちゃんはそう言いながら室内を見渡す。

「雪哉なら会社でトラブルあったみたい。それで呼び出し食らってるよ」 

「へぇ、人気デザイナーも大変だな」

 そうなのだ。彼は夢を叶えた上に、今では海外へも店舗(てんぽ)を出そうとしている程の、超人気デザイナーとなっている。おまけにあのスタイルと顔のおかげて、自分でモデルをする時もあるようだ。

 高校の頃は女性の服を手掛けたいと言っていたが、結局男物の服も作りたくなったらしく、最終的には男女が着られるユニセックスの服をデザインしている。何だかんだで反発しているなぎも、彼がデザインした服をちゃっかり着ていたので、見た目ほど雪哉を嫌っては居ないようである。

 「新婚だってのに。大変だね」

「まあね」

そしてもう一つ。俺と雪哉の夢が叶ったこの秋。(つい)に籍を入れることが出来たのだ。元々親の許可もとっていたし、いつでも籍は入れれたのだが、互いの仕事が忙しく、落ち着いてからにしようという話で纏っていたのだ。

 「姉としては、幸せそうで何より」

そういってポンポンと頭を撫でる姉ちゃん。俺はパソコンを打っていた手を止め、彼女を見上げる。

「……ほんとに、ありがとね姉ちゃん。あの時帰ってきてくれてなかったら、今ここに俺はいなかったかも知れない」

「何を改まって……。弟を助ける。それが姉の務めだろ」

ヘッと鼻で笑うと、「コーヒー貰うからな」と一言告げてキッチンへ勝手に入っていく姉ちゃん。心なしか頭上に音符が見えた。

 「ただいまー」

姉ちゃんがコーヒーを淹れ終わる頃、雪哉が帰宅した。俺は作業台を離れお迎えをする為に玄関へ向かう。

「お疲れ様雪哉」

「ただいま、蘭丸」

チュッと額にキスを落とし、微笑む雪哉。高校の時から更に背も伸び、顔も大人びている。変わらない事があるとすれば、(うるわ)しい(かんばせ)のイケメンと言う事くらいだ。

「熱いお迎えしてる所悪いが蘭丸、お前は〆切りが近いことを今一度(いまいちど)頭に叩き込め」

「あはは……あ、義姉さんこんにちは、仕事おつかれさまです」

「よお雪哉。トラブったんだってな。お前こそお疲れさん」 

姉ちゃんはズズズとコーヒーを(すす)りながら手を上げる。行儀悪いから座って飲んでほしいが、姉ちゃん(いわ)く飲みたい時に飲むのがコーヒーの美味い飲み方らしいので、何も言わないでおいた。

 姉ちゃんは原稿の最終確認すると言って先にリビングへ戻っていく。俺は彼女を見送ったあと口を開いた。

「なんだか不思議だよね。こうして一緒に暮らしてるの」

「そうかな」

雪哉は首を傾げる。チャリッという小さな金属音が彼の耳から聞こえた。それは俺が8年前に上げたイヤリングなのだが、余程丁寧に扱っているのか、意外と壊れない。今では毎日可能な限り付けっぱなしで過ごしているらしい。

 「雪哉」

「んー?」

「俺雪哉が好きだ」

「知ってる」

「うん」

「俺が蘭丸を好きなのも知ってるでしょ」

「うん、知ってるよ」

特に意味のない会話。だけどよくする会話。

「あははっ」

「ほら、早く行かないと義姉さんに怒られるよ」

ケラケラと笑う俺と、笑いを(こら)えながらリビングに行くように(うなが)す雪哉。そして姉の「早く来ないとはっ倒すよ」という物騒な言葉が飛んできたので、俺は雪哉と顔を見合わせ、慌ててパソコンに戻るのだった。

ここまで読んでいただきありがとうございました!


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