73:雨音に包まれて1
前回のざっくりあらすじ:ニースとセラを仲直りさせるべく、一座総出で動き出した。
空はどんよりとした雲に覆われたままで、しとしとと雨が降る。濡れそぼった灰色の町を、ニースとジーナが足早に歩き、一軒の雑貨屋へ入っていった。カランカランとドアベルの音を響かせて扉を開け、ニースは深く被った帽子と濡れた外套を脱ぎ、ジーナは傘を畳んだ。
「ようやく着いたわー。雨が続いて本当困るわねー」
「そうですね。早くやむといいんですけど……」
二人が入り口にある帽子掛けに外套を預けると、店主であろう初老の女性が声をかけた。
「今の時期、この町はいつもこんな感じですよ。どうぞ、ゆっくり見ていってくださいな」
人の良さそうな店主は、薪ストーブに掛けていたヤカンからお湯を注ぎ、ニースたちにお茶を入れた。
「あらー、助かりますー。体が冷えちゃうからー」
「ありがとうございます」
二人は礼を言い、お茶を飲む。ニースはカップに口をつけ、店内を見渡した。小さな店の中には所狭しと様々な商品が並び、鍋や瓶、缶、布の端切れやハーブなど、統一感のかけらもなく、ありとあらゆる物が置かれていた。ジーナはお茶を飲み干すと、早速店内の一角に向かった。
「あーこれこれ。これとー、これとー……これもいいわねー」
店主はジーナの選ぶ品を見て、カウンターの奥から木箱を取り出した。
「お客さん、ハンドクリームの材料をお探しなら、ここにもありますよ」
「あら、さすがねー。これだけでわかっちゃうのねー」
ジーナは上機嫌に笑って、木箱の中を探し始めた。ニースは、一人で店内の品をぐるりと見て回った。
――これは……小石?
ニースは、小さな籠にいくつも無造作に入れられた小石を見つけた。小石は、表面が白っぽくゴツゴツしているが、青や緑、紫など、淡く様々な色合いで美しかった。
「すみません、これってなんですか?」
ニースの声に、店主は優しい笑みを浮かべた。
「それは、蛍石の原石ですよ」
「原石?」
ニースは原石を一つ手に取り、しげしげと見つめた。店主はニースに近寄り、袖をまくった。店主の腕には、淡い緑色の丸石を繋げた、綺麗な腕輪がはめられていた。
「この腕輪の石が、蛍石です。この原石を磨くと、こうなるんですよ」
店主は腕輪を外すと、ニースの手に乗せた。ニースは興味深げに、原石と腕輪を見比べた。
「この白っぽいのが、こうなるんですか?」
「ええ、そうです。蛍石は柔らかい石ですから、お客さんでも磨けますよ。磨くためのヤスリは、こちらに売ってます」
店主が指し示す方を見ると、小さな金属の板がいくつも置かれていた。ジーナが笑みを浮かべて、ニースに声をかけた。
「ニースくーん。ヤスリなら、マルコムがたくさん持ってるから、買わなくて大丈夫よー。原石だけ買っていこうかー」
ジーナの言葉に、ニースは柔らかな笑みを浮かべた。
「はい、ジーナさん。……これ、見せて頂いてありがとうございました。原石だけ頂けますか」
「わかりました。それでしたら、ここから……」
店主はニースから腕輪を受け取ると、棚の下から木箱を引き出した。中には大小様々な原石が、大量に入っていた。
「蛍石は色んな色がありますから、お好きなものを選んでくださいね。それから、磨く際は水をかけて磨いてください。失敗した時のために、いくつか買っていかれることをお勧めします。磨いているとたまに割れてしまう時もあるんですよ」
「わかりました。ありがとうございます」
ニースは真剣に蛍石を選び始めた。
――セラは、バードの目の色が好きなんだよね。青か緑がいいけど……。おばあさんの腕輪の緑だと、バードの目とはちょっと色が違うかな……。
様々な原石の中から、ニースは小さめの、綺麗な青色のものを数個選んだ。その後、ジーナが購入したたくさんの品を抱えて、二人は宿へ帰って行った。
買い物を終えたニースが部屋へ戻ると、ラチェットが困った顔をしていた。
「おかえり、ニース。ちょっと座ってもらえるかな」
ニースは原石の入った袋をテーブルに乗せ、椅子に座った。
「ラチェットさん、どうしたんですか?」
「実は、ちょっとお願いしたいことがあってね……。この前作った曲を、セラちゃんに教えてあげてほしいんだ」
「ぼくが……ですか?」
ラチェットは頷くと、理由を話し出した。
「座長がセラちゃんに教えてくれてたんだけど……その練習のバイオリンを聴いた宿屋のご主人が、町の人たちと一緒に演奏の依頼をしにきたんだ。それで座長が一人で、町中の店を回って演奏することになってね。座長の代わりに、セラちゃんのことをニースにお願いしたいんだ」
一座は、雨のためアウクリシウムに長く滞在する事になったが、その間に公演を行おうとはしなかった。ニースとセラを仲直りさせるのに全力を尽くすため、この町では公演を行わないと決めたのだ。しかしその理由をニースに話すわけにはいかない。グスタフたちは、皇国を騒がせている歌い手失踪事件が今も解決しておらず、ニースとセラに危険が及ぶかもしれないから……と、ニースに理由を伝えていた。だが、アウクリシウムは毎年秋になると長雨が続く。毎日どんよりとした天気の中で過ごす人々は、娯楽に飢えていた。セラに曲を教える予定だったグスタフは、人柱として、町のそこかしこで演奏を行うこととなったのだ。
ニースは戸惑い、視線を彷徨わせた。
「そうですか……。でも、ラチェットさんは?」
「僕もメグと詞を作ってる最中だから、セラちゃんに教えられないんだ。マルコムさんは音取りぐらいは出来るけど……ニースは作曲の手伝いをしてくれていたから、全部歌えるだろう?」
「はい。セラのパートも伴奏も、全部覚えてます」
「そうだよね。だから、ニースの方が適任なんだ。ニースには辛いことだと思うけど……。どちらにせよ歌詞が出来上がれば、音を合わせるために、二人で練習してもらわなきゃならないし、これも仕事だと思って引き受けてもらえないかな?」
ラチェットの言葉に、ニースは目を伏せ、考えた。
――ぼくがやらないと、曲の完成が遅くなって迷惑をかけちゃう。セラと会うのは辛いけど、これは仕事……仕事なんだ。
ニースは、ふぅと小さく息を吐き、頷きを返した。
「わかりました。やってみます」
ラチェットは、ニースに無理をさせる事に心が痛んだが、顔には出さず、優しい笑みを浮かべた。
「ありがとう。出来るだけ早く歌詞を完成させて、僕も練習に付き合えるようにするから」
「はい。それじゃあ……ぼく、セラの所に行って来ますね」
ニースは不安を押し込めるように、きゅっと口を引き締めて立ち上がり、部屋を出て行った。ラチェットは、ニースを見送ると苦笑いを浮かべた。
「こんなに強引に進めなくてもいいと、僕は思うんだけどなぁ……。メグの思った通りになればいいけど」
ラチェットは懐から一枚の紙を取り出した。そこには出来上がった歌詞が書かれていた。ラチェットは紙を丁寧に広げると、自分の楽譜と共に挟んだ。
「これでよし。あとは、様子を見て手伝わないと。あまり無理をさせて、ニースの心が潰れたら大変だ」
ラチェットは呟きながら、窓の外に目を向けた。雨は未だ、静かに降り続いていた。
ニースは、セラの部屋の前にいた。大きく深呼吸をすると、きゅっと拳を握り、コンコンと扉を叩いた。
「セラ、いる? ニースだよ」
「え⁉︎」
セラが慌てて立ち上がったのだろう。何かがドサリと落ちる音が、扉の向こう側から聞こえた。
「あ、どうしよう……! ちょ、ちょっと待って!」
ニースはセラの声を聞いて、申し訳なく感じた。
――ぼくが訪ねただけで、こんなに驚くなんて。本当にぼく、セラに酷いことしてるんだな……。
ニースがしばらく待つと、雨音が静かに響く中で、セラが扉を開けた。
「ごめんね、ニース。お待たせしちゃって。メグさんはいないんだけど……」
「ぼくはセラに用事があって来たんだ。メグがいなくてもいいよ。入っていい?」
「……うん」
ふわりと微笑んだニースに、セラは恥ずかしそうに俯き、頬を染めて、ニースを招き入れた。ニースが部屋に入ると、ほんのり甘い花の香りが部屋に漂っていた。不思議そうに部屋を見渡すニースに、セラが微笑んだ。
「いい香りでしょ? お茶の香りなの。ハーブティって言うんだって。ジーナさんが、持ってきてくれたの」
セラがニースに椅子を勧め、ハーブティをカップに注ぐ。ポットからは、セラの髪の色によく似た、綺麗な赤い色が流れ出てきた。
「このお茶ね、色んな茶葉を混ぜてあるらしいんだけど、少し酸っぱいの。だから、もし酸っぱかったら、蜂蜜を少し入れてね」
セラは自分のカップに蜂蜜を垂らすと、ニースの前に瓶を置いた。
「ありがとう……」
ニースは恐る恐るカップに口をつけた。甘い香りにも関わらず、口中に酸味が走った。
「うわ、本当に酸っぱい!」
慌てて蜂蜜を入れるニースに、セラは、ふふふと小さく笑った。ニースは恥ずかしそうに蜂蜜を混ぜると、ハーブティを一口飲んだ。甘酸っぱい風味が、ほんのり口の中に広がった。
――なんでだろう。セラが笑っても、前ほど辛くないかも……。
ニースはハーブティの綺麗な赤を見つめていたが、顔を上げた。
「セラ、あのね。ぼく、ラチェットさんに頼まれたんだ」
セラは、顔を見て話しかけられた事が嬉しかったが、緩みそうな頬を必死に引き締めた。
「何か、お仕事の話?」
セラの言葉にニースは頷いた。
「この前、ラチェットさんが新しい曲を書いたのは知ってるよね」
「うん。知ってるよ。私のパートを覚えるのを、グスタフさんに手伝ってもらってるところなの」
ニースは緊張を堪えるように、カップを握る手に、きゅっと力を込めた。
「それなんだけどね。グスタフさんが町で演奏をしないといけないから、代わりにぼくが、セラに曲を教えてって頼まれたんだ」
セラは驚き、目を泳がせた。
「ニースが? で、でも、ニース……いいの?」
ニースは切なげに微笑むと、小さく頷いた。
「……うん。仕事だから……」
ニースは気まずそうに視線を逸らし、ハーブティを飲んだ。甘くなったはずのハーブティが、なぜか酸っぱく感じられた。
「そう、だよね……」
セラは、しょんぼりと肩を落としたが、ふるふると頭を振った。
「わかった。お仕事だもんね。よろしくお願いします。ニース先輩」
セラは、ハーブティをぐいと飲んだ。セラの顔は、酸味を我慢するように歪んでいた。
二人はお茶を飲み干すと、早速練習を始めた。セラはグスタフとの練習で、自分のパートの半分以上をすでに覚えていた。二人は昼食を挟みながら、熱心に練習を繰り返し、セラは自分が歌う旋律をすっかり暗譜した。
「先輩、どうでしたか?」
最後の確認のため、セラが一人で歌い終えると、ニースは微笑んだ。
「うん。ちゃんと歌えてたよ」
セラは嬉しそうに頬を染めた。
「ありがとうございます」
ニースは椅子から立ち上がると、セラと向かい合わせに立った。
「それじゃあ、合わせてみようか」
セラは不思議そうに首を傾げた。
「合わせる?」
ニースはしっかり頷いた。
「この曲は、二人それぞれのメロディを合わせて、初めて完成するって、ラチェットさんが言ってたんだ。だから、合わせてみよう?」
「……分かりました」
セラは戸惑いながらも頷き、ニースと共に、それぞれのパートを歌い出す。しかし歌声を合わせる中で、セラの音は外れていった。
「ごめんなさい……。先輩の音に引っ張られちゃうみたい……」
「仕方ないよ。練習して慣れていこう?」
落ち込むセラにニースが声をかけていると、扉を開く音がした。二人が振り返ると、メグが微笑んで立っていた。
「二人とも、熱心に練習しているところ悪いけど、もう夕食の時間よ。食堂に降りてきて」
窓の外は雨のせいで、時間が過ぎる感覚は分かりにくい。二人は練習に熱中し過ぎて、お腹が空いているのをすっかり忘れていた。ニースとセラが顔を見合わせると、セラのお腹が、ぐうと鳴った。セラが恥ずかしそうに俯き、ニースは気まずそうに笑った。
「練習はここまでにしよう。また明日ね、セラ」
「はい。ニース先輩」
ニースとセラは二人並んで部屋を出たが、二人の間には微妙な距離感があった。メグは二人の後ろを歩きながら、ため息と共に小さく呟いた。
「ニース先輩ね……」
メグは二人が前のように仲良くなるには、まだまだ時間がかかりそうだと感じた。




