表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
地に響く天の歌 〜この星に歌う喜びを〜  作者: 春日千夜
第2部 旅の一座 【第6章 二人のハーモニー】
93/647

72:鈍色の雨3

前回のざっくりあらすじ:ニースの悩みを、グスタフたちも知った。

 ニースが食堂から部屋へ戻ろうとしていた頃。ラチェットは出来上がったばかりの楽譜を手に、グスタフの部屋を訪れた。昼寝をしていたグスタフは、寝ぼけ眼をこすりながらラチェットを迎え入れた。小さなテーブルに向かい合わせに座ると、あくびをしながらグスタフは尋ねた。


「ふあ……それでラチェット。何の用だ」

「お待たせしました。ようやく完成しました」

「完成……? 何の話だ?」


 グスタフは首を傾げたが、はっとして声を上げた。


「例のあれか! 考えがあるって言ってた!」


 ラチェットは笑みを浮かべて、楽譜を手渡した。


「これです、座長」


 眠気が吹き飛んだグスタフは、真剣な眼差しで楽譜に目を通し、何度も頷いた。


「これはいいな。歌で重奏をさせるつもりなんだな?」

「ええ。僕はこれを()()と呼ぼうと思っています」


 グスタフは愉快げに、がははと笑った。


「重唱か! これは二人で息を合わせないと出来ないな。これなら、ニースもセラと向き合わないと無理だ」

「この曲に歌詞をつけて、二人に歌ってもらおうと思います。舞台のために、少し我慢して歌い続けていれば、そのうちきっと、ニースのわだかまりも和らぐと思うんです」


 微笑んだラチェットに、グスタフは笑みを返した。


「ああ。いいと思う。歌詞はこれから作るのか?」

「はい。メグに手伝ってもらおうと思います」

「それなら、セラが楽譜を覚える時は、私が手伝おう。その方が、歌の完成も早い」

「そうして頂けると助かります。早速、セラちゃんに伝えてきますね」

「ああ、頼む」


 ラチェットが足早にグスタフの部屋を去ると、グスタフは、バイオリンを手に取り、調弦を始めた。


 一方。お湯をもらったニースが部屋に戻ると、ラチェットはいなかった。ニースは一人でお茶を飲もうと、茶器がしまってある棚の扉を開けた。


「あ……」


 棚の中には、茶器と一緒に小さなアルミ缶が入っていた。それは、セラが忘れていったクリームの缶だった。ニースは、後でセラに返せるようにと棚にしまい、そのまますっかり忘れていたのだ。ニースは缶を手に取り、しげしげと見つめた。


 ――そういえばセラは、メグみたいにすべすべの手になりたいって言ってたよね……。


 缶の蓋を開けて見てみると、クリームは残り少なかった。


 ――あとこれしかないんだ……。


 ニースが蓋を閉めようとすると、パラパラと雨音が強まった。ニースは、雨が叩きつける窓の外に目を向けた。町は暗く、雨が止む気配は感じられなかった。


 ――雨、また強くなってる。来週がセラの誕生日だけど……。ジーナさんが言ってたように、セラのお祝いが終わるまで、町にいることになるのかな……。


 ぼんやり窓を眺めていたニースの手から、缶の蓋が滑り落ちた。ころころと蓋は転がったが、ニースの足元にコツンと当たって止まった。蓋の行方を追っていたニースの視界に、履いている靴が映った。


 ――ぼくの誕生日にもらった靴……。メグとセラが選んでくれたんだ。あの時のセラは笑ってたのに……。


 ニースは蓋を拾い上げ、缶を閉じた。鈍色に光る缶をじっと見つめたニースは、決意を込めるように、ぎゅっと缶を握りしめ、部屋を出た。


 ――相談するのは、マルコムさんがいいよね。ジーナさんはメグと一緒にいるし、ラチェットさんは忙しい。グスタフさんは……きっと分からないと思うし。


 ニースは、真っ直ぐマルコムの部屋へ向かった。しかし、部屋の扉を叩こうとして躊躇した。


 ――勢いで来ちゃったけど……。ぼくは、セラの顔を見れないのに、プレゼントだけ贈るつもりなの?


 ニースが缶を見つめて迷っていると、マルコムが後ろから声をかけた。


「ニースじゃないか。どうした?」


 ニースは気まずそうに視線を漂わせた。


「えっと……」

「何か用事があって来たんだろう? 中に入ろうか」


 ニースは迷ったまま部屋に入り、勧められた椅子に座った。窓を叩きつけていた雨は、ほんの少し勢いを緩めていた。マルコムは椅子に座り、問いかけた。


「ニース。さっきから何を握ってるんだ?」


 ニースはマルコムの言葉に、どきりとしたが、意を決して缶をテーブルに置いた。


「マルコムさん。この中身って何なのかわかりますか?」


 マルコムは缶を手に取り、蓋を開けた。


「ああ。これは手につけるクリームだな。だが、ただのクリームってわけじゃなさそうだ。たぶん、何かハーブオイルが入ってるんじゃないか?」

「ハーブオイル……?」

「効果を高めるんだよ。炎症を抑えたり、保湿力を高めたりとかだな。この香りだとたぶん……」


 クリームの説明を聞いても、ニースには、さっぱり分からなかったが、マルコムに相談して良かったと感じた。


「これって、似たようなものをこの町でも買えますか?」

「この町は小さいからな。まあでも、薬屋にいけばあるとは思う。しかし、ニース。こんなもん使ってたのか?」


 不思議そうに問いかけたマルコムに、ニースは、ぷるぷると首を横に振った。


「これ、ぼくのじゃないんです。えっと……この前、セラが忘れていって……」


 言い辛そうに声を落としたニースに、マルコムはニヤリと笑みを浮かべた。


「ほおー。セラちゃんとお揃いのを、ニースがつけたいってことか」


 ニースは慌てて頭を振った。


「ち、違います! これは、その……。セラの誕生日に、何かプレゼントしてあげたくて……」


 マルコムは、ニヨニヨと笑みを浮かべた。


「なるほどなぁ。プレゼントか。そうか、そうか」


 マルコムの笑みを見て、ニースは誤解が解けていないと感じ、必死に言葉を継いだ。


「あの、マルコムさん。ぼくは、誕生日の時にセラに靴を選んでもらったから、そのお礼がしたいだけです。それに、セラは綺麗な手になりたいって言ってたけど、このクリームは残り少ないから、缶を返す時に、たくさん使えるように新しいものを一緒に渡したいってだけです。ぼくが使いたいわけじゃないんです」

「わかってる、わかってるよ」


 頷くマルコムの顔は、ニヨニヨと笑ったままだった。不機嫌さを強調するように、ぷぅとニースは頬を膨らませ、缶を手に立ち上がった。


「本当に違うんです。からかわないでください」


 ニースはムッとしたまま、部屋を去ろうとした。するとマルコムが、真面目な声音で語りかけた。


「ニース。それなら、クリームをただ渡すんじゃなく、もっと喜んでもらえる方法があるぞ」


 マルコムの声に振り向いたニースは、ゆっくり頬から空気を抜いた。マルコムは、茶化すような笑みではなく、優しい目をニースに向けていた。


「女の子っていうのは、ちょっとした()()が好きなんだよ。ただの銀色の缶じゃ、せっかくクリームを渡しても、感動が薄いと思わないか?」


 ニースは訝しみつつも問いかけた。


「感動……ですか?」


 マルコムは、しっかりと頷いた。


「ああ。クリームについては、ジーナの方が詳しいから、後で聞くといい。だがもし俺がニースなら、そこにさらに感動(マジック)をいくつか付け加えるね」


 ニースは、じっとマルコムの目を見つめた。マルコムの綺麗な青い目は、ニースをからかおうとするものではなかった。


 ――マルコムさんは、女の人と仲良くなるのが得意だから、きっと喜ばれるんだろうな。せっかくのお誕生日だし、セラには笑ってほしいけど、ぼくはセラを傷つけてるし……。


 ニースは考えた末、ぺこりと頭を下げた。


「教えてください。マルコムさん」

「ああ、もちろんだ」


 マルコムは、柔らかな笑みを浮かべて引き受けた。ニースが座りなおすと、二人は相談を始めた。雨音に混じって、調弦を始めたグスタフのバイオリンの音色が響いた。


 マルコムの部屋の真下が、ちょうどメグとセラの部屋だ。バイオリンの歪んだ音色の中、ラチェットはメグたちの部屋の扉を叩いた。


「ラチェットさん……こんにちは」


 扉を開けたセラは微笑んで挨拶をしたが、どこか元気がなく、寝不足のように疲れた顔をしていた。


 ――セラちゃん、相当悩んでるな。どうにかしないと。


 ラチェットは胸の内を隠したまま、平静を装いセラに笑みを向けた。


「セラちゃん、こんにちは。メグはいないの?」

「はい。メグさんは今、食堂でジーナさんとお茶を飲んでいるはずです」

「そうか。それじゃあ、ここで用件だけ伝えていいかな」


 セラは首を傾げ、ラチェットを部屋の中に誘った。


「あの、お話があるなら、椅子にどうぞ。テーブルも片付いてますし」


 しかしラチェットは、入り口から動かずに首を横に振った。


「いや。女の子一人の部屋に入るわけにはいかないからね」

「え?」


 セラは一瞬不思議そうな顔をしたが、何かを察したように、ふわりと微笑んだ。


「そっか……。ラチェットさん、優しいですね」

「そうかい?」


 ラチェットは、はははと笑うと、気持ちを切り替えるように、メガネをくいと上げた。


「それで、セラちゃんに話したいことなんだけど……」

「はい。なんでしょう?」


 ラチェットは懐から楽譜を取り出して、セラに見せた。


「この楽譜なんだけど、僕が新しく書いた曲なんだ。歌詞はこれから付けるんだけど、この曲をニースと一緒に歌ってほしいんだよ」

「ニースと一緒に……ですか?」


 顔を曇らせながら楽譜を受け取ったセラに、ラチェットは穏やかに言葉を継いだ。


「ああ。これは、旋律が二つに分かれていてね。重奏みたいになってる。重唱って呼ぼうかなって、僕は思ってるんだけどね」

「重唱……」


 ラチェットの話を聞いて、セラは楽譜に目を落とした。セラはニースと共に、ラチェットから楽譜の読み方を教わっていた。ラチェットは、真剣に楽譜を見つめるセラに微笑んだ。


「旋律が二つに分かれてるから、二人で歌わないと曲にならないんだ。セラちゃんには、この旋律で歌ってもらって、ニースにはこっちで歌ってもらおうと思ってる」


 ラチェットは、曲の主旋律をセラに、副旋律をニースに割り振っていることを伝えた。セラは、戸惑いながら顔を上げた。


「でも、私は今は……」


 ラチェットは、小さく頷きを返した。


「わかってるよ。セラちゃんも気づいてるんだよね? ニースの様子がおかしいこと」


 セラは、きゅっと唇を結び、こくりと頷いた。ラチェットは、優しくセラに微笑んだ。


「実は僕はね、ニースから、その理由を聞いてるんだ」

「理由……。どうしてなんですか?」


 縋るように問いかけたセラに、ラチェットは宥めるように答えた。


「それは教えてあげられないんだ。でもその代わりに、僕はこの()()を考えたんだよ」

「作戦……?」


 首を傾げたセラに、ラチェットはにっこりと笑みを浮かべ、言葉を継いだ。


「そう。セラちゃんとニースの仲直りの作戦だよ」

「仲直り……」


 セラは、ラチェットの言葉を噛みしめるように呟くと、ほんのり笑った。


「これを歌えるようになったら、ニースと前みたいに仲良くなれますか?」


 セラの言葉に、ラチェットはしっかりと頷いた。


「ああ。僕はそう思ってる。そのために、この曲を書いたんだ。歌詞はこれからメグと作るから、まずはセラちゃんの担当する旋律だけ、覚えておいてくれる?」

「はい。やってみます」


 セラが明るい声で頷いたので、ラチェットは胸を撫で下ろした。調弦を終えたグスタフのバイオリンの音色が、ラチェットの耳に届いた。


「座長の準備も良さそうだね。僕はこれから歌詞を考えなくちゃならないから、覚える時は座長に手伝ってもらってね。座長には伝えてあるから」

「わかりました」


 ラチェットが去ると、セラは早速グスタフの元へ向かった。優しいバイオリンの音色と共に歩くセラの足取りは、ほんの少しだけ軽くなっていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ