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地に響く天の歌 〜この星に歌う喜びを〜  作者: 春日千夜
第2部 旅の一座 【第6章 二人のハーモニー】
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71:鈍色の雨2

前回のざっくりあらすじ:セラがニースに想いをぶつけた。

 アウクリシウムは小さな町で、一座が泊まる宿の規模も小さい。宿についてすぐに風呂へやってきた、グスタフたち三人が入る浴槽も、大人が七、八人ほど入れば精一杯という小さなものだった。しかし幸いなことに、他に客の姿はない。三人は久しぶりの風呂に、のんびりと至福の時を味わっていた。


「座長の筋肉、相変わらず、すごいですね」

「そういうラチェットも、細い割にはちゃんと鍛えてるじゃないか」

「グスタフ。ラチェットのは鍛えたんじゃない。お嬢の荷物持ちで、仕方なくついただけだ」


 ラチェットは、メガネの曇りを拭いながら、ほっと息を漏らした。


「まだ皇国の中で良かったですよ。こうしてのんびりお風呂に入れましたし」


 マルコムが湯の中で手足を揉みほぐしながら、笑った。


「なに言ってるんだ、ラチェット。次に向かうカランド聖皇国(せいこうこく)にも、風呂はあるぞ。俺はあの国の風呂の方が好きだな」


 メガネをかけ直したラチェットは、興味深げに問いかけた。


「そうなんですか?」


 グスタフが、首を回しながら言葉を挟んだ。


「確かに聖皇国にも風呂はあるが、あれは蒸し風呂だ。皇国の風呂とはまた違うよ」

「へえ。蒸し風呂ですか。帝国にあるのは知ってましたけど、聖皇国にもあるんですね」


 ラチェットの言葉に、マルコムが頷いた。


「ああ。聖皇国のは医療の一環って考え方だからな。また帝国のとは別だよ」

「マルコムさん、詳しいですね」


 ラチェットは、和気藹々と話す中で、マルコムが元気を取り戻していることに胸を撫で下ろした。グスタフが腕を伸ばしながら、マルコムに問いかけた。


「医療って言えば、聖皇国の風呂は肌にいいのか?」


 グスタフの言葉に、ラチェットは首を傾げた。


「座長、肌を気にしてるんですか?」


 グスタフは、がははと笑った。


「いや、違うよ。セラが気にしてたみたいだからな」


 ラチェットは少し考え、合点がいったと頷いた。


「ああ。この前セラちゃんがアケビを食べ過ぎて、座長たちが怒られてたのって、それでだったんですね」


 マルコムが、苦笑いを浮かべて答えた。


「そうなんだよ。あの日、セラちゃんが真っ暗な中で泣いてたんだ。慰めようとアケビを渡したら、ものすごい勢いで食べ出してな」


 マルコムは、はぁとため息を吐き、心配そうに顔を曇らせた。


「セラちゃんは、あの後ずっと元気ないよな。何に悩んでるんだか」


 マルコムの言葉に、ラチェットが困ったように顔を歪めた。その様子に、グスタフが表情を引き締め、ラチェットを睨んだ。


「ラチェット。お前なにか知ってるのか?」


 ラチェットは戸惑いを誤魔化すように、メガネの曇りを拭った。マルコムが不敵な笑みを浮かべて立ち上がり、冷水を浴びた。


「グスタフ、ラチェット。二人も水を浴びとけ。話が長くなりそうだからな」


 びくりと身を震わせたラチェットの肩を、グスタフが、ニヤリと笑みを浮かべて掴んだ。


「誤魔化せると思うなよ、ラチェット。座長と副座長に隠し事なんざ、十年早い」


 ラチェットは、引きつった顔でグスタフに目を向けた。


「ええと……ですが僕は、誰にも話さないと約束を……」

「ラチェットくん。君は、メグの父親であるこの私に、逆らうつもりかい?」


 グスタフの有無を言わさぬ声音に、ラチェットは、がっくりと項垂れ、水を浴びた。

 一座の下っ端であるラチェットが、ニースとの約束を守りきれるはずもない。ラチェットは何度も水を浴びながら、グスタフとマルコムに、洗いざらい全てを話した。


「ルイサの身代わりになんて……よくも言いやがって」

「パクスの言葉にすら、ショックを受けてたのか……」


 話を聞いたグスタフとマルコムは、苦虫を噛み潰したような顔をしていた。


「くそっ……。落ち込んでる場合じゃなかった。ニースがそんな辛い思いをしていたなんてな……」


 悔しそうにマルコムが拳を叩き、バシャリと跳ねた湯がグスタフにかかった。


「はぁ。あの子達を守ってやろうと思ってたんだがなぁ」


 グスタフの目には、かかった湯ではなく、悔し涙が滲んでいた。ラチェットは立ち上がり、二人を慰めるように声をかけた。


「過ぎたことは仕方ないですよ。風呂上がりのミルクでも、もらいに行きましょう」


 グスタフとマルコムは、後悔のため息を吐きながら、ラチェットと共に風呂を出た。

 三人は、宿の食堂の片隅に席を取った。雨が降りしきる空は暗いが、晴れていればまだ夕暮れ前の時間だ。食事時ではない食堂には、グスタフたちしかいなかった。


「ぷはぁー。やっぱり風呂上がりのビールは最高だなぁ!」

「おい、グスタフ。あまり飲み過ぎるなよ。夕飯前に一人で飲んでたってジーナに知られたら、殺されるぞ」

「心配するな、マルコム。ビールの一杯ぐらい、数には入らないよ」

「座長、邪道ですよ。ミルクじゃなくビールを頼むなんて」


 マルコムとラチェットが牛乳のグラスを傾ける中、グスタフは一人、ジョッキで麦酒を飲んでいた。グスタフは、笑みを潜めてラチェットに語りかけた。


「ラチェット。何を飲むかは問題じゃない。問題はニースとセラのことだ」

「グスタフの言う通りだな。セラちゃんは、ニースが避けてることに気づいていたわけだ。今のところ、理由はわかってないみたいだけどな」


 ラチェットは牛乳を、ぐいと一息に飲み干すと、真剣な表情を浮かべた。


「それなんですけどね。僕は何か出来ないかずっと考えてたんですが、思いついたことがあるんですよ」

「何か……って、ニースの心の傷を癒す方法か?」


 マルコムの言葉に、ラチェットは首を横に振った。


「いえ、そうじゃありません。ニースが抱える痛みは、たぶん僕たちではどうにも出来ませんよ。“調子外れ”の辛さは、僕たちには本当の意味では分からないものですから」


 グスタフはジョッキを傾け、頷いた。


「ああ、そうだな。そこはニース本人が乗り越えなきゃならない。それに“調子外れ”を治すために、ニースは音楽院に行くんだからな。私たちに出来ることは、ニースを無事に送り届けることだけだ」


 マルコムは牛乳を飲み干すと、ラチェットに問いかけた。


「じゃあ、何を思いついたんだ?」


 ラチェットは、メガネをくいと上げた。


「歌ですよ」

「はぁ?」「歌?」


 間の抜けた声を出した二人に、ラチェットは真剣な眼差しを向けた。


「ニースはセラちゃんの顔を見るのが辛いようですが、セラちゃんのことを嫌いになったわけじゃありません」


 グスタフはジョッキを置いて、頷いた。


「それはそうだろうな。嫌いになれたら、むしろ楽だろう」

「ええ。だからこれは、二人の関係性……ニースから見た、セラちゃんへの感じ方の問題です。ニースにとってセラちゃんが、歌い手以上の存在になればいいと、僕は思うんです」


 ラチェットの言葉に、マルコムがニヤニヤと笑みを浮かべた。


「それってつまり、あれか? 恋の虜になれば、関係ないってやつか?」


 ラチェットは、じっとりと軽蔑の眼差しをマルコムに送った。


「マルコムさん、そういうことばかり言うから……。いや、やめておきましょう」

「なんだよ、最後まで言えよ! 気になるだろう!」

「まあまあ……」


 ガタリと椅子から立ち上がったマルコムを、グスタフがなだめた。ラチェットは咳払いをして、話を続けた。


「僕が言ってるのはですね、歌い手としてのセラちゃんじゃなく。ニースと同じく、歌の力を持たないただの()()としてのセラちゃんに、ニースの感じ方が変わればいいってことです」


 マルコムは椅子に座りなおし、首を傾げた。


「すまん、ラチェット。俺には意味がわからない」

「つまり、二人で一緒に歌を作り上げる仲間だと感じられれば、少なくとも舞台を通じて、無理なく顔を合わせられると思うんですよ」


 どうにか理解しようと頭を悩ませるマルコムの隣で、グスタフは頷いた。


「言いたいことはわかった。しかしラチェット。それは今までやってきたことと同じなんじゃないのか?」


 ラチェットは、ニヤリと笑みを浮かべた。


「違いますよ、座長。二人で一緒に歌を作り上げるんです。僕が曲を書いてみるので、出来上がりを待ってもらえますか」


 グスタフは、マルコムと顔を見合わせた。


「マルコム、意味わかるか?」

「いや、さっぱり。だが、ラチェットに何か考えがあるのはわかったし、とりあえず任せればいいんじゃないか?」

「……それもそうか」


 グスタフは頷くと、ラチェットに目を向けた。


「よし、わかった。ラチェットにこの件は任せる。私たちに何か手伝えることがあったら、いつでも言ってくれ」

「ありがとうございます」


 話を終えたラチェットとマルコムは、グスタフを食堂に残して先に部屋へ戻った。

 一人残ったグスタフは、窓の外を眺めながら麦酒を飲む。アウクリシウムの町は、どんよりとした雲に覆われ、降りしきる雨に濡れそぼっていた。


 ――まるでニースたちが泣いてるみたいだな……。


 感傷に浸るグスタフの背後に、影が揺らめいた。


「グスタフー。昼間から飲むお酒は、私に気づかないぐらい美味しいのかなー?」


 グスタフが凍りついた顔で、ゆっくり振り返ると、()()()()()を浮かべたジーナが立っていた。グスタフは、恐怖で固まった口を必死に動かし、震える声を絞り出した。


「あ……あのな、ジーナ……。これには、深い訳が……」


 許しを懇願するようなグスタフの目に、ジーナはギラリと眼光を鋭くさせた。


「ふーん? どーんな言い訳をしちゃうのかなー?」


 グスタフは一座の座長であるが、ジーナには敵わない。こうしてニースの悩みは、ジーナにも伝わることとなった。


 アウクリシウムの町に、グスタフたちは長居をするつもりはなかった。しかし、雨はなかなか止む気配がない。雨が止むのを待ちながら、一座は宿で数日を過ごした。たっぷりある時間を使い、ラチェットはニースの協力を得て、新しい曲を書き上げていった。


「ニース、またお願い出来るかい?」

「いいですよ」


 ラチェットはオカリナを取り出すと、ニースの歌と一緒に演奏を始めた。しかしその旋律は、二つに分かれて重なり合った。ラチェットが新しく作ろうとしていたのは、二人で歌うための重唱曲だった。

 ラチェットは演奏を終えると、満足した様子で頷いた。


「うん。いい感じかな。ニース、ありがとう」


 ニースは嬉しそうに微笑んだ。


「いえ。お役に立てて良かったです」

「ピアノがあれば一人で出来たんだけどね。助かったよ」


 ラチェットは楽譜をまとめると、早速書き写していく。ニースも手伝ったが、慣れない作業にすぐ疲れてしまった。ニースはお茶を入れようと、ジーナが編んだポットカバーを外した。しかしポットの中身は、既に空だった。


「ラチェットさん。ぼく、下でお湯をもらってきます」

「ああ。ありがとう。僕はこれを写し終えたら、座長に見せに行くかもしれない」

「わかりました。すぐ戻りますね」


 ニースは空のポットを手に部屋を出ると、食堂へ向かった。食堂では、メグとジーナがお茶を飲みながら話していた。セラの姿が見えないことが、ニースは気になったが、内心ほっとしていた。ニースは、宿についた日にセラと会って以来、セラと顔を合わせても挨拶しか言葉を交わしていなかった。ニースは、未だ複雑な気持ちから抜け出せずにいた。

 メグとジーナは、話すのに夢中でニースに気づいてないように、ニースには見えた。


「雨がなかなか止まないわねー。グスタフは、雨が止むまで町から出ないって行ってたけどー」


 ジーナの大きな声が食堂に響いたので、ニースはジーナたちに目を向けた。


「セラちゃんのお誕生日、いよいよ来週なのよねー。雨も続いてるし、このまま町でお祝いをした方がいいと思うわー。今度はどうやってお祝いしようかしらー」

「私も何かプレゼントを用意しないと。セラは最近、落ち込んでるみたいだから、お誕生日ぐらい笑顔で過ごさせてあげたいわよね」


 メグとジーナが相談する声に、ニースは、はっとした。


 ――来週、セラの誕生日なんだ……。


 ニースはポットにお湯を入れてもらうと、モヤモヤした気持ちを抱えたまま部屋に戻る。ジーナとメグが、思案にふけるニースの後ろ姿を見て、ニヤリと笑みを浮かべた。

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