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地に響く天の歌 〜この星に歌う喜びを〜  作者: 春日千夜
第2部 旅の一座 【第6章 二人のハーモニー】
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70:鈍色の雨1

前回のざっくりあらすじ:セラが、ニースの変化に気づいた。

 鱗雲が流れる秋空の下、二台の馬車が街道を走る。一行は、その後もほとんど町や村に留まる事なく、街道を南へと駆けていた。秋は天気が変わりやすく、雨に降られると厄介だからだ。雲から逃げるように走るグスタフの馬車の中で、メグがイライラした様子で、ため息を吐いた。


「嫌になっちゃうわ。いつまでニースは向こうにいるのかしら」


 ニースは未だセラと距離を置いたままで、オルガン馬車の中にいた。メグは、ニースとセラの事をラチェットに任せると言ったものの、数日経っても進展がない事に苛立っていた。編み物をしていたジーナは、手を動かしながら苦笑いを浮かべた。


「仕方ないでしょー。皇国を出るまでは、マルコムに手綱を握らせるわけにはいかないんだからー」


 だいぶ元気を取り戻したマルコムだったが、心配するジーナに反対され、オルガン馬車の手綱を握る事は許されなかった。ジーナはマルコムの事が気がかりで、ニースとセラの事まで気が回っていなかった。

 セラは、ニースに避けられている理由がわからないままだったが、誰にも相談をしなかった。セラは辛い気持ちを誤魔化すように、バードの鳥籠を開けた。


「バードちゃん、つまんないね」


 バードは返事をするように、くるっぽーと鳴きながら鳥籠から出てきた。そのままバードは、パタパタと羽ばたき、メグの肩にとまった。


「バード。お前はいつも元気ね」


 バードはメグに撫でられて、気持ち良さそうに目を細めた。


「バードちゃん。こっちにおいで」


 セラが鳥籠に布をかけ直して声をかけると、バードが羽ばたいた。すると、バードの翼にメグの髪飾りが弾かれ、座席の下へ吸い込まれていった。


「ああっ!」


 メグは慌ててしゃがみ込み、隙間に手を差し込むが、なかなか髪飾りを掴めない。メグの声に驚いたのだろうか。バードはセラの肩ではなく、馬車の棚に止まった。必死に屈むメグに、ジーナが声をかけた。


「メグちゃん。そんな隙間に手を入れてたら、玉のお肌に傷がついちゃうわよー」

「だって、お母さん。あれは大事な髪飾りなのよ。せっかくお祝いにもらったものなのに……」


 メグの言葉にジーナは、ニヨニヨと意味ありげに笑みを浮かべた。


「本当に、それだけなのかしらー」


 メグは顔を上げると、ジーナを睨んだ。


「余計なこと言ってないで、お母さんが拾ってくれたらいいじゃない」

「私は無理よー。手が届かないものー」


 ジーナは、ひらひらと両手を振った。ジーナの腕は太く、とても隙間に入りそうになかった。セラが見兼ねて声をあげた。


「あの……私がやってみましょうか?」

「でも、セラのお肌だって傷つくわ」

「私の肌……ですか?」


 セラが自分の手を見つめて首を傾げているので、メグはセラの手を取った。

 セラの手は小さいが、ずっと車馬係として働いていた手だ。旅に出てからも、馬の世話や馬車の掃除を率先してやっており、冷たい秋風に吹かれたセラの手は、手荒れやタコが出来てカサカサしていた。対してメグは、たまに手伝いはするものの、水仕事や力仕事はあまりしない。その上、きちんと手入れをしているメグの肌は、滑らかできめ細かく、つるりとしていた。


「セラ。ちゃんとクリーム塗ってないの?」

「クリーム?」


 首を傾げるセラに、メグは顔をしかめた。


「まさか、セラがクリームを知らなかったなんて……迂闊だったわ。そういえば、そばかすもあるものね」


 メグの声を聞いたジーナは、小さな缶を取り出し、セラに渡した。


「はい、これー。これがクリームよー。銅貨一個分ぐらい、毎日塗ってねー。手荒れが治るまでは、一日に何回も塗った方がいいわー。顔用のは後で作ってあげるからねー」

「お母さん。化粧水はないの?」

「あるけど、たぶん今使うと染みると思うわー。もう少し手荒れが良くなってからの方がいいわねー」


 セラは、しげしげと缶を見つめた。メグは、また隙間に手を差し込んだ。


「ん……! はぁ、ダメね……。やっぱり、届かない」

「メグちゃん。諦めた方がいいわよー。それにメグちゃん、また胸が大きくなったんじゃなーい?」


 成人を迎え、さらに膨らみを増したメグの胸が床につかえているように、ジーナには見えた。


「メグさん。私、手がまだこんなだし、私が取ります」


 セラは宣言すると、メグの横から手を差し込んだ。セラの小さな腕は、すんなり隙間に入っていった。


「んー、あとちょっと。もう少し……。あ、取れた!」


 セラの手はギリギリ髪飾りに届いた。セラは指の先でわずかに掴み、慎重に取り出した。


「セラ、ありがとう!」


 メグはぎゅっとセラを抱きしめた。セラの顔に、メグの柔らかな膨らみが当たった。髪飾りの埃を払い、早速鏡を見ながら付け直すメグの隣で、セラは思わず胸に手を当てた。それを見たジーナは、ふふふと笑った。


「セラちゃん。まだまだ胸が大きくなるには早いわよー。焦らない、焦らなーい」


 セラはジーナの言葉に、しゅんと肩を落とした。


 ――もしかして、ニースがメグさんに笑うのって……。


 落ち込むセラの肩にバードがとまり、頬に擦り寄った。


「うふふ。バードちゃん、くすぐったいよ。慰めてくれるの? ありがとう」


 微笑むセラを見て、メグは、ぽんと手を叩いた。


「さっき、バードに取ってもらえばよかったんだわ! バードなら、この隙間に簡単に入れるもの!」

「あら、ほんとねー! 気づかなかったわー。そういえば、私も前に髪飾りを奥に落としてたんだけど、バードちゃん取れないかしらー?」


 バードは急遽、座席の下の失せ物探しに駆り出された。埃まみれになりながらも、無事に任務を全うしたバードを、セラは丁寧に拭いた。汚れた手を拭うと、早速セラは、クリームをつけた。鈍く銀色に光る小さなアルミ缶が、セラには宝物に思えた。


 雨に降られない内にと急いでいたグスタフたちだったが、国境に近い小さな町、アウクリシウムを目前に、冷たい雨粒が馬車を打ち付けた。御者台に座るグスタフたちは、外套の襟を立て、帽子を深く被り、町へ馬車を飛ばした。検問を終えると、叩きつける雨粒から逃げるように、宿へと駆け抜けた。ようやく宿へたどり着くと、びっしょりと濡れたグスタフ、マルコム、ラチェットの三人は、すぐさま風呂に向かった。ニースは、メグたちと共に最低限の荷物を部屋に運び入れた。

 ニースが部屋で着替えを終え、濡れた髪を拭いていると、扉をノックする音が響いた。ニースは、ラチェットが風呂から戻ってきたのだと思い、そのまま返事をした。


「鍵は空いてます、どうぞ」


 ニースが開く扉に目を向けると、そこにはラチェットではなく、ポットを手にしたセラが立っていた。


「ニース。お湯をもらってきたの。温かいお茶でもどうかなって思って」


 微笑みを浮かべるセラから、ニースは気まずそうに視線を外した。


「あ……ありがとう」


 セラは目を逸らされた事に気がつき、しゅんと表情を曇らせたが、すぐに笑顔を形作り、ニースにお茶を入れた。


「はい、どうぞ」


 ニースはセラにお茶を勧められ、戸惑いながらも椅子に座った。セラはニースの向かいに腰を下ろすと、腰につけた鞄から、小さな缶を取り出した。ニースは鈍く銀色に光る缶を見て、思わず尋ねた。


「それ、なに?」


 ニースから話しかけてきたので、セラは嬉しそうに笑った。


「これね、クリームって言うんだって。ジーナさんから、肌が綺麗になるって言われて、もらったんだ」


 セラは缶の蓋を開け、クリームを手に取る。ニースは、缶から視線を逸らすとカップをじっと見つめ、ふぅと息を吹きかけた。入れたての熱いお茶のカップが、ニースの冷えた手に、じんわりと温もりを与えた。


 ――ぼく、ずっとセラのこと避けてるのに……。セラは今もぼくを嫌わずに、気にかけてくれるんだ。


 ニースは、変わらぬセラの優しさに向き合えない事を、申し訳なく感じた。セラは、丁寧にクリームを塗り込みながら、ニースに話しかけた。


「ねえ、ニース。私ね、つやつやの肌になりたいんだ」

「そうなんだ」

「今度ね、お顔に塗るクリームも、ジーナさんがくれるんだって。私、そばかす消えるかな?」

「さあ。ぼくには分からないよ」

「私、メグさんみたいに綺麗になりたいんだ。メグさんの手って、すべすべしてて気持ちいいよね」

「……そう、かもね」


 セラが何を話しても、話はすぐに終わる。目を合わせる事もなく、ぎこちない相槌を打ったニースに、セラは、しょんぼりと肩を落とした。


「ねえ、ニース……」


 ニースは、気まずさを誤魔化すように、まだ熱いお茶を一口啜った。セラは、クリームを塗り終えた手を、きゅっと握りしめた。


「私がメグさんみたいに、胸が大きくなったら、また笑ってくれる?」


 ニースは思わず、お茶を噴き出しそうになった。


「な、なんでそうなるの⁉︎」

「違うの?」


 ニースはカップを置き、ようやくセラの顔を見た。セラの顔は、泣きそうに歪んでいた。


「あ……。えっと……」


 セラは、ぽろりぽろりと涙をこぼした。


「私、どうしたらニースとまた仲良くなれるの? ニースは、メグさんには笑うのに、私とは目も合わせようとしないよね。私、どうしたらいいのか、わかんないよ……」


 ニースは、ふるふると首を横に振った。


「違う……そうじゃないんだ。セラが悪いんじゃない。ごめん……」


 セラは涙を、ぐっと手で拭うと、ニースを見つめた。


「じゃあ、なんで?」


 じっと見つめるセラの黒い瞳を、ニースは直視出来なかった。ニースはカップに視線を落とし、絞り出すように声を出した。


「ぼく、セラのことを傷つけたくないんだ。セラは何も悪くなくて……。全部、ぼくの問題なんだ」


 ニースは、胸の内の葛藤を押し込めるように、ぐいとお茶を飲み干した。熱いお茶が、ニースの喉を焼くように一気に流れる。セラは驚き、声をあげた。


「ニース! そんないきなり飲んだら……!」

「ううん……大丈夫……」


 心配かけまいと、ニースは苦しそうに微笑んだ。


「もうちょっと、待っててくれないかな……。ぼく、今はちょっとまだ、話せないんだ」

「ニース……」


 セラは戸惑い、視線を泳がせた。ニースは、静かに言葉を継いだ。


「ごめん、セラ。でも、ぼくはセラを嫌いなわけじゃないんだ。時間がきっと、解決してくれるって、ラチェットさんが言ってくれたから……」

「ラチェットさんが?」

「うん。ごめんね……」

「……わかった」


 俯くニースに、セラは何も言えなかった。セラは、そっと席を立ち、ニースの部屋を去っていった。置き去りにされた小さなクリームの缶が、寂しそうに鈍く光っていた。

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