69:色無き風の中で3
前回のざっくりあらすじ:ニースは胸の内をラチェットに明かした。
広い草原を走り抜けた一行は、街道沿いの小さな森で一夜を明かす事になった。夜闇に覆われる前に、グスタフは野営地を決め、馬車を止めた。ラチェットがオルガン馬車を止め、ハンドルを回して荷台を開けると、ニースが俯きがちに表へ出てきた。メグとセラが、久しぶりにニースが降りてきたことに気がつき、駆け寄った。
「ニース、降りてきたのね」
「大丈夫? お腹痛くない?」
返事をしないニースの額に、メグが手を当てた。
「……熱はなさそうね。風邪気味だから近寄るなってラチェットが言ってたけど、本当だったの? 無理してない?」
ラチェットがうまく二人を遠ざけてくれていたことを知り、ニースの目に涙がこみ上げた。
「うん、大丈夫。心配かけてごめんね」
「あら、鼻声じゃない! 本当に風邪だったのね」
メグの言葉に、ニースは苦笑いを浮かべた。馬車から馬を外したラチェットが、メグたちに声をかけた。
「ニースのこと、まだ無理させちゃダメだよ、二人とも」
「わかってるわよ」
「はい、ラチェットさん」
メグとセラは頷くと、焚き火を起こそうとしているジーナのそばへ、ニースを誘った。
「ニースくーん。もう大丈夫なのー?」
「はい、ジーナさん。ご心配をおかけしました」
秋の夕暮れは少し冷える。ジーナが火をつけると、ニースは久しぶりに感じる焚き火の温もりに、ほっと小さな笑みを浮かべた。ジーナは焚き火で湯を沸かすと、ニースにお茶を入れた。ニースは、ほかほかと湯気の上るカップをもらうと、焚き火のそばの倒木に腰掛け、ふうと息を吹きかけた。セラもジーナにお茶をもらうと、ちょこんとニースの隣に座った。しかし、ニースはセラに見向きもしない。セラはニースの様子に、違和感を感じた。
――ニース、どうしたんだろう。まだ具合が良くないのかな……?
セラは窺うように、ニースに声をかけた。
「ニース、大丈夫? 寒くない?」
ニースはセラを見る事なく、カップを見つめたまま答えた。
「大丈夫だよ。お茶を飲むと温かいし」
「そっか……」
目は合わせないが、穏やかなニースの声音に、セラは首を傾げた。
――気のせい……なのかな。
そこへ、メグが毛布を持ってやってきた。
「ニース。夜は冷えるから、これを使うといいわ」
ニースは、メグに笑顔を向けた。
「ありがとう、メグ」
「どういたしまして」
微笑み合う二人を見て、セラは胸がそわそわするのを感じた。
――メグさんには、笑うんだ……。
メグは毛布をニースの肩にかけると、夕食の支度を始めたジーナの元へ、手伝いに向かった。
歩いていくメグの後ろ姿を、じっと見つめるニースに、セラはそっと体を寄せた。するとニースは、毛布を引っ張りながら、さり気なくセラと距離を取った。
――もしかして……ニースに避けられてる? ううん。そんなことない。毛布を引っ張っただけだよね……。
セラは頭をふるふると振り、胸のモヤモヤを振り払うと、ニースに笑いかけた。
「ニース、お茶おいしいね」
「うん」
セラに目を向ける事なく、焚き火を見つめながら相槌を打つニースに、セラは不安を感じた。
――やっぱり、いつものニースと違う……。もしかして、嫌われちゃった……?
セラは不安を打ち消すように、ニースに話しかけた。
「今日の夜ご飯は何かなぁ」
「なんだろね」
「私、ジーナさんのお芋のスープが大好きなの」
「そうなんだ」
セラが何度話しかけても、ニースは一度もセラを見なかった。セラには、焚き火の炎を見つめるニースの黒い瞳が、炎ではなく何か別のものを映しているように見えた。
――私、何かしちゃったのかな……。どうしてメグさんには笑うのに、私のことは避けるんだろう……。
セラは顔を曇らせて、黙り込んだ。セラの耳に、パチパチと焚き火の炎が爆ぜる音と、ニースが温かいお茶をごくりと飲む音、少し離れた場所から、ジーナとメグが野菜を刻む音だけが響いた。
――いつもなら、楽しくお喋りしたり、歌を歌ったりするのに……。
隣に座るニースが、やけに遠くにいるように、セラには感じられた。セラは、モヤモヤした気持ちを抱えたまま立ち上がった。
「私、お馬さんたちの様子を見てくるね」
「いってらっしゃい」
ニースは返事を返したものの、セラを見る事はなかった。セラは木に繋いだ馬の横をすり抜け、森に向かった。星の明かりも届かない暗い木の下で、セラは一人、うずくまった。
「どうして急に、ニースは……」
セラの呟きに、誰も気付く者はいない。セラの目には、涙が滲んでいた。
ジーナを手伝いながら、二人の様子を見ていたメグは、違和感を感じていた。セラが気落ちした様子で立ち上がり、ニースのそばを離れていったので、いよいよもっておかしいと、メグは感じた。
メグはジーナに断りを入れ、オルガンの点検をしているラチェットの元へ向かった。
「ラチェット。ちょっといいかしら」
ラチェットは、オルガンの外板の一部を外し、中に顔を突っ込んでいた。
「今これだけやっちゃいたいんだけど……。やりながらでいいなら、大丈夫だよ」
メグの顔を見ることなく、オルガンの点検を続けるラチェットに、メグは頬を引きつらせたが、そのまま話し出した。
「いいわ、そのままで。ニースとセラに何かあったの? さっきから、二人の様子がおかしいのよ。」
メグの突然の問いかけに、ラチェットは手を止め、顔を出した。
「おかしいって、どんな風に?」
「セラが何度も話しかけているのに、ニースは一度もセラを見ないのよ。いくらなんでもおかしいわ。本当は、風邪なんて嘘なんでしょう?」
鋭いメグの指摘に、ラチェットは気まずそうに頬をかいた。
「んー。僕もさっき聞いたばかりだし、ニースに聞いたことを言わないって約束しちゃったんだ。だから、メグにも言えない。ごめん」
珍しく、ラチェットがはっきりと断ったので、メグは驚いた。
「え……。そんなに深刻なことなの?」
「まあ……。僕にちょっと任せてくれないかな」
ラチェットは言葉を濁しながらも、メグにはっきりと告げた。メグは少し考えたが、頷いた。
「……わかったわ。何か手伝えることがあったら言ってね?」
メグはラチェットの肩をぽんと叩き、ジーナの元へ戻った。ラチェットは、はぁとため息を吐くと、メガネをくいと上げた。
「僕がなんとかしなくちゃな……」
ラチェットは、ぼそりと独り言つとオルガンの点検に戻った。
同じ頃。マルコムは、グスタフと共に薪に使えそうな木の枝を探して、カンテラを手に森の中へ入っていた。
「こんなもんでいいか」
静かに馬車に揺られる中で、少しずつ元気を取り戻していたマルコムは、幾分すっきりとした顔をしていた。マルコムが両手に枝を抱えて立ち上がると、グスタフの姿が見えた。
「グスタフ、どうだ?」
「ああ。集まったよ。それに、これも見つけた」
グスタフは、紫色をした楕円形の果実をマルコムに見せた。
「お、アケビじゃないか。ジーナが喜ぶな」
二人が話しながら野営地へ戻ろうと歩いていくと、森の入り口で、明かりも持たずにうずくまる、セラを見つけた。
「セラちゃん、どうしたんだ?」
「お腹が空きすぎたのか?」
二人に声をかけられて、顔を上げたセラの目からは、涙がぽろぽろとこぼれ落ちていた。グスタフとマルコムは顔を見合わせると、セラの前にしゃがんだ。グスタフが、手布をセラに差し出した。
「セラ、何かあったのか?」
セラは手布を受け取り、涙を拭ったが、口を閉ざしたままだった。何も話そうとしないセラを見て、マルコムはグスタフの腕からアケビを一つ取ると、ぱかりと割った。
「セラちゃん。これを食べてごらん」
マルコムが差し出したアケビを見ると、セラは受け取らずにじっと見つめた。
「それ、なんですか?」
マルコムは、ふっと笑みを浮かべた。
「そうか。セラちゃんはこれが何か知らないのか」
マルコムは、意味ありげな笑みを浮かべて立ち上がり、大げさに額に片手を当てた。
「ああ! これを知らないなんて、実にもったいない!」
わざとらしくアケビを掲げ、心底残念そうに言うマルコムの姿に、セラは、ぽかんと口を開け、グスタフは噴き出しそうになるのを必死に堪えた。マルコムは、アケビの果肉を口に入れると、頬を緩めた。
「いやあ、甘い。うまいなぁ」
美味しそうに食べるマルコムを見て、セラのお腹が、ぐぅと鳴り、セラは恥ずかしそうに俯いた。マルコムは種を吐き出すと、未だくつくつと肩を震わせるグスタフの腕から、アケビをもうひとつ取り、ぱかりと割った。
「セラちゃん、食べてみるかい?」
セラは無言で頷き、アケビを受け取った。慎重に匂いを嗅ぐが、特に香りは感じられなかった。息を飲み、果肉をぱくりと口に入れると、ほんのり甘い味が口の中に広がった。
「美味しい……」
マルコムは、そっとセラの隣に腰を下ろした。
「セラちゃん。種はちゃんと出すんだよ?」
セラは、こくりと頷いた。少しずつ食べ進めるセラの姿に、マルコムは笑みを浮かべた。
「アケビは美容にいいらしくてね。美人になれるって、女性はみんな喜んで食べるんだ。セラちゃんも立派な女の子だな」
「美人に……」
セラは小さく呟くと、マルコムに真剣な眼差しを向けた。
「マルコムさん。私もアケビを食べたら、メグさんみたいに綺麗になれますか?」
マルコムは不思議に思ったが、自信に満ちた顔で頷いた。
「ああ、なれるさ。男がみんな放っておかなくなるかもな」
ようやく笑い終えたグスタフが、言葉を継いだ。
「メグもジーナも、二人ともアケビが好きだからな。美しさの秘訣と言ってもいいだろう」
二人の言葉に、セラは目を輝かせた。
「グスタフさん。アケビ、もっとください!」
「え? あ、ああ……」
グスタフからアケビを受け取ると、セラは貪るように食べ始めた。
「……セラちゃん?」
「そんなにお腹が空いてたのか?」
あまりに必死に食べるセラの姿に、マルコムは頬を引きつらせ、グスタフは首を傾げた。満腹のセラが夕食を食べれなくなり、アケビを食べさせた犯人たちが、ジーナに怒られることになるとは、二人は全く予想していなかった。




