表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
地に響く天の歌 〜この星に歌う喜びを〜  作者: 春日千夜
第1部 天の導き【第1章 天の導きの誕生】
9/647

6:新しい家族2

前回のざっくりあらすじ:ニースは、マシューの孫になった。


*物語の進行上、一部にセンシティブな表現が含まれます。ご注意下さい*

 ニースにとって生まれて初めての長い旅は、悲しさや寂しさを紛らわせるに足る、楽しさの連続だった。

 たとえ周囲にニースのことが露見しないよう、気を遣いながらの旅だったとしても、今までの豪華な生活と違う素朴な旅路は、ニースにとって新鮮なものだった。


 ニースとマシューは、大きな町を出来る限り避け、小さな町の宿屋や野宿で夜を過ごした。大きな町には、ニースを知る商人や貴族がいる可能性があるからだ。念には念を入れて、二人は慎重に旅を続けた。


 伯爵領を旅立ってから、一ヶ月半が経った。紅葉に色付き始めた木々が、街道沿いに立ち並ぶ。平原に広がる森を抜けると、ガタゴトと荷馬車に揺られるニースの目に、遠くにそびえ立つ山々が見えてきた。


「おじいちゃん。あれがもしかして、ラース山脈?」


 伊達眼鏡をずらし、山を見つめるニースに、マシューは笑みを向けた。


「ああ、そうだ。あの山の麓にある小さな町が、クフロトラブラだ」


 ニースの目に映るラース山脈の山々は、秋になったというのに不思議と濃い緑が多かった。


「おじいちゃん。どうしてあのお山は緑色なの? 秋になると、葉っぱの色が変わるんじゃないの?」

「あれは針葉樹という木だ。葉が尖っていてな。冬になっても葉が落ちない木なんだよ」

「そんな木もあるんだ」

「ここはお前さんが住んでた町より、ずっと北だからな。場所によって、植物も動物も色々違うんだ」

「そうなんだ」


 マシューはニースの知らない事を、丁寧に教えていた。ニースは、物知りのマシューを大好きになっていた。


「おじいちゃん。あの白いのは何? お山の帽子?」


 ラース山脈の山頂付近には、雲とは違う白い何かが見えた。首を傾げたニースに、マシューは、はははと笑った。


「お山の帽子か。そうかもしれんな」

「おじいちゃん。笑ってないで、本当のことを教えてよ!」


 ムッとして口を尖らせたニースに、マシューは微笑んだ。


「ああ。もちろん、教えてやろう。あれは万年雪というものだ。ここいらは夏でもそれほど暑くはないが、冬は雪が降るぞ」

「……雪?」

「ああ。ニースも見ればわかるさ」


 マシューはニースに、クフロトラブラの町について話して聞かせた。


 クフロトラブラの町は、南に位置する伯爵領とは違い、夏も涼しく冬は雪深い。山の恵みを享受しながら過ごす町では、羊やヤギの牧畜が盛んだ。人々は年間を通して、羊毛で作った暖かいコートやローブを好んで使っていた。

 羊毛や羊肉は王都へも出荷されており、ヤギの乳で作ったシェーブルチーズは塩味が特徴的で王都でも人気がある。アマービレ王国は美食の国として有名だが、舌の肥えた貴族たちにも、クフロトラブラのチーズは評判だった。

 様々な名物がある町だが、辺鄙(へんぴ)な山あいにあるため、町が大きく発展することはなかった。人々は日々の暮らしを穏やかに過ごせる分だけ稼ぎ、慎ましく生きていた。


 マシューの話を聞いて、ニースは胸を躍らせた。


「うわぁ、羊にチーズにミルク……! ぼく、大好きなんだ。楽しみだよ、おじいちゃん」


 長い旅路の中で、マシューとすっかり仲良くなったニースは、新生活への不安よりも、期待を大きく感じていた。ニースがにっこり笑うと、マシューは嬉しげに微笑んだ。



 荷馬車は、ゆっくり進んでいく。ラース山脈の麓に近づくにつれて、少しずつクフロトラブラの町が見えてきた。山肌の開けた場所に、広い草原と、木と石材で作られた街並みが、小さく見えた。


「ニース。あれがクフロトラブラの町だ。わしの家は町外れにある。そこがニースの家になるんだ」

「あの町がそうなんだ……!」


 期待に胸を膨らませるニースを乗せて、荷馬車は走る。町へ続く街道は、緩やかな山道に変わっていった。

 ガタゴトと山道を進んだ荷馬車は、石造りの市壁で囲まれた町を通り抜けて、山脈へ続く道をそのまま進む。町から少し離れたところにマシューの家はあった。


 市壁から少し離れたその場所は、森を切り開いて作った牧場だった。広々とした草原では、羊たちが草を食み、のんびりと日向ぼっこをする。道を進んでいくと、放牧地の片隅に丸太組みの家が建っていた。

 山の針葉樹を切り出して作られた家は、落ち着いた焦げ茶色をしていた。放牧地の緑と空の青さを背に、可愛らしくもどっしりと建つ家の軒先には、小さな花壇があった。


 花壇に咲く可憐な花が、そよ風に揺れる。犬小屋で目を伏せていた牧羊犬が、荷馬車のガタゴトと走る音に立ち上がり、嬉しそうに尻尾を振って、わんと吠えた。

 犬の声を聞いたのだろう。玄関扉が開き、中から恰幅のいい初老の女性が出てきた。エプロンをつけた女性は、荷馬車を見つけると、にっこりと笑い、手を振った。

 マシューはその姿を見ると、笑みを浮かべて大きく手を振り、ニースに声をかけた。


「ニース。あれがわしの家だ。手を振っているのは、留守を頼んでいたマーサ。近所で羊毛からフェルトを作っている家の奥さんだよ。家の前で吠えてるのは、牧羊犬のシェリーだ」


 マシューの声を聞くと、ニースはひょっこりと荷台から顔を出した。


 ――マーサおばさんと、シェリーっていうんだ……。


 優しそうなマーサの顔と、尻尾をぶんぶんと振る、可愛らしい犬のシェリーを見て、ニースは微笑んだ。


 マーサはマシューの後ろから顔を出したニースに向かって、再び手を振った。ニースが手を振り返すと、荷馬車がガタリと揺れて、深くかぶっていたはずのフードが外れた。


「あっ!」


 ニースは慌ててフードをかぶり直し、荷台へ引っ込む。マシューは安心させるように、ニースへ語りかけた。


「大丈夫だ。マーサはお前さんのことを知っている。わしが話したからな。それにもう変装はいいだろう。町も抜けたし、この辺にはそうそう人は来ない。町の連中も、お前さんのことを見ても珍しいとしか思わんよ」


 クフロトラブラは、王国の外れにある小さな町だ。珍しい黒い子だとは思われても、その黒が何を意味するのかを、知る者はいない。強力な歌の力を持つ、希少な天の導きの存在を、山あいの小さな田舎町に知る人はいなかった。

 マシューは、穏やかに言葉を継いだ。


「ただ、旅人や商人には気をつけろ。町の中に行く時は、しっかり変装した方がいい。町の連中が慣れてしまえば、大丈夫だがな」


 町外れの一軒家で、牧畜を生業として暮らすマシューの家は、ニースが羽を伸ばして生活するのにうってつけの場所だ。町の中心部に行かない限りは、旅人に出会うこともない。家や近所で過ごす分には何の問題もなかった。


 マシューの話を聞き、ニースは心底ほっとした。長いローブは、幼いニースにとって動き難いものだった。

 ニースは、荷台でフードを下ろしメガネを外すと、帽子も脱いだ。さらにローブも脱ごうとしたところで、ちょうど荷馬車は家の前に着いた。


「おかえり、マシュー。留守の間、特に問題はなかったわ。そっちが例の孫かい?」


 マーサの声は、優しいものだった。マシューの穏やかな声が、続いて響いた。


「マーサ、ありがとう。本当に助かったよ。いま紹介するから、ちょいと待ってくれ」


 二人が話してるうちに、ニースはローブを脱いで畳み、癖のついてしまった髪を整えた。荷台から降りて服を直すと、ニースはマシューの隣に立った。

 ニースの姿を見て、キラキラと目を輝かせたマーサに、マシューは微笑んだ。


「マーサ、紹介するよ。わしの孫のニースだ」

「はじめまして、マーサおばさん。ニースです。よろしくお願いします」


 ニースが、ぺこりとお辞儀をすると、マーサは満面の笑みを浮かべた。


「まあまあまあまあ! なんて可愛らしい男の子なんでしょう! きちんと挨拶も出来て、本当に偉いわ」


 照れくささを感じて微笑んだニースに、マーサは優しく語りかけた。


「さあ、中にお入り。お腹が空いたでしょう? 美味しいお昼を作ってあげるからね。ああ、荷物はマシューがちゃんとしてくれるから、任せて大丈夫よ」

「おいおい、マーサ。わしの分も飯を作ってくれよ?」

「当たり前よ、任せておいて」


 マシューが冗談めかして言うと、マーサはにっこり笑ってニースを家へ招いた。



 家へ入ったニースの後を、シェリーが尻尾を振ってついてきた。シェリーは普段、犬小屋で寝ているが、紐で繋がれているわけではない。狼など羊を狙う野生の獣が来た際、すぐに追い払えるよう放し飼いにされていた。

 ニースはマーサに勧められ、椅子に座った。椅子のそばには暖炉があるが、今はまだ秋のため、火はついていなかった。床には羊毛で作られた絨毯が敷かれていた。


 シェリーは、とてとてと椅子へ近づき、ニースの匂いを嗅いだ。ニースが興味深げに見つめていると、シェリーは賢そうな目で見つめ返し、ニースの手をぺろぺろと舐めはじめた。ニースはくすぐったさを感じながら、シェリーを撫でた。

 シェリーの体は大きく、立ち上がれば五歳のニースと同じ高さになりそうだ。シェリーは毛が長く、耳や体の毛は黒いが、首回りの毛は襟巻きを巻いたように白く、四つの足の先と鼻の頭の部分も白かった。

 柔らかな毛を撫でたニースは、シェリーの温もりを感じた。三角の耳は気持ちよさそうにへにゃりと垂れて、フサフサした黒い尻尾は嬉しそうにびゅんびゅんと振られた。


「あらあら、シェリーに気に入られたのね。シェリー、ニースに優しくしてあげてね」


 飲み物を運んで来たマーサは、シェリーにじゃれつかれているニースを見て笑った。シェリーは心得たとばかりに、わんと吠え、ニースの手を離れると足元に伏せた。

 ニースはマーサからマグカップを受け取り、口をつけた。中にはヤギの乳が入っていた。


「マシューのところでは羊しか飼っていないけど、この町ではヤギを育てている家も多いのよ。しぼりたてのヤギのミルクは美味しいでしょう? 王都の人たちはチーズしか知らないと思うけど、ミルクもなかなか美味しいのよ」

「はい。とっても美味しいです」


 マーサの言葉にニースはにっこりと笑みを返し、ヤギの乳を飲み干した。一息ついたニースは、マシューの手伝いをしようと立ち上がった。


「ぼく、あんまり疲れてないから、おじいちゃんのお手伝いをしてきますね」

「あら、そう? あまり無理しないでね」

「はい。ありがとうございます」


 外へ向かうニースの後ろを、再びとてとてとシェリーが追う。ニースを見送り、マーサは笑みをこぼした。


 ――ニースは優しいわね。良い子で良かったわ。


 マーサは、マシューの亡くなった妻ペネロペと仲が良かった。

 マシューが育てた羊の毛を、マーサはフェルトにして町の商会へ下ろしている。マシューと家同士の付き合いがあったマーサは、ペネロペが亡くなった後にマシューが一人暮らしを続けているのを見て心配していた。

 マシューの娘リンドは、ペネロペが亡くなった際に実家へ帰ると言ったが、マシューは断っていた。マシューは、自分の世話のために、リンドを連れ戻すのを嫌がっていた。


 ニースは楽しそうに笑いながら、マシューと荷を下ろし始めた。窓越しに見ていたマーサは、ほっと胸を撫で下ろし、台所へ向かった。


 ――マシューも嬉しそうね。これでようやく、安心出来るわ。


 マシューには、リンドのほかに子はいない。マシューは一人暮らしも気ままでいいもんだと笑っていたが、マーサは誤魔化されなかった。

 一人で暮らしているマシューを、何かと気にかけていたマーサは、マシューが孫を連れて来ると聞いて喜んだ。家と羊のことは任せろと、マシューを快く送り出していた。

 孫のニースは話に聞いていた通り、髪も目も肌も全部黒くて珍しかったが、マーサにとってそれは些細なことだった。しっかりしていて賢そうな心優しいニースが、マシューと共に暮らしてくれる。マーサはそれだけで心から安心出来た。


 ――新鮮なヤギのミルクで美味しいシチューを作りましょう。パンにはシェーブルチーズ(ヤギのチーズ)を乗せて温めようかしら。柔らかく溶けたチーズは絶品だもの。ニースも喜ぶはずだわ。


 自分の作った料理を食べて、ニースが笑う姿を思い浮かべながら、マーサは料理を始めた。



 マーサの美味しいご飯でお腹を満たした後、ニースは荷物の整理をした。ニースの部屋はマシューの家の二階に与えられた。昔リンドが使っていたという部屋は、マーサの手で綺麗に整えられていた。

 部屋は、伯爵家にあったニースの部屋よりずっと狭く、置かれている家具やベッドも簡素なものだ。しかしニースは、見た事のない部屋に喜んだ。


 マーサの手を借り、ニースが荷物の整理をしている間に、マシューは羊の様子を見に行った。

 約二ヶ月もの間家を空けたのは、マシューが羊の牧畜を生業として以来初めてのことだった。リンドの結婚式の時ですら、今は亡き妻ペネロペと共に馬を走らせ、一ヶ月ほどで伯爵領と行き来したのだ。幼いニースを連れた今回の旅は、普通に馬車を走らせるより、ずっと時間がかかっていた。


 夕暮れが近くなると、マシューはシェリーを使って羊を集めた。羊は家の裏手にある羊舎に集められる。羊たちはそこで集まって夜を明かすのだ。

 山には狼や熊などの肉食獣がいる。牧場全体をぐるりと囲むように頑丈な柵が張り巡らされているが、何かの拍子で壊れて獣が侵入しないとも限らない。

 マシューの牧羊犬シェリーは、獣の襲来を知らせたり、獣を吠え立てて怯ませる事は出来ても、直接闘える犬種ではない。夜の間、放牧をしないのは、羊を守るために必要なことだった。

 荷物の整理を終えたニースが、部屋の窓から外を見ると、シェリーが器用に羊たちを集めるのが見えた。


 ――シェリーすごい! あんなにたくさんの羊を、上手に集めてる……!


 シェリーが羊の動きをよく見ながら誘導していく姿に、ニースは感動した。もっと近くで見ようと、ニースはマシューの元へ向かった。

 マシューは羊舎に集めた羊に、水をやっていた。もこもことした毛を纏い、のんびりと寛ぐ羊たちの姿を、ニースは可愛いと感じた。


 ――ぼくもおじいちゃんのお手伝いを、出来るようになりたいな。


 羊たちの世話をするマシューの姿は、とても楽しそうだった。ニースは、自分もマシューのように、羊と仲良くなりたいと、心から願った。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] 春日さん、こんにちは。読みに来ましたよ。 ペース遅くてごめんなさい。ペコリ。 ニースは賢いなあ。何よりも全てが前向きなのが良いですよね。 おじいちゃんが出来て、お隣のおばさんや犬とも友達に…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ