67:色無き風の中で1
前回のざっくりあらすじ:ニースの胸にある、セラへの嫉妬と劣等感が強まった。
残暑の日差しは未だ強く照りつけるが、風は秋の気配を漂わせる。草原を貫く大きな街道を、二台の馬車が気持ちよさそうに南下していた。二台のうち、前を走るのはいつも通りグスタフの馬車だ。後ろを行くオルガン馬車の手綱はマルコムが握っており、ラチェットは中を見るわけでもなく、マルコムの隣に座っていた。
「なあラチェット。ニースが中でオルガンを見てるなら、お前までここに座ってなくてもいいんじゃないのか? お嬢たちと、あっちの馬車にいればいいだろうに」
マルコムの言葉にラチェットは頭を振ると、声を潜めてマルコムに答えた。
「ニースのことを、放っておけるわけないじゃないですか」
ちらりとラチェットが馬車の小窓を覗き見ると、ニースがぼんやりと膝を抱えている姿が見えた。ニースを心配そうに見つめるラチェットに、マルコムは首を傾げた。
「ニースを放っておけないって、何かあったのか?」
「それがよくわからないんです」
ラチェットは、皇都を出発する際の事を思い返した。
マルコムが宿を出る手続きをする中、グスタフの馬車に乗るはずのニースは、オルガン馬車の前でラチェットと話をしていた。
「僕は有難いけど……。ニース、本当に頼んでいいの?」
「はい、ラチェットさん。ぼく、ずっと思ってたんですけど、オルガン馬車の中ってすごく快適だし、誰かがそばで見ていた方が、オルガンの安全も確実に守れると思うんです」
ラチェットは、笑顔で話すニースの様子が、何かいつもと違う気がした。するとそこへ、なかなか馬車に乗らないニースを連れに、メグとセラがやってきた。
「ニース、どうしたのよ。早く乗るわよ」
「グスタフさんも、待ってるよ?」
ニースは、二人に頭を振った。
「ごめん、二人とも。ぼく、オルガン馬車の中に乗ろうと思うんだ」
ニースの言葉に、セラは首を傾げ、メグは顔をしかめた。
「なんで? あっちにはバードちゃんもいるんだよ?」
「ちょっとラチェット、どういうこと? またニースに無理強いしてるの?」
「い、いや、僕は何もしてないんだけど……」
たじろぐラチェットをかばうように、ニースは言葉を続けた。
「違うよ、メグ。ぼくは、いつもラチェットさんがオルガンを見ながら座ってるから、少しでも楽にしてあげたいだけなんだ」
メグは、訝しげにラチェットを見た。目で訴えるメグに、ラチェットは声を震わせた。
「い、いや。本当に僕は、何もしてないんだけど……」
視線を彷徨わせるラチェットと、睨むメグの間に、ニースが割って入った。
「メグ。メグは、ラチェットさんのことが嫌いなの?」
突然のニースの言葉に、メグは驚いた。
「な、何でそうなるのよ! 私は別に、ただ、その……ニースのことが心配なだけよ!」
ぷいと横を向いてしまったメグに、ニースは笑顔を向けた。
「それなら、心配いらないよ。ぼく、本当にラチェットさんを手伝いたいだけなんだ。だから、ごめんね」
「……わかったわよ。仕方ないわね。セラ、行こう」
メグは、ぷぅと頬を膨らませながらグスタフの待つ馬車へ戻っていった。
「ニース、優しいね。ラチェットさんのためなら、仕方ないね」
セラは寂しげな微笑みを浮かべると、メグを追いかけた。ラチェットは、苦笑いを浮かべて見送ると、ニースに目を向けた。
「ニース。気持ちは有難いけど、無理はしないようにね。僕はオルガンを見ているのは好きだから」
「はい、ラチェットさん。無理はしません。大丈夫です」
明るく返事をしていたニースだが、ラチェットが違和感を感じた通り、オルガン馬車に乗り込むと、何かに思い詰めたような顔をして、膝を抱えて座りこんだのだった。
ラチェットは、思い返してはみたものの、何が原因なのかさっぱりわからなかった。
「原因はわかりませんけど、ニースの様子がおかしいんですよ。自分からオルガン馬車の中に乗り込むし、急にメグに突っかかったり、僕の事を心配しだすし。今も膝を抱えてぼんやりしてますし」
ラチェットの言葉に、マルコムは考え込んだ。
「膝を抱えて、か……。何か悩みでもあるのか? 歌石が光らなかったことは、今更だよなぁ。帝やルイサの前では楽しそうに歌ってたよな……。ルイサの毒のことで、何か心配になってたりするとか?」
「毒ですか……。身の危険を感じていて怖いっていうのは、あるかもしれませんね……」
ラチェットは、マルコムに答えながら、何か違和感を感じていた。その違和感の正体を見極めようと、ラチェットはマルコムの顔をじっと見た。やがて何かに気付いたように、ラチェットは、くいとメガネを上げた。
「マルコムさん」
「どうした、急に?」
ラチェットの真剣な声音に、マルコムは訝しんだ。
「僕、ずっと引っかかってたんですけど……。マルコムさんも、何かあったんですか?」
「何かって何だよ」
「いつも色々気がつくマルコムさんにしては、ニースの変化に気づかないですし、ぼーっとしてますよね?」
マルコムは、手綱を握りながら視線を彷徨わせた。
「そ、そうか? 疲れてるのかもな」
「それに、しょっちゅう公主殿下の名前を呼び捨てにします」
マルコムの頬が、ぴくりと動いた。
「そ、そうか……?」
「ええ。それに、今回は町を出る時に女性とトラブルになってないですよね」
マルコムは、ラチェットの言葉に答えず口籠った。ラチェットは、だんまりを決め込むマルコムをじっと見たまま、言葉を続けた。
「もしかして、マルコムさん。ついに恋が叶ったんじゃないですか? 結婚が決まったなら、気持ちが浮ついて周りが見えないのもわかります。お相手は、もしかして公主殿下なんじゃ……」
ラチェットの言葉に、マルコムは思わず手綱を引いた。馬がいななきを上げて足を止め、オルガン馬車がガタリと止まった。
「うわわ!」
ニースが小さな悲鳴を上げて、オルガンにぶつかりそうな荷物を必死に止めた。ラチェットは急停止の衝撃で、街道の石畳に放り出された。
「あいたた……」
マルコムは立ち上がり、目に涙を浮かべて肩を震わせ、怒鳴り声をあげた。
「ラチェット、お前なぁ……!」
突然の出来事に、事態が掴めないニースは、小窓から顔を出した。
「どうしたんですか⁉︎ ……マルコムさん?」
マルコムが溢れる涙を、ぐいと手で拭っていたので、ニースは驚いた。マルコムは、ニースに振り向くことなく、ラチェットに怒りをぶつけた。
「うぅ……。言っちゃいけないことってのが、あるんだよ……!」
「す、すみません……」
あまりの剣幕と、むせび泣くマルコムに、ラチェットは唖然とし、掠れた声で謝った。しかしマルコムの気持ちは、一向に立ち直らなかった。
前を走るグスタフの馬車は、オルガン馬車が止まったことに気づかず、街道を走る。セラは、グスタフの馬車の中で、寂しそうな顔をしていた。ニースと一緒の馬車に乗れなかったことが、悲しかったのだ。セラの隣でメグは膝を抱え、何やらぶつぶつと、ずっと呟いていた。ジーナは、皇都を出てからずっと落ち込んだままの二人を見て、苦笑いを浮かべた。
「セラちゃん、はいこれー」
ジーナは、ルイサから餞別にもらった美しい装飾の缶から、焼菓子を数枚取り出し、布に乗せてセラに渡した。
「あ、ありがとうございます……」
セラは戸惑いつつも、クッキーを一口かじった。ジャムが入れられたクッキーは、甘く口の中に残り、セラの寂しさを和らげた。
「ほら、メグちゃんもー」
ぶつぶつと何やら呟き続けているメグの口に、ジーナは無理やりクッキーを押し込んだ。
「むあみむむもも」
メグはもごもごと、クッキーを噛み砕きながら、ジーナに抗議した。しかし、いつものメグのような覇気は見られなかった。ジーナは、ニヨニヨと意味深な笑みを浮かべた。
「二人とも、そんな顔をしていると、気になる子に振り向いてもらえなくなるわよー」
ジーナの言葉に、二人は慌ててクッキーを飲み込んだ。メグが手鏡を出して頬の筋肉を上げ、セラは短く切り揃えた前髪を手櫛で必死に整えた。ジーナは、あははと笑いながら、二人に水筒を手渡した。
「そうそうー。やっぱり女の子は、可愛くなくちゃー。沈んだ顔は似合わなーい」
メグは水を飲むと、後ろを走るはずのオルガン馬車に目を向けた。
「……お母さん」
「なあにーメグちゃん?」
メグは、はぁとため息を吐き、ジーナを見た。
「オルガン馬車がいないわ」
「⁉︎」
メグの言葉にジーナは目を見開くと、慌てて馬車の後ろを見た。メグの言う通り、真っ直ぐ続く街道のどこにもオルガン馬車の姿は見えなかった。
「グスタフ! 馬車を止めて!」
ジーナが凄みのある声で大きく叫ぶと、グスタフは急いで馬車を止めた。ガタリと止まった衝撃で、転がりそうになったセラをメグが掴んだ。布をかけられている鳥籠の中から、悲鳴のような鳴き声が響いた。ジーナは、急いで御者台と繋がる小窓を開け、焦りの滲む声でグスタフに指示を出した。
「グスタフ、すぐに戻って! オルガン馬車がいない!」
「なんだって⁉︎ マルコムのやつ、まさか……!」
グスタフは馬車を反転させて、大急ぎで街道を戻る。その衝撃で、メグも転がりそうになり、ジーナが二人を捕まえた。
「お、お母さん、一体どうしたの?」
「マルコムさんに、何かあったんですか?」
ジーナとグスタフの様子があまりにいつもと違うので、メグとセラは不安を感じていた。ジーナは二人の顔を見ると、気まずそうに目を逸らした。
「あ……あー。あはははー。ごめん、ごめーん。驚かせちゃったわよねー」
メグは、じっとりとした目をジーナに向けた。
「お母さん……誤魔化さないで、ちゃんと教えてくれる?」
「いやだわー、メグちゃーん。私は、なーんにも誤魔化したりしないわよー」
ジーナは必死に取り繕うが、メグは御者台に視線を送った。
「いいわよ。お母さんが言わないなら、お父さんに聞くもの」
「う……」
メグの言葉に、ジーナはたじろぐと、肩を落としてため息を吐いた。
「仕方ない、か……。二人とも、これから話すことを決して誰にも言わないって約束出来る?」
真剣なジーナの声音に、メグとセラは頷いた。ジーナは、床に落ちたクッキーの缶を拾い上げ、汚れを払うと、そっと缶の装飾を撫でた。
「昔、皇国に来た時。私たちが、パクスと会ったのは前に話したわよね」
「ええ。聞いたわ」
「その時に私たちは、皇国の姫君だったルイサにも初めて会ったの。そしてマルコムが……ルイサと恋に落ちたのよ」
ジーナの言葉にメグは目を見開き、セラが目を輝かせた。
「え⁉︎」
「わあ! お姫さまとの恋なんて、絵本のお話みたい!」
セラの言葉にジーナは切なげに微笑んだ。
「そうね。絵本のお話みたいだったわ。マルコムは昔から女の子に人気があったけど、今と違って硬派な男で、飾り気のない好青年だったの。二人とも美男美女だから、並んで笑うとすごくお似合いでね……。マルコムにとって、ルイサが初恋の相手だったわ」
「信じられないわ……」
メグは、ぽかんと口を開いていた。
「でもね、ルイサは皇国の姫君よ。よその国の、しかも庶民の出で、旅の奇術師だったマルコムには、到底許されるはずのない恋だったの」
ジーナの言葉に、セラが悲しげに顔を歪めた。ジーナはそのまま、話を続けた。
「マルコムは当時、ルイサに駆け落ちしようと言ったの。私たちにも内緒で、二人だけで抜け出すつもりだったのよ。でも、ルイサは断った」
「なんでですか……?」
おずおずと尋ねるセラに、ジーナは儚げな笑みを見せた。
「ルイサは天の導きだからよ。ニースくんだって、黒を隠すのに苦労したでしょう?」
セラはジーナに頷いた。
「ニースは、すごく大変そうでした」
「それにね、ニースくんと違ってルイサはお姫様だから、ルイサがいなくなったりしたら、皇国中が大騒ぎになって、血眼でルイサを探すわ。セラちゃんは、それもわかるわよね?」
「はい」
「だから、ルイサは断ったの。マルコムと一緒に逃げても、必ずいつか捕まってしまうし、ルイサを拐かしたマルコムは処刑される。ルイサは、共に過ごす短い幸せより、自分と別れたマルコムが幸せな一生を過ごすことを望んだのよ」
「公主さま、可哀想……」
「そんなことがあったなんて……」
メグとセラの目に、涙が浮かんでいた。ジーナは、ふぅと息を吐いた。
「それからよ。マルコムが行く先々の町で、女性に声をかけるようになったのは。マルコムは、ルイサのためにも早く結婚して幸せになろうとしているんだと思うわ。ただ、やり方があまり良くないのよね……」
ジーナは、呆れたように笑った。
「でも、それってもう終わった話なんでしょ?」
涙を拭うメグの言葉に、ジーナは首を横に振った。
「それがね……。今回、皇都に来て分かったんだけど、ルイサがまだ結婚してなかったのよ。もう帝はパクスに変わって、ルイサは婚期を逃してる。昔よりずっと、ルイサの結婚相手の条件は、低くなってたわ。でも、だからって二人が簡単に結婚出来るわけじゃないんだけど……。マルコムの様子が怪しくて、私とグスタフは注意して見てたのよ。そうしたら、晩餐会が終わった後、目を覚ましたルイサに、マルコムはもう一度求婚してね」
メグとセラが、ごくりと喉を鳴らした。
「それで⁉︎」
「ど、どうなったんですか⁉︎」
馬車の揺れを気にすることなく身を乗り出した二人に、ジーナは切なげに言葉を継いだ。
「ルイサは断ったわ。もう私たちは、いい大人だもの。自分にどんな役割があるのかは分かる。ルイサも、皇族として、天の導きとして、皇国に尽くさなくちゃならないことを、昔と違って、ちゃんと理解しているのよ」
「そんな……公主さま、毒まで飲まされたのに……」
再び涙をこぼすセラの横で、メグは不思議そうに首を傾げた。
「マルコムの事はわかったけど、断られたならそれで終わりよね。なんで今、お父さんとお母さんは慌ててるの?」
ジーナは、はぁとため息をついた。
「ルイサに断られてから、マルコムはずっと思いつめた顔をしていたの。あなたたちには分からなかっただろうけどね。だから、もしかして諦めきれずに皇都に戻ったりしてないか、心配なのよ。下手したらマルコムは、皇宮にだって乗り込みかねないわ。ああ見えてマルコムって、結構情熱的で一途な所もあるのよ」
「そんなにルイサさまのことを思ってたのね……」
「マルコムさん……」
神妙な面持ちの二人に、ジーナは笑顔を向けた。
「さあ、これで昔話はおしまいよー! 二人とも、今の話は絶対に誰にも話さないでねー。ニースくんやラチェットにもよー」
笑顔のジーナだったが、目だけは笑っていなかったので、メグとセラは真剣に頷いた。
ほどなくして、グスタフたちは道に立ち往生しているオルガン馬車を見つけた。グスタフは、涙を流して落ち込むマルコムを連れて、馬車の御者台へ上がった。女性たちは気遣わしげにマルコムを見つめ、ラチェットが痛む体をさすりながら、オルガン馬車の御者台へ上がる。ニースは訳が分からず呆然としていたが、馬車が動き出すと再び膝を抱えてぼんやりし始めた。どこか寂しげな秋の風が、草原の草花を揺らしていた。




